各地のミニシアターでブニュエル作品6本の特集上映が組まれています。
【ルイス・ブニュエル監督特集上映】
— 公式【ルイス・ブニュエル監督特集上映】デジタルリマスター版 男と女🌹開催決定! (@luisbunuel_jp) 2022年2月22日
デジタルリマスター版 男と女🌹
今週末2/25(金)から京都 京都シネマで上映が始まります🎬
『哀しみのトリスターナ』『昼顔』『自由の幻想』など全6作品!
スケジュールなど詳細は劇場のHPから✔︎
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「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」、「自由の幻想」、「欲望のあいまいな対象」の3本を観ました。
いずれも70年代に撮られた監督晩年の3作。
デジタルリマスター版を観るのは初めての体験です。
まずそのリマスター処理ですが、確かに色合いや解像度が上がっているような気はするものの、70年代の映像としては肌理がやや粗く、驚くような成果が上がっているようには感じられませんでした。
別の機会に観た4Kの「昼顔」ほどにリマスターによるリフレッシュ効果はないようです。
とはいえ、DVDで観ていた時に感じた見苦しい画素のつぶれや色調のぼやけは流石に解消されていて鑑賞上のストレスはありません。
サウンドトラックも鮮明です。
3作をほぼ時間を置かずに鑑賞してまず再認識したことがあります。
カメラワークの圧倒的素晴らしさ、です。
撮影は全てエドモン・リシャール(Edmond Richard 1927-2018)が担当しています。
「昼顔」のサッシャ・ヴィエルニほど研ぎ澄まされた映像美を持ち味とはしていませんが、俳優たちを追う視線、その執拗に動きをとらえてはなさないカメラアクションは一瞬も隙をつくらない。
ときに饒舌なブニュエルとジャン=クロード・カリエールの脚本とまるで一体となったかのようにカメラは動きまわり、名優たちの絶妙な演技を着実に捉えていきます。
例えば「ブルジョワジー」のビュル・オジエが見せる破綻と理性が混在した表情、「自由の幻想」のジャン=クロード・ブリアリが漂わせる浅薄な冷酷さ、そして、「欲望」の三人をが織りなす顔芸の凄み。
引きとアップを多彩に組み合わせながら無駄なく、それでいてどこかねっとりと役者たちの姿を捉えるリシャールの眼は、おそらく晩年のブニュエルの眼、そのものになっていたのでしょう。
圧巻でした。
不条理とか脈絡がないと言われる「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」や「自由の幻想」ですが、2作とも実はかなり理知的な作品とみることもできると思います。
確かに全体として何かオチを伴ったような筋書きはありません。
しかし、流れていくエピソード自体は別に難解なものでは全然ないし、むしろいたって明瞭です。
「ブルジョワジー」は全く教訓めいた説教くさい言葉を使わずにある階層に属する人々の姿をブニュエル風に描いたスパイス満点の絵巻物として眺めれば、これほどわかりやすい映画もありません。
「自由の幻想」も構造は「ブルジョワジー」と良く似ていますが、「ブルジョワジー」で、いわば方便として使われていた夢オチのテクニックが、この作品ではそれすら使われず、脚本による機知の糸だけで繋がれていく分、晩期ブニュエルが到達した一種の洗練の極みを観るような気すらします。
2作ともクライマックスや大団円、カタストロフが絶妙にはぐらかされていくところに苦味ばしった爽快感を覚える、私にとっては大好物な作品。
終わったようで終わっていない、延々と周り続けるような円環映画です。
他方、「欲望のあいまいな対象」は登場人物を絞り、筋書きをもっぱらフェルナンド・レイ演じる初老男の回想にまとめているので、前2作に比べるとブニュエルらしい辛辣な軽快さが後退しているように感じます。
しかしコンチータ役のキャロル・ブーケとアンヘラ・モリーナが入れ替わるたびに妙なドキドキ感が挟まれるので劇物性という点では3作中、一番かもしれません。
ラストでリザネクとキングが歌うワルキューレ第一幕フィナーレ(ベーム指揮バイロイト)が大音量で被ります。
かつて「黄金時代」で使われた「トリスタンとイゾルデ」を回顧しているような、何かをはぐらかしているような。
結局、この作品がブニュエルの遺作となりました。
多くの俳優が重複して出演していますが、3作全てに登場する印象深い俳優が三人います。
「ブルジョワジー」では家政婦役、「自由の幻想」では修道士たちとカードゲームを始めてしまうクリニックの女性スタッフ役、「欲望」ではフェルナンド・レイの語りに聞き入る子持ちの婦人を演じたミレーナ・ヴコティッチ。
この人のどこかいつも困っているような独特の表情はクセになる魅力を持っています。
そしてジュリアン・ベルトー。
「ブルジョワジー」では庭師希望の司祭役、「自由の幻想」では警視総監(ミシェル・ピコリと二人一役?)、「欲望」ではフェルナンド・レイの友人である判事役を務めています。
いわば「権威」の象徴としていかにもな風貌を持った人で、その得難い雰囲気をブニュエルは重宝したのでしょう。
「Muni」とクレジットされるマルグリット・ミュニは、どの作品でも、どこか異界からきた人のような香ばしさを伴った「生成りのおばさん」として登場します。
彼女が放つアクの強さも晩期ブニュエルに欠かせないスパイスだと思います。
この三人が出てくるとブニュエル後期映画の額縁がきっちり決まったような印象すら受けてしまいます。