■2022年4月12日〜5月22日
■京都国立博物館
昨年10月、東京国立博物館から始まった「最澄と天台宗のすべて」展。
九州国立博物館での展示を終え、京博での最終巡回展がスタートしています。
九博展までは残念ながら追いかけられませんでしたが、東京・京都、両会場には足を運ぶことができました。
3会場でそれぞれ出展品が大幅に異なっていることが本展では大きな特徴になっています。
全ての会場に共通して展示された作品はおそらく2点くらいでしょう。
同じ作品でも、経典などの場合、各会場それぞれ別の巻を展示し、なるべく重複しないように意図されています。
たとえば聖衆来迎寺の国宝「六道絵」15幅は、東京、福岡、京都で分割展示です。
三ヶ所鑑賞しないと、地獄めぐりが完了しません。
「すべて」展なのですが、文字通りすべてを鑑賞するためにはすべての会場を巡らなければなりません。
しかも各会場、前期後期と展示替えがありますから、全作品の鑑賞にはとても高いハードルが設けられている巡回展です。
それだけ天台宗ゆかりのお宝が全国各地、膨大にあるということでしょう。
最澄記念イヤーを冠したタイトルが偉大なだけに、偏りなく天台宗各派各寺院に配慮する必要もあったと推測されますから、企画者のご苦労が偲ばれる大展覧会です。
逆にいうと、各会場それぞれの学芸員が特色を最大限に活かす展示計画が立てられたともいえるわけで、3会場が企画力を競っている面白さがあります。
京都展での展示は130点です。
東京展で最も目立った「大物」はなんといっても深大寺の巨大秘仏、良源像でした。
京都では恐ろしい元三大師像に代わり、日吉大社の大神輿がそのまま持ち込まれ迫力の存在感を放っています。
今回は平成知新館1階の仏像展示コーナーを総入れ替え。
いつもは特別展の間も鎮座している安祥寺の五智如来像にもいっとき収蔵庫にお移りいただいて、大阪・興善寺から修復を終えたばかりいう二体の巨大仏がお出ましになっています。
6つのセクションから成る構成は3会場で共通していますが、例えば「教学の深まり」と題された第5章は宸翰等を取り揃えた京都展での展示点数が他の会場より多く、逆に第6章「現代へのつながり」では江戸時代が中心となるため東京展の点数が若干多いなど、それぞれに特徴がありました。
中でも京都展で特に素晴らしかったのが、第4章「信仰の高まり-天台美術の精華」。
延暦寺が蔵する国宝、「宝相華蒔絵経箱」(京都展のみ)と「金銀鍍宝相華文経箱」(九州展と京都展)が並んで独立型展示ケースに入れられ、その後方には浅草寺から出展された、料紙が眩い国宝「法華経」巻第七(東京展では巻第二)が全て開陳されているという、平安工芸の粋を集めたような一室が設けられていました。
真言系美術のようにアイキャッチな作品が少なくさほど混雑しないと予測したのか、京都展では事前予約不要の扱いとなっています。
桜も散った平日の午後、鑑賞者は少なく、それなりに混雑していた東京展に比べると閑散といっても良いレベル。
おそらく今後共演しそうもない延暦寺と浅草寺の至宝をほぼ無人の空間で堪能することができました。
ただ、ちょっと残念だったのは、東京展でその素晴らしさに息をのんだ日野・法界寺の薬師如来立像の展示スタイルです。
上野では独立展示ケース内に設置されていましたから、この像の、特に後姿に施された平安工人による見事な截金の美しさを堪能できたのですが、京博内では壁面ケース展示のため、かなり見にくくなっていました。
しかし、この薬師如来立像については展覧会開催期間中に重要な研究成果がもたらされてもいます。
東博での展示後、像のCTスキャンが実施され、胎内に収められている薬師如来像の姿が撮影されました。
京博展では、さっそくその胎内像を3Dプリンタで実体化したものが法界寺像の横に展示されています。
最澄自らが彫った像ではありませんが、その伝承を受け継いできた小さく質朴な胎内像。
実際のイメージが確認できたことは驚きの成果だと思います。
法界寺薬師如来立像自体が滅多に拝観できない秘仏です。
寺外で展覧されること自体が今回初めてなのだそうです。
胎内像の実体化を含め、非常に価値のある展示だったと思います。
なお、東京展でも設置されていた「不滅の法灯」の再現コーナーが京博にも設営されています(ここだけ撮影OK )。
インスタニーズ等に応えての配慮と思われますが、展示室一部屋を丸々使うほどの価値があるのか、ちょっと疑問に感じます。
そもそも延暦寺根本中堂内、本物の「不滅の法灯」が持つ雰囲気は異様なほど荘厳で深い闇をも感じさせる神聖空間。
ハリボテで再現しても、逆に真の姿が遠くなってしまう印象です。
会場では2026年の完成を待つ根本中堂修復の様子をとらえた映像が流されています。
これで十分だと思いました。