ボイス+パレルモ
■2021年10月12日〜2022年1月16日
■国立国際美術館
今年2021年4月、豊田市美術館からスタートしたヨーゼフ・ボイスとブリンキー・パレルモ、師弟によるコラボレーション展。
埼玉県立近代美術館での展示を経て、中之島の国立国際美術館に巡回してきました。
ブリンキー・パレルモ(Blinky Parelmo 1943-1977)の作品をそれと意識しつつまとめて観るのはおそらく初めての経験です。
本名はペーター・ハイスターカンプ。
ただし、「ハイスターカンプ」は彼が生まれてすぐ養子に出された先の家名です。
戦時下のライプツィヒに生まれ、東西ドイツ分裂後は西側に移り、デュッセルドルフ芸術アカデミーに学んだモダン・アーチスト。
イタリア人のようなアーチスト名は、悪名をはせたというマフィアにしてプロボクシング興行師、フランク・"ブリンキー"・パレルモからとったものなのだそうです。
一時、ニューヨークで活動した後、旅先のモルディブにおいて33歳の若さで急逝。
ボイスは教え子のパレルモを高く評価、「自身に最も近い表現者」として認めていたとされています。
すでにニューヨーク近代美術館やテート・モダンに作品が所蔵され、特に2010年代以降、再評価が進んでいる人。
昨年(2020)秋、「ある画家の数奇な運命」(WERK OHNE AUTOR)という映画が日本公開されました。
ゲルハルト・リヒターをモデルとした画家の半生を題材に、フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督が撮りあげたドイツ映画(2018年製作)。
ナチスや戦後東独の共産政権に翻弄された芸術家の姿を描いた大作でした。
東独から西側に脱出し、デュッセルドルフでヨーゼフ・ボイスの教えを受けたという点でリヒターとパレルモには大きな共通要素があります。
実際、美術アカデミーで学友関係にあり、一緒にニューヨークを訪れたりしています。
しかし、1932年生まれのリヒターからみるとパレルモは一つ若い世代に属しています。
東独で社会主義リアリズムに則した美術教育の波を被ったリヒターに対し、パレルモは幼い頃から西側の空気の中で育ったともいえます。
短絡的な比較はもちろんできませんが、複雑なモチーフで色彩のニュアンスを重視し具象も積極的に取り入れたリヒターの作風に対し、パレルモの単純化された色や形を追求する抽象的なスタイルとの違いは、「最初から西にいた」かどうかの差が関係しているのかもしれません。
「ある画家の数奇な運命」は元々実在の人物との関連性をあえて不明確にする、つまり「正体を明かさない」前提で製作されています。
しかし映画の中で登場する、独特の帽子姿で脂肪を塗りたくっていたデュッセルドルフ美術アカデミーの教授は、明らかにヨーゼフ・ボイスその人です。
この映画は、不幸なことに、リヒター本人から強く否定されてしまいましたが、当時の西独美術界の雰囲気を具体的に伝えてくれるような説得力をもっていました。
社会主義リアリズム教育を受けた主人公の画家が、60年代のデュッセルドルフで見た光景は、珍奇なオブジェ製作などが学生たちによって繰り広げられ、それまでのあらゆる美術的価値観がひっくり返されたようなカオス世界。
ボイスとおぼしき教授の示唆で画家がようやく自己の芸術を獲得していく場面が感動的に映されていました。
ボイス自身の作品からは、既成概念を破壊していくデュッセルドルフ時代からの「力」のようなものが感じられます。
お得意のフェルトや、金属、木箱、ロープなど多種多様な素材で示されたボイス作品にはありきたりな解釈を許さない苦味のような感覚がつきまとっています。
他方、パレルモの作品は、どれもとてもシンプル。
独特の深みをもった青や黄色、緑といった色彩が、三角形や四角の板に配置されています。
しかし、よく観ていると、スタティックな色や形が、方向感を定めずに動き出すような感覚に襲われるような気がします。
一見、シンプルな色彩や造形なのですが、それを取り巻く世界との関係がとても純粋に、しかも巧緻に計られている。
だからイロやモノ自体が世界と取り結ぶ関係性そのものが示されているように見えてきてしまい、静かに止まり黙秘していた図像が、実は動き、語り出しているようにも感じられてしまう。
「静」のアーチストという印象がだんだん崩れ、ボイスと通底する本質的な芸術の「力」のようなものを掴み取っていた人なのではないかと感じられてきます。
今回のコラボレーション展では、作品表示プレートにアーチスト名が明示されていません。
ボイスの「B」やパレルモの「P」といった略号があるだけです。
明らかに作風が正反対とみえるBの人と、Pの人。
区別がついていると思って鑑賞を続けていると、実はBがPだったりと混乱してきます。
あえてBとPの違いを明示しないことで、両者の相違と共通点を鑑賞者に刺激的に味わってもらおうという企画センス。
会場ではボイスの映像作品がいくつも上映されています。
内容は過激なのですが、観ていると次第にどこか緊張感を伴った退屈さが感じられてきて、正直、全編観続けることが難しい作品が多い。
ボイス自身も実は派手な格好やアクションだけを見せたかったのではなく、パレルモが追求したと推測される「本質」を映像で捉えたかったのではないか、と感じます。
展覧会終盤に、国立国際美術館が所蔵する有名なボイスのレモン、「カプリ・バッテリー」が置かれています。
ボイスが没する一年前、1985年の製作。
茶色や灰色が支配的なボイス作品の中では異例ともいえる鮮やかな黄色い色彩をもっています。
療養中のイタリア・カプリ島の明るい世界に影響された作品といわれています。
晩年、ボイスもパレルモの「色」を、ひょっとしたら、想起していたのかもしれません。
「ボイス+パレルモ」展には芸術の「本質」とは何か、それを問いかけるような静かな迫力がありました。