企画展
「唐ものがたり 画あり遠方より来たる-香雪美術館の中国絵画-」
■2023年6月17日~7月30日
■中之島香雪美術館
初公開作品を含む、かなり渋めラインナップで組まれた「裏技的」中国画特集です。
村山コレクションの奥深い魅力と、捻りが効いた企画アイデアの面白さが同時に堪能できる展覧会に仕上がっていると感じました。
展示されている29作品の内、作者名の前に「伝」がつく作品が23件もあります。
かなりの比率で、誰が描いたのか特定できない絵画が展示されていることになります。
たとえば周文のように「基準作」がいまだに見つからないことから一律「伝周文」とされる場合もあります。
しかし、一般的に、「伝 ○○」("Attributed to X")と作者名を表記する場合、主に二つの使われ方が想定されていると思います。
一つは、○○さんの作品にかなり似ている、あるいは、ほぼ○○さんの筆に違いないのだけれど、今一つ確証がもてない、裏付けとなるエビデンス等が確認できない場合。
もう一つは、寺伝や極書などから「○○さんが描いたもの」と、古来、伝えられているので、一応そう表記はしているけれど、実は違う人が創作した作品であることが、ほぼ、疑いないという場合、です。
今回の企画展で使われている「伝」は、後者、つまり、伝えられている作者が描いたとはおよそ考えられないと評価された作品が大半を占めています。
では、単なる二流のフェイク中国画特集なのかといえば、全くそういう印象を受けません。
この「伝○○」が、実は、どれもこれも大変素晴らしい作品ばかりなのです。
中国画で「伝」の帝王といえば、文字通り、まず徽宗皇帝ということになります。
この国で「伝徽宗」と称している作品がいくつあるのかわかりませんけれど、素人眼にも相当に怪しげな作品が、堂々と展示されているところにしばしば出くわし、驚くことがあります。
国宝の「桃鳩図」を観ると本物の院体画が、いかに技術的完成度と格調の高さを伴っているか一目瞭然なのですが、昔は、「それっぽい」題材と筆致であれば、かなり大胆に、ありがたいこの中華皇帝の名が使われたようです。
本展では「伝徽宗」の作として「梔子小禽図」が初公開されています。
くちなしの繊細な表現をみると徽宗風の院体画表現と言われても不思議ではありません。
かなり完成度の高い一幅です。
ただ、右に描かれた小鳥に目を転じると、一見して「桃鳩図」の鳩とは全く違う、ある種の「雑さ」、「硬さ」に気がつくと思います。
何より、鳥の表情に本物の院体画がもっている「気品」がほとんど感じられません。
香雪美術館の解説によれば、本作にある「花押」はいかにも徽宗のそれに似せて書かれてはいるものの、宋代ではなく、かなり時代が下った明代に描かれたものではないかと推定されています。
つまり、「梔子小禽図」は、徽宗を騙ったフェイク画である可能性が非常に高いというわけです。
さらに、この画には重大な「オマケ」までもがつきまとっています。
室町将軍家に仕えた当時のいわば「プロ鑑定士」たち、能阿弥と相阿弥による鑑定書です。
ご丁寧に二通、彼らの添状が合わせて展示されています。
しかし、この添状そのものもフェイクではないかと香雪美術館ではみているようです。
添状の筆者名にも「伝」がつけられています。
「伝徽宗 梔子小禽図」は相当念入りに準備されたニセモノだったということなのでしょう。
村山龍平(1850-1933)が優れた審美眼の持ち主だったことは、そのコレクションから自明です。
ただ、室町の同朋衆が書いたとする鑑定書までつけられては、この達人も、本作を入手しないわけにはいかなかったのでしょう。
それに、この「梔子小禽図」自体、決して単なる駄作というわけでもないのです。
確かに小鳥の表現はかなり硬く微妙な雰囲気なのですが、それが今となってはややシュールな面白さを伴ってもみえてきます。
中之島香雪美術館は、今回、実質的には堂々と、「徽宗の偽物です」としながら、これを初公開しています。
なかなかにスパイスが効いている企画です。
さて、徽宗や夏珪、馬遠と並び、多数のフェイク画が巷に提供されている名士に銭選(銭舜挙)がいます。
「客来蟹図」という、これも初公開となる「伝銭舜挙」画が紹介されていました。
蟹が大根を抱えている光景が描かれています。
「来客」とはこの大根のことらしいのですが、何を意味しているのかは不明と展示解説にありました。
これも相当に「それっぽい」絵です。
独特の写実性に加え、抑制されつつもニュアンス豊かに示される色彩術。
銭選というより、これこそ「徽宗」としても良いくらい、院体画のセンスを感じさせる名品とみえます。
ところが、これもフェイクです。
本作が収められた箱に「客来蟹 舜挙」と表記があることから銭選作としてコレクションされた一幅なのですが、香雪美術館によれば「日本で写した模倣作」。
つまり桃山から江戸時代あたりに描かれた、立派な「日本絵画」なのです。
いわれてみればそうかもと思いますが、大根と蟹という、摩訶不思議な取り合わせといい、幻想の中国絵画とみられても仕方がない作品です。
村山龍平は、この「客来蟹」を自身が出版を支援した『国華』に掲載したりしていますから、自慢の一幅だったのでしょう。
確かに銭選とした「箱」には罪深いものを感じますけれど、作品自体は題材を含めてフェイクと斬って捨てるには惜しい面白さがあります。
キービジュアルの一つとしてアートワークに取り上げられている作品、「梅鷺図」は「伝徐熙」です。
ただ、これも当然に徐熙が生きた時代からは相当に下った明代の作品と評価されています。
しかし、この画はその来歴そのものが、「もうこうなったら徐熙とするしかない」というくらいストロングなのです。
「梅鷺図」には、なんと狩野常信(1636-1713)が記した極書が付属しています。
木挽町狩野家の主による文字通りの「お墨付き」があるわけです。
ただ、先に見た「能阿弥・相阿弥」による「伝鑑定書」の事例もあります。
江戸時代の当時から、偉い絵師の「極書」がそのまま信用されていたわけではありません。
常信のお墨付きをさらに息子である狩野周信(1660-1728)が鑑定し、父の筆に間違いないと「上書き」しています。
幕府公認の奥絵師親子二代が「本物です」としたわけです。
さらに「梅鷺図」はあの松平不昧(1751-1818)が入手し、出雲松平家の家宝として近代を迎えたようです。
常信、周信、不昧公が「徐熙」としたわけですから、村山龍平が手に入れたとき、たとえそれが怪しくても、もう「徐熙」を覆すことは難しかったかもしれません。
本展では、こうした「極書の伝統」ともいうべき証拠品が、丁寧に作品とならべて紹介されています。
そこには常信親子だけでなく、近世狩野派の大御所たちが「お墨付き」を与えてきた経緯もしっかり暴露されています。
怪しげなレジェンド中国画の威光は明治になっても続いていて、会場には、橋本雅邦や岡倉天心が太鼓判を押した「鑑査状」までもが展示されていました。
本物かもしれない「伝」ではなく、限りなく偽物とみられる「伝」。
それでも、その「伝」の美しさを再認識させられるという意味で「裏技」的な企画、と感じました。
南宋画チックなオーラが室町将軍の威光を伴い、狩野派などの鑑定絵師たちがそれを補強し続けた結果、おびただしい「伝 唐物」が制作されたわけですが、今回紹介されている作品群に見られる独特の「硬さ」が、これはこれで、なかなかに味わい深いのです。
フェイクといっても、400年くらい経っているわけですから、もう立派な「古典」といって良いのかもしれません。