竹内栖鳳「徽宗の猫」と「省筆」

 

特別展 没後80年記念 竹内栖鳳

■2022年10月6日〜12月4日
山種美術館

 

竹内栖鳳(1864-1942)が、今は無き湯河原の名宿「天野屋」の敷地内に建てた別荘で没してから今年で80年。

これを記念し、広尾の山種美術館では、同館自慢の栖鳳コレクションに加え、初公開の個人蔵作品をも投入しての本格的な回顧展が開催されています。

www.yamatane-museum.jp

 

例の「斑猫」が会場入口近くにさっそく展示されていました。

個人的に、日本画に写された動物、正確には哺乳類をあまり好まないのですが、何点か例外もあって、とりわけ「栖鳳の猫」には、何度見ても不思議に眼が吸い寄せられてしまいます。

この極めて有名な作品について栖鳳自身が語った言葉が残されています。

以下に一部引用してみます。

 

 画家が画筆を執る場合、大略これを二つに分けることができるだろうと思う。
 第一の場合は、その画家の長い間の画的生活から、観察や写生の上から、今描こうとするものが、すっかり呑み込めていて、猫も見ず、スケッチも参考とせず、思うままに描いてしまう場合。
 第二の場合は、ふと猫を見て、その瞬間、「猫を描こう」と決心して、その生きた猫を手本として描く場合。
 わたしの描いたあの猫の画はこの第二の場合である。(昭和8年8月 「文藝春秋」11巻8号「涼台小話」より)

 

竹内栖鳳は、この文章の中で彼自身が定義している「第一の場合」「第二の場合」、その両方において特級の芸をもっていた人です。

ただ、当然に「第二の場合」の方が手間と時間がかかります。

長く画業を積んだ天才栖鳳であれば「第一の場合」で描いたとしても、その猫は十分、「画」として成立したはずです。

しかし、「斑猫」については、沼津で偶然見つけた猫にすっかり魅入られた栖鳳が、諸々苦心しつつも、この「生きた手本」をなんとか京都まで一緒に連れて帰り、あえて「第二の場合」を選んで描き込んだ作品。

 

なぜそこまで面倒なことをしてまで「猫を描こう」ということになったのか。

そのおそらく答えも、上記「涼台小話」の中にみることができます。

栖鳳は、沼津の猫を見た時、「ははあ、徽宗皇帝の猫がいるぞ」と無意識のうちに言葉を発していたのだそうです。

徽宗といえば、細密を極めた描画で知られる中華皇帝。

現在では、とても皇帝本人がそこまでの技術を持っていたとは考えられないとして、日本に残る作品は「伝徽宗」とされることがほとんどです。

でも昔はそんなことは気にせず、一定の伝承伝説と、それっぽさがあれば、おおらかになんでも「徽宗」としてしまっていたわけで、栖鳳がイメージしていた「徽宗の猫」もそうした一枚だったのでしょう。

 

ただ、常軌を逸したような「それっぽさ」を備えた作品も伝来しています。

例えば、先日、久しぶりに京都国立博物館に数日間だけ展示された「伝徽宗」筆とされる国宝「桃鳩図」(「茶の湯」展)などを見れば、その超人的な細密描写と気品高さに圧倒されるわけです。

栖鳳が沼津の猫を「徽宗の猫」だと直感した瞬間、それは「第一の場合」、つまり頭の中のイメージと筆に染み込んだ技だけで描く方法ではなく、ある程度覚悟を決めて対象と向き合い、徹底的に技巧を凝らす方法、すなわち「第二の場合」にならざるを得なかった、ということになると思います。

実際、「斑猫」と向かい合うと、画家自身がこの絵に投入した全才能が毛の一本一本まで染み渡っているように感じられるし、とりわけ印象的な虹彩のエメラルドグリーンは、まさに「桃鳩図」にあらわされた鳩の胸羽の色合いに通底するようでもあります。

非常な傑作であることを再認識しました。

 

「斑猫」に代表されるその超人的に細かい筆使いの巧さ。

でも、反対に、とても少ない筆数で対象物の真実をさらりと描いてしまうのも栖鳳らしさだと思います。

会場内に掲示されていた、栖鳳による「省筆」と題された短い言葉がとても参考になりました。

以下に引用します。

 

日本画は省筆を尚ぶが、充分に写生をして置かずに描くと、どうしても筆数が多くなる。写生さえ充分にしてあれば、いるものといらぬものとの見分けがつくので、安心して不要な無駄を棄てることができる。(「国画」昭和17年9月 「栖鳳語録」より)

 

例えば、「ぐじ」を描いたとみられる初公開の「海幸」(個人蔵)では、本当に少ない筆数なのに、本物よりも美味しそうに見えてくる栖鳳流のリアルがみてとれました。

筆を省く、ということは決して「ヘタウマ」と同義ではなく、徹底した写生の積み重ねをふまえた上で、「無駄を棄てる」ことによってはじめて浮かび上がる、「対象物のエキス」をどう抽出するかという画法なのだと思います。

おそらく、この「省筆」の妙技は、多くの場合、先に見た「第一の場合」で発揮されるのでしょう。

栖鳳によって、全く手抜き感が排除された「省筆」による名品の数々が展示されていました。

 

テクニックだけではなく、紙自体や墨といったマテリアルにもこだわりを見せていたという栖鳳が描いた水墨画の幻想美にもとても惹かれました。

「斑猫」を除けば、さほど有名作が並んでいるわけではありませんが、彼の非常に多彩な芸を楽しめる特別展でした。

 

それと、栖鳳ゆかりの京都画壇作品も大変な充実ぶり。

村上華岳の大作にして大名品「裸婦図」が、栖鳳没後80年に敬意を表しているかのように、特別公開されています。

気品と官能を高次に両立させたこの作品は、技巧面における華岳の凄さを感じさせる代表作ですが、一方でこの人も、栖鳳がいう「省筆」の美しさをとても大事にしていた画家でした。

(文中引用した栖鳳の言葉は山種美術館が発行している「竹内栖鳳作品集」を参照しています)

 

竹内栖鳳「斑猫」(山種美術館で撮影)