駒井家住宅(駒井卓・静江記念館)の冬季休館期間が明け、3月初旬から公開されています(今年の春夏季公開は3月4日から7月9日まで・ただし金曜日と土曜日のみ)。
コロナ対策のため事前予約制をとっています。
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初めて訪れてみました。
桜並木で有名な白川疏水通に玄関が面しています。
二つの壺飾りとスパニッシュ風に色づいた桟瓦が印象的。
ただ、玄関前の空間はとても狭く、表情豊かなこの建物の西側は、生垣などによって遮られていることもあって、全体像をバランス良く眺めることができません。
建てられた昭和初期当時は、疏水通も今ほど整備されておらず、周りの住宅もまばらだったと推測されますから、白壁と茶色い瓦のコントラストが美しいこの建物はかなり目立っていたのではないかと想像できます。
玄関を入ってすぐ右手、南側にこの住宅唯一の和室があります。
これはちょっと違和感を覚える配置です。
昔の住宅では玄関に近いエリアに応接室などいわば公的な洋風の間を設け、主人が和服姿で寛ぐ畳の部屋は建物の奥に造ることの方が多いように思います。
ところが、駒井家住宅では玄関と直結しているような場所にこの六畳和室があります。
建物内で「寛ぐ」という位置としては必ずしもふさわしくありません。
この和室は、普段和装で過ごすことか多かったという静江夫人のために造られたのだそうです。
ということは、逆に言えば、主人である駒井卓は和室を必要としていなかったということになります。
2階の西側、ちょうど和室の真上に駒井博士の書斎があります。
多数の本棚に囲まれた重厚な机。
文人風の和空間は日本遺伝学の先達が寛ぐ場所としては不要だったのでしょう。
こんなところにこの「学者」が好んだ住まいの一端が現れているように感じます。
建物全体から受ける印象は「軽快」さです。
先にみた夫人用の和室にしても、障子の外に大きく面積をとったガラス窓が開けられていて、モダンな和洋折衷スタイルをみることができます。
どの部屋もとにかく窓が多く、しかもどれも大きい。
1階の大部分を占める食堂と居間は東側のあらゆる壁に窓が開かれています。
さらにその南には、まさに窓が主役の「サンルーム」があって美しいアーチを連続させ、この邸宅の一番絵になりそうな空間をみることができます。
なんと「サンルーム」は2階にもあり、こちらはほとんど壁自体が窓になっています。
この上階サンルームは当初ガラスをはめ込んでおらず、風が吹き抜けるままになっていたそうです。
ただ、冬はたまらない寒さが想像されるわけで、さほど時間をおかずにガラス仕様に変更されました。
1927(昭和2)年に完成した建築物。
設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories 1880-1964)です。
ヴォーリズはこの5年後、1932(昭和5)年、駒井家住宅とは対照的な大豪邸、下村正太郎の「大丸ヴィラ」も設計しています。
大小二つの、ヴォーリズ建築事務所の仕事を代表する住宅建築が京都に残されていることになります。
大丸の社長とは違い、当然に駒井博士の住宅建設予算は、京都帝大教授とはいえ限られていたわけで、駒井邸に豪華さを感じさせるところはほとんどありません。
しかし、ヴォーリズらしい「良質さ」がよく現れている仕様は随所にみられます。
その代表的な例が階段ホールです。
決して広くはないのですが、洗練された曲線を描く階段と、それを照らす黄金色のステンドグラスが、陽光が主役であるかのような東側の明るい空間とは別種の、陰影深い美しさを現しています。
敷地面積に比べ建物自体はさほど大きくありません。
しかし、その結果、東側の庭は十分な広さがとられ、小さいながらも池や温室まで作られています。
この庭と東山の景色こそ、駒井夫妻が住まいに求めた最大の魅力なのかもしれません。
夥しい「窓」がそれを物語っているように感じます。
日本ナショナルトラストとボランティアの方々によって維持運営されている駒井家住宅。
ヨガスタジオとしても使われていて、いわば「動態保存」が試みられている建築でもあります。
ただ、チラシとかパンフレットとか、もう少し整理し、なるべく内部の景色の邪魔にならない範囲におさめてほしいなあとも感じます。
「台所」は平成令和の家電類などがどしどし置かれていて、やや動態保存が度を超えているようでもあります。
でも使われないと建物は自然とたちまちに朽ちていきますから、必ずしも観光名所とはいえないこの住宅に関して言えば、今の形態での運用が、ある意味、理想的なのかもしれません。
モダン京都建築の一つとしていつまでも美しく残っていてほしい住まいです。