春日大社若宮国宝展と藤原頼長



式年造替記念特別展
春日大社 若宮国宝展 ―祈りの王朝文化―

■2022年12月10日〜2023年1月22日
奈良国立博物館

 

平安時代末期、院政期に生み出されたおそらく最高の工芸美は、京都ではなく、奈良にあります。

今年10月の式年造替完了を記念し、その春日大社若宮神宝類がまとめて奈良博で公開されました。

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神社関係者でもない限り、日常的に「撤下(てっか)」という単語を使うことは、滅多にないように思います。

神様に奉じていた宝物を神域から下げいただくことを指す言葉です。

 

本展で出陳されている品々の多くがこれにあたるわけで、奈良博によって添えられた解説文にも「撤下」が頻繁に登場するのですが、「おさがり」とはいえ、国宝です。

「若宮御料古神宝類」として国宝指定されている平安工芸の数々が一堂に会した豪華展。

小さいものでは高さ数センチの金銀鶴から、1メートルを超える鉄製の鉾まで。

これほどまとまった数で一気に公開されることは珍しい機会といえそうです。

 

春日大社若宮の造営を主導したのは当時の関白、藤原忠通です。

1135(長承4)年、鳥羽院行幸を仰ぎつつ、平安京から大行列が奈良にくりだされ、遷座の儀式が盛大に執り行われたとされています。

しかし現在残されている神宝類を代表する工芸品には、忠通より、彼の父である藤原忠実、そして弟頼長の名前の方が強く関係しているようにみえます。

 


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たとえば「平胡籙(ひらやなぐい)」という武具。

矢を背中で携行するためのリュックサックのようなものです。

正倉院宝物から受け継がれてきた王朝工芸の到達点が表された名品だと思います。

繊細優美なデザインとそれを実現した脅威の漆芸技法に目を奪われました。

 

平胡籙は非常に華麗な来歴をもった品としても知られています。

1131(大治6)年、崇徳天皇鳥羽上皇の三条殿に行幸した際、供奉していた藤原頼長(1120-1156)が身につけていたことが記録されているのだそうです。

天皇の供をしたといっても、頼長はこの時まだ10歳を少し超えたばかりの少年。

崇徳天皇(1119-1164)にしても頼長より1年ほど年長に過ぎません。

後に保元の乱を引き起こすことになる当事者たちが、年少ゆえにまだバランスを保っていた頃に造られ、使われ、奉じられた逸品です。

 

小さな「平胡籙」の発注者は頼長の父である藤原忠実と推定されています。

兄の忠通より頼長を溺愛したという忠実の思いが結実しているような、当時最高の美意識とテクニックが投入された工芸。

1136(保延2)年、若宮に奉納されました。

 

 

 

その頼長本人がおそらく発注し、春日大社に奉納したと推測されるのが、神宝中、最も有名な作品である「金地螺鈿毛抜形太刀」です。

これは若宮ではなく大宮本殿からの撤下品ですが、欠くことができない名品として出展されています。

 

比較的よく公開される機会がある国宝。

でも今回はその展示の仕方に大きな特徴があります。

一般的には太刀を受ける台座に据えられて展示されるのですが、本展では水平型のケースにペタンと置かれています。

結果、非常に近接してこの太刀を真上からじっくり観察することができます。

金無垢に魚子で仕上げられた金具や螺鈿の猫や雀をこれほど鮮明に見ることができたのは初めてでした。

ある意味、春日大社の宝を知り尽くしている奈良博らしい展示スタイル。

じっくり堪能することができました。

 

それにしてもこの太刀にあしらわれた図像はミステリアスな魅力をもっています。

跳び回る猫と、それに追いかけられる雀の構図。

雀はついには猫に捕えられ、多分、この後、食べられてしまうのでしょう。

神に奉じられた太刀としては、みようによってはかなり物騒な内容が表されているようにも感じられます。

 

この太刀を頼長奉納とする説の根拠となっているのが、彼の日記『台記』に記されているというエピソードです。

可愛がっていた「猫」が死んだ際、丁重に葬った記録があるそうです。

もし、頼長自身が猫を意識して発注したと仮定すると、その図像表現にも細かく口を出していたことが想像できます。

では、捉えれられ、食べられてしまう雀は何を象徴しているのか。

色々と想像の楽しみを与えてくれる名剣です。

 

なお、この太刀の横には宮内庁書陵部が蔵する『台記』の鎌倉時代に写された古い版も展示されています。

春日大社参詣の一日を記録した部分で、頼長の几帳面な性格がよく表されています。

他方で、というかその几帳面さの延長で、この人は自らが引き起こした暴力事件や男色関係もきっちり真面目に記録していたわけで、「猫と雀」のデザインも含め、その複雑で多面的なキャラクターが非常に魅力的な人物でもあります。

 

それと、忘れてはいけないのが、現代の名工たちによる神宝類の模造。

模造といってもそのクオリティは本物、ひょっとすると、本物以上かも知れないレベルです。

特に本物では全体の形が失われている「平胡籙」の再現は、頼長が身につけていた往時の姿を彷彿とさせる典雅さが素晴らしい。

とにかく贅沢な展示です。

前後期の別は設けられていません。

ただ主に12月27日を境にして展示品の一部が入れ替わり、「春日権現験記絵」も巻十三から巻七にシフトするなど、見どころが変わります。

 

主に奈良博東新館での展示が中心で、西新館では若宮展とは別の仏教関連名宝展が開催されています。

しかし、ところどころに春日大社ゆかりの仏教美術や典籍がはめ込まれていて、響き合っている展示内容。

浅草寺の燦く法華経が、奈良博の金光明最勝王経と並置されていたりして、びっくりの豪華共演が見られたりしますから、「常設展」として軽く流し見ようとするととんでもない時間がかかったりします。

相変わらず油断ならない奈良国立博物館です。