「シャンタル・アケルマン映画祭」が各地のミニシアターで開催されました(主催はマーメイドフィルム)。
5作品。
いずれもデジタルリマスター版で、日本初公開なのだそうです。
「私、あなた、彼、彼女」( Je,Tu,Il,Elle)は、シャンタル・アケルマン(Chantal Anne Akerman 1950-2015)が1974年に発表した作品。
今回の特集上映5作の中でもっとも早い時期に撮られていて、本作のみモノクロです。
かなり実験性の高い映画です。
1時間半程度の長さですが、観ていると「時間」そのものの感覚が怪しくなってくる。
さまざまな解釈の余地、空想の楽しみを与えてくれる作品でした。
3つのパートから成り立っています。
ワンルームとみられる殺風景な室内を舞台にした最初のパートに登場する人物は、主演もこなしたアケルマンただ一人(当時24歳)。
マットレスの上をごろごろと一日中過ごす女性。
砂糖だけを食べ続けながら1ヶ月くらい部屋の中で手紙を書き、何かを「待っている」情景がひたすら写されています。
淡々と映像に被るアケルマン自身と思われる声による「語り」。
ワンセンテンスに近い短い言葉で、一日、一日、何をしたかが語られていきます。
6日目に手紙を書き始めるのですが、7日目については何も語られず、8,9日目と続いていく。
旧約聖書、「創世記」の冒頭を想起しました。
そう気がつくと、女性が袋からスプーンで直接食べている砂糖の粉は、「マナ」なのかもしれない。
砂糖を食べ尽くした後、女性ははじめて屋外に出て、第2のパートがはじまります。
高速道路の脇で女性はヒッチハイクを試み、30代後半くらいとみられる男性ドライバーが運転するトラックに乗り込むことになります。
食堂やバーでの休憩、ドライバーのマスターベーションのお手伝いなどをしながら、場面は進行しますが、結局どこに行くのか、目的地すら描かれることなく、唐突に第2パートは終わります。
第3パートはこの女性の女ともだち、あるいは元カノとの場面。
食事やセックスをした後、「長居をしないで」と元カノに言われた通り、翌朝、女性はさっさと一人で立ち去り、映画は終わります。
これだけのお話です。
最初のパートは本当にただ部屋で過ごしている場面だけなのですが、30分以上かかります。
一つ一つのカットが異様に長い。
ミニマル系のアートムービーを見せられている感覚に近いものがあります。
この女性が何を待っているのか、男性なのか、女性なのか、はたまた「神」なのか。
十分すぎるほど考えさせられる時間が与えられています。
そして、観終わった後に、観客は重大なこの映画の秘密に気がつくことになります。
映画の冒頭、最初に女性が語った言葉は、「そして、私は立ち去った」、です。
この後、女性は室内にずっと居続けるので、語りと後続の場面が一致していません。
実はこの映画は、かなり意図的に、状況をいちいち説明していく「語り」が、映像とタイムラグをもって付されています。
つまり一番最初の「そして、私は立ち去った」という語りは、女性が一人で過ごしていた第1のパートに係るのではなく、最後の第3パート、女友達のベットから女性が去った情景を説明していたことになるのです。
時間軸が一気に反転したことに気がついたとき、この作品がぐるぐると回り続ける世界を描いているというその構造が明らかになります。
待って、出かけて、立ち去って、また、待つ。
この繰り返しの世界。
第2パートでは、トラックドライバーの「男性性」が静かに、かつ、端的に描かれています。
バーでの運転手仲間たちとの握手と短いあいさつ。
自慢や卑下を織り交ぜながら冗長に語られる家族の話。
そして、手早く電動髭剃りで身支度する仕草。
しかし、女性は終始、こうしたいかにもどこにでもいそうな平凡な男性の振る舞いを、心地よさそうに微笑みを浮かべながら見つめています。
一方、第3パートの女友達との激しいセックスシーンは、ほとんど湿度や陰影を感じさせず、アクロバティックなベット上のモダンダンスのように描かれています。
十分に快楽的なのですが、どこか無機的な印象も受けます。
そして、この後、最初の場面にまたつながっていく。
永遠に終わらない、イヴとアダム、あるいはイヴとイヴによる創世記。
「あなた」が観客だと仮定して感じた印象です。