洛東遺芳館(柏原家住宅)の貝合わせ

 

令和5年 春季展「円山応挙と貝合わせ展」

■2023年4月1日~5月5日
■洛東遺芳館

 

洛東遺芳館、春の恒例展示が今年も始まっています。

 

2階展示室に足を踏み入れたところで、思わずウワーと声をあげてしまいそうになりました。

 

展示ケース内に隙間なく配置された「貝合わせ」の群れ。

目録によれば、1232枚、展観されているのだそうです。

そのおびただしさに驚くと同時に、よくもまあ、こんなにたくさん並べられたものと、展示作業の大変さもあわせてずしりと響いてくる迫力。

 

洛東遺芳館が蔵する貝合わせ、その「全量」が今回、初めて一気に披露されています。

 

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貝合わせ自体は平安時代から楽しまれている遊びの一種ですが、江戸時代には、嫁入り道具の一つとして制作されることが多くなっていたようです。

一般的に、1揃いが360組で構成され、「貝桶」に格納されます。

 

今回の展示では、360組を2基に分けて収めるための貝桶も2セット(つまり4基)、陳列されていました。

貝の内側に描かれている絵には3パターンのスタイルがみられるため、どうやらここに展示されている貝合わせ群は、3人の花嫁が持参したと推測されるのだそうです。

簡単な座敷遊びのように思っていましたが、こうして「全部」並べられると、結構、つがいの貝同士をあてることが難しそう。

それなりにハードなゲームと感じます。

貝の大きさや絵の表現も揃えなければなりませんから、制作する絵師、職人に求められるテクニックと根気も相当なものだったのでしょう。

実に贅沢、かつ、真剣な、遊びのための細工です。

 

 

所蔵している洛東遺芳館は、京の豪商として知られた柏原家のレガシーを住居ともども受け継いでいます。

しかし、ここに観られる絢爛豪華な貝合わせと貝桶、そのものの発注者は柏原家ではありません。

嫁入り道具だったはずですから、当然、ここに嫁いだ人の家が制作したものということになります。

 

柏原さんも大変なお金持ちなのですけれど、そこに嫁ぐ方も相当に財力がないと、貝合わせを持参できないわけですから、釣り合わない。

それが少なくとも3人分、おそらく三代分、あるわけです。

近世における富裕な町衆たちの、豊かに厳しい関係性が推し量られそうな遺産でもあります。

 

 

さて、その柏原さんは、京都での主な商売は終えているのですが、現在は東京日本橋と大阪博労町で「柏原紙商事」として企業経営を続けています。

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洛東遺芳館(らくとういほうかん)は、柏原紙商事の関連企業である漆器販売の「黒江屋」が実質的な運営を行なっていて、門にはこの屋号が書かれた札がかかっています。

柏原家のお宝を中心とした品々を、毎年春と秋、比較的短い期間ではありますが、展示しています。

派手さのない小規模な施設ですが、毎回、趣向を凝らしたコレクション展を継続。

1974年の開館ですから、来年は50周年のアニバーサリーイヤーということになるのでしょうか。

中小の私設美術館が次々と閉館する中、半世紀もの間、京阪五条で維持されてきたミュージアム

地味にとても凄いことだと思います。

 

今回は、同家に縁のある個人からの特別出陳として、円山応挙による「日記」も展示されていて、そこには天明8年から寛政2年頃までの応挙による、いわば「受注記録」のような内容が細かく記載されています。

几帳面、かつ、即物的な応挙のメモランダム。

研究者の方にはとんでもなく貴重なドキュメントなのではないでしょうか。

 

 

柏原家住宅は、五条通の南、問屋町通(といやまち)に門を構えていますが、その敷地は一筋西の川端通まで広がっていて、いわゆる「鰻の寝所」的な町屋とは規模が違います。

このミュージアムが素晴らしいのは、展示館だけではなく、住居部分を惜しみなく開放しているところ。

貝合わせの後、じっくり堪能しました。

 

白い塀を高くめぐらせた中には、二つの蔵をはじめ、住居空間や台所といった建物群がひしめいています。

京都市内の八割以上を焼き尽くしたという、天明の大火(1788)は、この住宅のある場所からさほど離れていない、宮川町の団栗辻子が火元といわれ、火の手は五条まで迫ったそうなのですが、柏原家は奇跡的に類焼を免れています。

さらに幕末、元治元年の通称「どんどん焼け」(1864)でも、東本願寺を含め、下京にあった大半の家屋が焼け落ちたのに対し、ここは鴨川の対岸にあったためか、無事でした。

 

実は、杉本家住宅をはじめ、現在、中京・下京あたりにある有名な町屋建築は、そのほとんどが、「どんどん焼け」の後、明治に入ってから建て直されたものです。

つまり柏原家住宅は、このあたりでは非常に貴重な江戸時代からの趣を残す京町家ということになります。

 

 

問屋町通側に店舗スペースをまとめ、洋風の応接間が玄関付近に増築されています。

おそらく相当に後代の改築改修がなされていますから、この屋敷に襖絵を描いた応挙や蕪村がいた時代からの建築がそのまま残っているとまではいえないでしょう。

しかし、格調高い陰影が美しく室内に現れる居室空間は、往時の雰囲気を十分とどめているようにも感じられます。

 

大岡春卜「唐子図」(洛東遺芳館)

主屋の玄関には、大坂画壇の狩野派大家、大岡春卜(1680-1763)が、その最晩年の宝暦13年に描いたとされる「唐子図」の衝立がポンと置かれていました。

勘違い系のプライドが鼻につく中京あたりの商家に比べ、貫禄が違います。

 

ただ、これだけの近世建築を維持し続ける苦労は並大抵のことではないのでしょう。

お庭などにはメンテが行き届かないところも散見されますけれど、不自然に新しく取り繕いすぎるより、はるかに味わい深いものがあります。