ARTISTS'FAIR KYOTO 2024 (アドバイザリーボード展覧会)
今年のアーティスツフェア京都、アドバイザリーボードによる展示は清水寺とその塔頭成就院が舞台となりました。
ここが会場となるのは一昨年2022年に続いて二度目です。
(昨年の会場は東本願寺の渉成園)。
門前にヤノベケンジ(1965-)の「SHIP'S CAT(Ultra Muse Black)」、仁王門北側に加藤泉(1969-)による「Untitled」、西門前にYottaの「花子」が設置されています。
Yottaの巨大コケシは三年連続の登場です。
ヤノベケンジの宇宙服猫とともに格好のインスタ映え物件ですから大人気となっていました。
なおこの3作品までは無料で鑑賞できます。
一昨年頃と比較して清水寺周辺の観光客数は当然のことながら激増しています。
週末平日関係なく清水道も五条坂も外国人観光客で埋め尽くされていて、特に門前近くになると前に進むことすらままなりません。
立ち食い用の唐揚げが800円もしていたりと、ここと嵐山は物価自体が海外設定となっています(物価高に関係なくもともとこういうエリアで飲食はしませんけれども)。
コロナ時代が懐かしいといったら怒られるでしょうか。
ただ境内にあるARTISTS'FAIRが設定した有料エリアは観光客とは無縁ですから、参道の混雑すらかわせば静かに鑑賞できる空間が用意されています。
有料会場は2ヶ所あり、「経堂」には田村友一郎(1977-)による「田村/TAMURA」というインスタレーションが展示されています。
なお「経堂」は拝観料がかかる本堂エリアの手前にありますから別料金は必要ありません。
堂内の写真撮影は禁止です。
もう一つの有料会場である成就院には13名のアーティストによる作品が展示されていました。
なおこちらでは全ての作品に関して撮影OKですが、成就院の名物である池泉庭園のみの撮影は例によってNGとなっています。
玄関付近にボスコ・ソディ(Bosco Sodi 1970-)、鬼頭健吾(1977-)、そしてまたもやヤノベケンジの猫(猫が背中にのせたモニター内には米山舞のアニメーション)。
大広間にはミヤケマイ(生年非公開)、名和晃平(1975-)、鶴田憲次(1949-)、大庭大介(1981-)、薄久保香(生年非公開)、伊庭靖子(1967-)、池田光弘(1978-)、やなぎみわ(1967-)。
前回は展示空間として公開されていなかった東側の茶室床間に、やんツー(yang02 1984-)の小品が掲げられています。
庭園側の手水鉢の中ではディレクターである椿昇(1953-)の小さなトンボが水と戯れていました。
多くが昨年から継続してアドバイザリーボードに名を連ねている方々ですが、ボスコ・ソディ、ミヤケマイ、やんツーが新たに加わっています。
それぞれにベテランらしい確固とした作風と新境地がみられる面白い作品が展示されています。
中でも今回はミヤケマイとやなぎみわ、二人のアーティストによる少しミステリアスな作品たちに惹かれました。
ミヤケマイの「天の配剤 Sometimese the Apple Falls Far from the Tree」(2022)では一見、まるで同じ会場に作品を発表している名和晃平が得意とするガラスキューブを思わせるような透明の球体がまず目に飛び込んできます。
しかしよく見ると石にへばりついているガラスの玉は全て内実までガラスで出来ているわけではなく、中に空洞をもっていることにきがつきます。
そしてその内部には水が蓄えられているのです。
作家は「美術品の中に閉じ込められた現代の私たちを構成する水が未来に保存され届くことを夢想する」とリーフレットの中でコメントしています。
まるで重大な使命を帯びたタイムカプセルを思わせるような壮大な企みですが、実際の作品からはそのような大それた趣はあまり感じられません。
むしろ「石」と「ガラス」と「水」という素材たちが織りなす独特のデリケートな関係性の美に惹かれました。
ガラスは石にぶつかれば砕け散ります。
ところがこの作品では石と繊細に関係をとり結びながら、内側に存在する水がわずかに循環している様子を健気に映し出しています。
おそらくこのガラス玉はそれほど遠い未来まで水を保持はしてくれないようにもみえます。
そうしたフラジャイルさまでもが美しさを構成しているのです。
前にも申し上げた通り、成就院はモダンアート展示に必ずしも適した場所ではないと思うのですが、この作品では「石」が和空間との親和性を自然に確保していました。
やなぎみわは近年「果物」に惹かれているようです。
果樹をとらえた大型の写真作品が二点展示されていました。
一見、何の不思議もない自然のままをとらえたような写真です。
ところが微妙なライティングやその構図から、どことなく妙に生々しさを放つような雰囲気が感じられてきます。
「女神と男神が桃の木の下で別れる「あかつきII」」(2017)、「林檎を齎すは誰「秋映」」(2023)という日本神話や旧約聖書を思わせるようなタイトルは鑑賞した後で知りました。
夜の木がおそらくたっぷりと流しているのであろう樹液の甘さ。
曇り空の柔らかい光に照らされつつ頭上から誘惑してくる林檎の赤さ。
こうした甘美な果樹のもつ色気が実はとてつもなく恐ろしい秘密をもっていることを表しているような作品が「Juggiling with peaches I」(2024)と名付けられた新作オブジェなのでしょう。
吉祥のモチーフそのものである黄金の桃をのせる手は病的な禍々しさをもっていて、やがてその桃をぐちゃぐちゃに握り潰すことが予見されているような作品です。
ただこのエロティックに気鬱な腕も不思議と成就院の空間とはハレーションを起こしていません。
「桃」がかろうじてまだ形を保っているからなのでしょう。
観ていて楽しくゾッとする作品でした。