ピエール・エテックスとジャン=クロード・カリエール

 

ザジフィルムズの配給で、「ピエール・エテックス レトロスペクティブ」が各地のミニシアターで上映されています。

渋谷のイメージフォーラムでは好評を受けて当初予定より期間が延長されました。

エテックスの主要作品、長編4本&短編3本をバランス良く組み合わせ、4回に分けて上映する企画。

全部鑑賞してみました。

驚きの連続でした。

 

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破局」(1961)、「幸福な結婚記念日」(1961)、「恋する男」(1962)、「ヨーヨー」(1964)、「健康でさえあれば」(1965)、「絶好調」(1965)、「大恋愛」(1968)の計7本。

この内、「恋する男」のみ、フランスでの公開直後、日本でも上映されているそうですが、他は全て今回が本邦初公開。

その「恋する男」も60年前の公開ということを考えると、本来、「レトロスペクティブ」と題するのはおかしいような気もします。

誰も「回顧」できない、ほとんどの日本の観客にとっては初のエテックス体験となるはずですから、この企画はむしろ「新作」の特集上映とみた方が良いかもしれません。

私自身、全く知らない映画監督でした。

 

ピエール・エテックス(Pierre Étaix 1928-2016)の監督した作品は権利関係の問題から長らく上映やソフト化が不可能な状況が続いていたのだそうです。

2010年、ゴダールをはじめとする映画人たちの署名運動が奏功し、ようやく法的な問題が解決。

保管状態が悪かったというフィルムに、エテックス自らの監修のもと、リマスタリング処理を施し、復活させています。

各作品の上映前にその経緯がテキストで紹介されていました。

サウンドトラックを含め、モノクロ、カラー、それぞれにリストアは大成功をおさめているといって良く、鑑賞に支障は全くありませんでした。

 


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全て、一見、軽妙なコメディ映画です。

館内では時折、笑い声も聞かれました。

しかしそうした素直な善男善女とみられる観客の皆さんとは違い、私はほとんど笑うことができませんでした。

笑いの沸点が高い人間だから、というわけではありません。

その映像と筋書の構成があまりにも異様に仕上げられているので、笑う前に唖然としてしまったというのが正直な感想なのです。

 

ほとんどの映像作家が、撮影を開始する前に、ある程度「絵コンテ」的なイメージを作っていると思います。

その事前イメージを頑なに守ろうとする監督もいれば、現場の即興性を大事にする人もいて、たいていは絵コンテ的事前イメージと現場感がブレンドされて映画になっていく。

 

ところがエテックスの場合、ほとんど全ての映像が、あきらかに「絵」そのものであるかのように事前イメージの型によって支配されていて、全く隙が見えないのです。

彼の映像を静止画像として切り取ってみた場合、どのシーンも見事に「絵」として成立するように感じます。

徹底的に事前イメージがまず完成されているのです。

下手をすれば窮屈で窒息してしまいそうな映像表現。

それを回避している秘密は、ほぼ全ての作品に出ずっぱりで主役を演じているエテックス自身の身のこなし、その恐るべき身体能力の高さに一因があると感じます。

平均的なヨーロッパ人の男性としてみた場合、エテックスはそれほど長身とは見えないのですが、しなやかな体幹の動きと洗練された所作によって、彼の身体自体で映像を動かしていってしまう。

かっちり固められた一コマ一コマのイメージが、まるでレガート奏法でつながれたように滑らかに流れていきます。

全てがスタイリッシュに構成された映像なのに、そのスタイリッシュさを第一の価値とはせず、あくまでも生身の身体表現によってコメディにしてしまうその仕上げ方に、「笑う暇がない」状態になってしまったのかもしれません。

 


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そして、もう一つ重要な要素が、シナリオです。

名脚本家、ジャン=クロード・カリエール(Jean-Claude Carrière 1931-2021)が、全ての作品で協働。

エテックスは、各作品の中で、ときに空想と現実の合間を自在に行き来するように主人公を演じていきます。

その代表的なシーンが「大恋愛」における、「ベッドカー」でのドライブシーンということになりますが、この摩訶不思議な場面展開は、ルイス・ブニュエルの後期作品、例えば「銀河」「ブルジョワジーの密かな愉しみ」「自由の幻想」「欲望のあいまいな対象」等にとても近しい雰囲気を感じます。

 

周知の通り、カリエールは後期ブニュエルを支えた脚本家です。

カリエールのエテックスとの出会いはブニュエルに先んじていますから、どちらがどちらに影響を与えたのかはわかりません。

さらにもともとブニュエル自身が若い頃はシュルレアリストとしての一面ももっていたわけで、カリエールが全面的にアイデアを支配していたわけでもないでしょう。

しかし、虚実の世界を自由自在に往来するエテックスと後期ブニュエルに共通した要素の生成に、一役、絡んでいたのがこの脚本家ではなかったのか、とも想像してしまうのです。

また、例えば、これもカリエールが仕事をした、フォルカー・シュレンドルフの「ブリキの太鼓」の有名なシーン、ファシストが催した決起集会のはずが、次第にシュトラウスのワルツにのってみんなで踊り出してしまうあの場面。

なんともユーモラスなそのイメージの流れはエテックス映画の語法と酷似しているようにも感じます。

 


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イラストレーターとしても才人であったエテックスは、おそらく映画制作における「絵コンテ」の達人でもあったと推測できます。

その彼の頭の中で構築された明瞭な事前イメージと、カリエールが構成した機知と幻視性を兼ね備えたシナリオ。

それを「コメディ」として生き生きと組み合わせて再現していくエテックスによる曲芸的な身体表現の素晴らしさ。

ある意味エテックスの師匠とも言えるジャック・タチが創造した非の打ち所がない完璧主義コントの世界とはまた違った味わいがありました。