■2022年12月13日〜2023年2月12日
国立新美術館での展示を終え、李禹煥(Lee Ufan リ・ウファン 1936-)の大回顧展が兵庫県美に巡回してきました。
神戸展は「西日本初」と銘打たれています。
とはいうものの、乃木坂での展示も「都内初」でした。
2005年、横浜美術館単館で開催した特集企画展以来だそうですから、実質全国的な彼の大型企画展は今回が初めてといえるかもしれません。
「もの派」を代表するアーティストとして日本近現代美術史のテキストでは必ず登場する人物です。
この今更ながらの企画はやや意外な感じを受けますが、それには大きく二つの理由があったように思われます。
一つは、この作家の代表作である「関係項」のシリーズが、「固定できない」特性を持っているからでしょう。
例えば、「石とガラス」です。
その設置は展示される都度、李禹煥自身によって為されなければ、「作品」になりません。
素材自体は不変でも、毎回、「再創造」されなければならないわけですから、その数が増えれば増えるほど、ロジスティクス面も含めて展示の難易度が高まることになります。
もう一つの理由は、李禹煥という作家と「もの派」の複雑な関係性という美術史的な問題があると思います。
李禹煥は「もの派」を理論的に、つまりテキストとしてわかりやすく定義したという意味で大人物なのですけれど、作品そのものでみた場合、実はもっと「もの派」らしいアーティスト、例えば関根伸夫、菅木志雄といった人たちがいるわけです。
「李禹煥=もの派」という強い等価の「関係項」をことさらに鑑賞者に意識させてしまって良いのか、という難問です。
本来なら他の「もの派」アーティストたちを含めたり、同時代でありながら「もの派」の対極にあったコンセプチュアル・アートとの関係性を示しながら展示した方が、李禹煥単体でとりあげるより、この作家自身と「もの派」そのものをはるかにわかりやすく鑑賞者に示すことができるように思えるのです。
つまり「李禹煥特集」は、展示方法と企画性双方で、キュレーターをとても悩ましい事態に巻き込むことが想定されるわけで、こうした事情も大回顧展を今まで開催しにくかったことにつながっているような気がします。
今回の企画展は、李禹煥自身が全面的に作品の選定から展示まで支配しています。
したがって前述の「再創造問題」と「もの派との関係」、二つの難題を、ある意味、すっきり解決しているともいえます。
80歳代後半を迎えているこの大家の自選レトロスペクティヴとして非常に意義のある企画となっているのではないでしょうか。
会場内のあちこちに作家自身の言葉が記されています。
人間は建てようとし、自然は戻そうとする
私はその両面の見える門を提示する
Humans try to build,nature tries to restore itself
I present the gate where both sides can be see
(会場内展示より引用)
「関係項」シリーズを観ていると、まさにこの彼自身の言葉そのものが現されているように感じます。
石=自然、鉄板やガラス=人工。
とてもわかりやすい。
しかし、今回、まとめてこれらの作品を観て、それはそうなのかな、という嬉しい困惑をちょっと感じてもいるのです。
展示されている石はまぎれもなく「自然」が産み出したもの。
それに嘘偽りは微塵もありません。
でも、こうして展示されている「石」は全くの純然たる自然といえるのかどうか。
鉄板やガラスと対峙している石は、その辺に転がっていたものではなく、李禹煥の眼が捕捉し、選び抜いた「石」です。
素材としての自然性に揺るぎはありません。
しかし展示物としてのこの「石」は作家の眼によるフィルターが鋭く強靭に自然界から抉り取ったものでもあるわけです。
逆に「鉄板」や「ガラス」は、これも紛れもない「人工物」です。
とはいえ、鉄もガラスも、純粋な工業用製品の類は別にして、100%人為のコントロールによって生成されているわけではありません。
そこには温度や湿度、成分構成といった、複雑な自然の影響が縦横無尽に入り込んでいます。
つまり「石」も「鉄板」「ガラス」も、その関係性において「自然 X 人工」ではなく、「自然X人工 と 人工X自然」として見えてくるのです。
その関係性は、対立しているようでいて、実は、相互に溶け込み、静かに響きあっているようにも感じます。
「関係項」におけるスタティックな美しさの秘密がちょっと自分なりに理解できたような気がしました。
話は変わりますが、今年の秋、滋賀県立美術館が開催した「石と植物」展を鑑賞しました。
そこにも面白い「石」が置かれていました。
松延総司(1988-)による「私の石」(2011)です。
一見すると、李禹煥が「自然」から選び取った石と似たような丸い形状をしています。
しかし、これはセメントで造られた完全なる人工物です。
展示室内の人工的な空間で見ると、この「私の石」はほとんど本物の石と見分けがつきません。
ところが、実際の大地においてみると、突然、その石は「人工」の顔を野蛮なまでに明らかにします。
自然がセメントの石を断固、異物として排斥する光景に慄然とします。
李禹煥が「自然と人工」を美しく関係させた時代からすでに半世紀以上。
そして松延総司が2011年、「私の石」で試みた「自然と人工」の容赦なく相容れないその関係性。
「もの派」がもはや優美に見えてきてしまう時代になりました。
なお、李禹煥展での作品写真撮影は平日のみ可能となっています。
展示の関係上、注意しないと作品とぶつかってしまうリスクがありますから、それに配慮した措置と思われます。