企画展 石と植物
自前の収蔵品を中心にどこまで面白い企画が組めるか。
滋賀県美のキュレーターたちが、楽しく頭の中で汗をかいた雰囲気が伝わってくるような、素晴らしい展覧会でした。
昨年6月のリニューアル・オープンから約1年半。
このミュージアムは、再始動前、「滋賀県立近代美術館」と名乗っていました。
旧名から想像されるように、近現代作品のコレクション比率が高いわけですが、それに加えて、地元滋賀や京都ゆかりの日本美術、工芸などにも優れた作品が揃っている美術館でもあります。
ただ、尖ったモダン・アートと、文人趣味の日本画などを、何の脈略もなく「コレクション展」として披露されても食べ合わせとしていかにもチグハグだし、「名品展」という位置付けなら、昨年のリニューアル記念展ですでに一旦やり終えてしまった感があります。
そこで滋賀県美が持ち出してきたテーマが、「石と植物」。
キービジュアルとしてブランクーシによる「大理石」の写真が選ばれていたので、どうやらモダン寄りにまとめられていそうかもと想像していましたけれど、実際は、けっこう一筋縄ではいかない、捻りとスパイスが効いている内容で、噛みごたえがありました。
展示室内の数箇所に「石」が置かれています。
これは2011年に制作された松延総司による《私の石》。
一見、何の変哲もない中型の丸っこい石なのですが、実は全てセメントで形成された人造物。
触ることもできるコーナーが設けられていました。
確かに自然石にはないザラついた独特の触感が得られます。
自然と人工の境界が曖昧になりつつも、両方が凝り固まっているようなこの作品を点在させることで、企画全体にトリッキーな面白さがまぶされるような効果が生まれていました。
もう一つのテーマである「植物」はどうなのか。
会場の中に、松延総司の「石」に対応したような、フェイク・フラワーもツリーもありません。
代わりに東加奈子による2017年の映像作品《Eternal beloved》が上映されていました。
こちらは胡蝶蘭と見られる植物が生育されている花卉類プラントのような場所がとらえられています。
蘭は紛れもなく自然の産物ですが、その生育されている現場にはほとんど「土」がありません。
フラスコと試験管、ゴム手袋が活躍する、人造の限りが尽くされた世界に咲く「植物」。
この作品でも、自然と人工の境界が溶融しています。
上記二作に代表されるように、単に石と植物を題材とした作品を集めている展覧会ではありません。
ケネス・ノーランドの《カドミウム・レイディアンス》は、絵の具に含まれるカドミウムに注目してピックアップされた作品。
「石」をミネラルのレベルでとらえれば、こうした作品も企画テーマの中に絡め取られてしまうというわけです。
一方で、たとえば神山清子の信楽焼や杉田静山の竹工芸は、ある意味、素直に「素材」としての石や植物を芸に変容させているともいえます。
「石と植物」。
このやや茫漠としたテーマがおびきよせた全方位的な芸術作品の面白さ。
鑑賞者側にその主題を作品から読み取る面白さを委ねるような「余地」を残してくれているところも素敵でした。
一通り、石や植物の一般的な概念を頭の中でかき回された後で、幸野楳嶺による《松茸図》をみると、何となく安心する一方で、その形状把握のおかしさにあらためて心地よい違和感を覚えたりもします。
近代京都画壇における大先生としての顔の裏に隠されたこの画家のペーソスみたいな味が小さい画面から滲み出ているように感じられました。
こういう見え方というのは、おそらく「京都画壇特集」のような展覧会では得られなかったかもしれません。
明治の大家から平成生まれのアーティストまで、次々と現れる多彩な芸に全く飽きることができないラインナップ。
しかも、この展覧会、「外」に出ても楽しい。
野外作品として常設している山口牧生《夏至の日のランドマーク》と、植松奎二《置・傾/トライアングル》も本展の企画内に組み込まれています。
滋賀県美のある瀬田の「文化ゾーン」は、今、紅葉が見頃を迎えています。
「石」を想起させる二作品と、まさに正真正銘の「植物」である木々の共演が見られました。
展覧会はまもなく終了してしまいますが、野外展示作品は無料で見放題ですから、紅葉とのコラボはもうしばらく楽しめるかもしれません。