今年2022年のARTISTS’ FAIR KYOTOは清水寺に進出。
3月5日から13日まで境内の各所に作品が展示されています。
屋外展示されているヤノベケンジの「KOMAINU-Guardian Beasts」やYottaの「花子」は無料で観ることができますが、成就院と経堂の中で展示されているアート作品の鑑賞については600円の入場料金が必要。
事前予約制となっています。
予約がなくても空いていれば入場可能です(ただし、クレジットカード決済のみ)。
平日の午後、さほど混雑していなかったので覗いてみました(予約なし)。
ただ、清水寺周辺自体は観光客が急速に戻りつつあり、Yottaの巨大こけし等が話題となって客寄せに貢献していたりしますから、週末は予約が必要かもしれません。
なお、拝観料が別にかかる本堂エリアに入ることなく、全作品を鑑賞することができます。
春と秋にごく短期間特別公開されますが、いずれも観光ピーク時と重なり混雑害リスクが高いため敬遠してきました。
今回は比較的ゆったりと有名な庭園を鑑賞できそうな機会でもあります。
久しぶりに足を踏み入れてみました。
「アーティスツ フェア 京都」の目的は若手アーティストの紹介にあります。
しかし主会場である京都文化博物館等とは違い、清水寺会場は「アドバイザリー・ボード」に名を連ねた有名アーティストや、今や大御所的存在となってしまった作家たちによって占められています。
成就院玄関で観客を睥睨する名和晃平によるガラス玉の鳥「PixCell-Vulture」に代表されるように、いずれの作品からも各作家お馴染みの語法や手法が感じられ、新鮮さというよりもその安定感が印象的。
ただ、決して広くはなく天井もかなり低い和風建築の中では、その安定感がさらに固定されてしまう傾向があって、例えば塩田千春の小さい二つの「Cell」という作品は成就院空間の中で奇妙に縮小均衡してしまったかのように見え、彼女の大型作品が放つ生理的凄みのようなものは「置物」の中に吸収されているようにも感じます。
作品の展示空間として成就院はちょっと難しい器だったのではないかと思われる中、唯一、上手にこの空間と融合している作品がありました。
井口皓太による「空の時計 / Blank Clocks」。
2021年の製作。
円形の映像モニターが庭園を望む書院廊下に2台設置されています。
成就院庭園は非常に賑やかな池泉を持っています。
東の築山から一気に視線を下方に誘導し、西になだらかに広がって高台寺山の景色につなげる造作。
ほとんどが池の水面で占められる中、小橋や灯籠、それに丸く刈り込まれたさつきが入念に配置された人工美の自然空間。
「空の時計 / Blank Clocks」はよく磨かれた鏡のように庭園の景色を映しているようでいて、そこには時間差で溜め込まれた過去の映像がデータ加工されて流し込まれています。
映像自体がくるりと扇を開くように円の中で伸縮することで時の経過が告げられていく仕掛け。
「時計」には庭園自体の景色が取り込まれていたり、観客らしい人影が映り込んでいることもあります。
池の水面は常に動いていて、あたりの景物を反射し、鑑賞者はえんえんと見どころを探し続け視線をどんどん動かしてしまう。
「空の時計/Blank Clocks」は、そんな鑑賞者の視点をさらにメタに取り込んで再び庭に投げ返すように立っています。
安定的な作風ゆえに成就院書院の中に吸収されてしまったかのようなアドバイザリー・アーティストたちの作品に比べ、井口の「時計」は巧にその罠から逃れ、華麗な池泉の庭との対話を成立させているように感じます。
一方、「経堂」(重文建築物)内ではこちらも大御所、宮島達男のチャレンジングな映像作品「Counter Voice in the Water at Fukushima」が流されています。
1から9までの数を宣言した後、ボウルの中に張った水へ宮島が顔をつける姿が延々と続くのですが、その映像を眺めているのは、実は、観客だけではありません。
経堂内の北側に鎮座する、普賢と文殊の両菩薩を従えた釈迦如来も静かに見つめています。
その圧倒的にシュールな光景。
まるで宮島が暗闇の中で釈迦三尊に礼拝しているような構図が見られます。
置かれた場所によって映像作品の位置づけが鈍く深く変容した様を体感できると思います。
清水寺は聖俗合わせ呑んで開き直っているようなしたたかな巨大寺院です。
仁王門や西門の鮮やかな朱色は、ヤノベケンジの狛犬にもYottaのこけしにも全く怯むことはなく、むしろそれを喰ってしまっているようなところがあります。
面白いコラボレーションがみられました。
[各作品は撮影可能。但し成就院の庭園それ自体と経堂内の仏像は撮影禁止です。]