浄瑠璃寺の秘仏 薬師如来 |「聖地 南山城」展

 

浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念
特別展「聖地 南山城 ー奈良と京都を結ぶ祈りの至宝ー」

■2023年7月8日〜9月3日
奈良国立博物館

 

奈良博、今年度における渾身の大企画、「聖地 南山城」展が開幕しています。

鹿たちもグッタリしている灼熱の奈良公園内。

しかし、酷暑をなんとかかいくぐってでも訪れる価値のある特別展に仕上がっていると思います。

圧倒的感銘を受けました。

yamashiro-nara.exhn.jp

 

図録の中で、山口隆介奈良博主任研究員が指摘しているのですが、この「南山城」という呼称が普及したのは、2014年に京都国立博物館で開催された「南山城の古寺巡礼」展の影響が大きいようです。

ただ、京都と奈良の境、木津川流域を中心とするこのエリアは、例えば京都の天気予報における区域割ではザックリと「京田辺」あたりにまとめられてしまいますから、特別な地縁でもない限り、「南山城」という言葉が一般的に意識される機会は、京都市内ですら、それほど多くはないかもしれません。

 

それでも、本展に登場する寺々は、いずれも極めて独特の歴史と文化をもっていて、「京都でも奈良でもない」、確かに「南山城」としか形容できないような特性を帯びているようにも感じられます。

どちらを海水とするか淡水とするかは別にして、強引に喩えるとするなら、「平城京」と「平安京」の水が混淆し、不可思議に濃厚な「汽水域」を形成している聖域です。

 

この地域を代表する寺院の一つである笠置寺のホームページに面白いメッセージを見ることができます。

 

(以下 笠置寺「交通・拝観」ページより引用)

"地図で探せば「近畿の真ん中」 

鉄道なら、大阪・京都から約1時間。

名古屋からでも約2時間。

近くて遠い、遠くて近い、不思議な町です。"

kasagidera.net

 

 

笠置町は、地図でみると、確かに紀伊半島の付け根部分のちょうど真ん中あたりに位置しています。

ところが、京都からも大阪からも、笠置寺にたどり着くためには、決して本数が多いとはいえないJR関西本線笠置駅から歩いて45分もかかります(駅からのバス便はなし)。

まさに「近くて遠い / 遠くて近い」地域なのです。

南山城にある寺社仏閣の多くが、素晴らしい名宝を所有しているにも関わらず、あまり「観光擦れ」していないのは、この微妙な地理関係にあるのかもしれません。

 

木津川市浄瑠璃寺も、笠置寺ほどではないものの、アクセスが良い場所にあるとはいえません。

普段は、人気観光スポットというより、隠れ里的に静かな名刹です。

今回の「聖地 南山城」展では、全編がハイライトと言っても良いくらい素晴らしい作品が並んでいますが、なんといっても最大の目玉はこの寺のお宝群でしょう。

一室を丸ごと使って、二度と再現できそうにない「浄瑠璃寺空間」が奈良博内に出現しています。

 

5年余りの歳月をかけて順次修復が進められてきた浄瑠璃寺の国宝「九体阿弥陀如来坐像」。

一番最後に作業が完了した「その1」と「その8」の二駆が、寺に戻される前の機会をとらえて、出展されています。

まばゆいばかりに輝く金箔が残る全身ゴールドの阿弥陀仏が並んで鎮座していました。

 

まず、驚くのは二駆のもつ、その面相の違いです。

やや下ぶくれ風にたっぷりとした輪郭をもつ「その1」が、どちらかというと静かな威厳を感じさせるとすれば、「その8」はまるで少年のような朗らかさがとても印象的。

ボディのスタイル自体がほぼ同一ゆえに、余計、そのキャラクターの違いが際立って感得されると思います。

浄瑠璃寺本堂内でも、九体阿弥陀仏は比較的、近接して鑑賞することができます。

しかし、こうしてミュージアム空間で間近に接すると、寺内とはまた違った強烈な存在感が放たれているように感じられます。

 

なぜこうも表情が違うのでしょうか。

図録解説を読むと、九駆の阿弥陀仏は、単一仏所ではなく、異なる仏師集団に分担して請け負わせ制作された可能性が指摘されています。

それはおそらくその通りなのでしょうけれども、ここまでキャラの違いがはっきり彫り分けられていると別の理由を妄想したくなってくるほどです。

平等院や法界寺に代表される典型的な定朝様阿弥陀如来が、ある種の超越的な崇高さを帯びているのに対し、浄瑠璃寺阿弥陀仏たちには、どこか、人懐っこい「個性」が感じられます。

どういう人たちが、どういう信仰心をもってこれらの阿弥陀如来を造仏したのか。

興味が尽きません。

 

また、浄瑠璃寺内では絶対に観ることができない、二駆の「背中」や、分離展示されている「光背」の見事な彫刻デザインもじっくり視認することができます。

とんでもなく貴重な鑑賞機会になっていると思います。

 

さて、浄瑠璃寺の「本尊」は、この九体阿弥陀仏だけではありません。

普段は国宝三重塔内に安置されている秘仏薬師如来坐像」(重要文化財)も本尊です。

というか、寺の名前である「浄瑠璃」は、そもそも阿弥陀如来ではなく、薬師如来が統べる「東方浄瑠璃世界」に因んでいるわけで、この寺院のルーツを辿れば、オリジナルの本尊はこちら、ということになります。

本展では、阿弥陀如来二駆のまさに「東側」に、この秘仏本尊がしっかり出張し、修復完了を寿いでいます(8月6日までの展示です)。

 

薬師如来坐像は、毎月8日とお彼岸、お正月の数日、三重塔内で開帳されますから、いわゆる「絶対秘仏」ではないのですけれど、こうして十分な光度のもと、近接して鑑賞できる機会は滅多にありません。

この仏像がまたすごい迫力をもっています。

高さは85.7センチと、さほど大きい像ではありませんが、秘仏として扱われてきたため、彩色がしっかり残っています。

平安時代、11世紀頃の作と推定されています。

弘仁期彫像にみられるようなむっちりとしたマッスはそれほど感じられません。

かといって、定朝様の優美な平安スタイルで整えられているわけでもありません。

緊張感と安定感が絶妙なバランスで融合している彫像なのです。

 

浄瑠璃寺は、位置的には京都というよりかなり奈良寄りの場所にあります。

近世までは主に興福寺支配下にあり、南都の寺院といっても良いくらいの性質をもっていました。

この創建時からの本尊とみられる「薬師如来坐像」には、すでに平安京で主流となりつつあった優美な仏像のスタイルをとりいれそうでいながら、それより少し前の、緊張感のある質実な様式性が微妙に堅持されています。

不思議にユニークなこの薬師如来坐像からは、「奈良でも京都でもない」、まさに「南山城」的な仏の美が漂ってくるようです。

 

非常に貴重な文書であるこの寺の縁起を記録した『浄瑠璃寺流記』(重文)が仏像たちとともに展示されています。

ここに記されている、創建に大きく貢献した「阿知山大夫重頼」という人物は、全く謎めいていて、どのような政治経済力を持っていたのかわかっていません。

ただ、その名前が残っている以上、そこそこの実力はあった人なのでしょう。

強力な貴族でも豪族でもなかった阿知山大夫という檀那のストレートに鋭い信仰心が、秘仏本尊薬師如来の姿に写されているようにも想像されました。

 

東博内で展示された十二神将像の5駆

さらに、今回、奈良博は粋な計らいで秘仏薬師を迎え入れています。

かつてこの本尊を取り囲んでいたと推定される「十二神将立像」の全てを、東京国立博物館静嘉堂文庫から取り寄せ、薬師如来の左右に同時陳列しています(重文)。

東博所有の5駆は、上野で常設展示される機会もあり、見慣れた像でもあったのですが、こうして全部集合した姿であらためて鑑賞すると、像たちの個性的な存在感がそれぞれに響き合い、共鳴するような効果が生み出されているように感じられました。

十二神将像が廃仏毀釈の影響で浄瑠璃寺から流出したのが1884年頃とされていますから、実に約140年ぶりに教主とその眷属たちが勢揃いしたことになります。

こうした共演もおそらく今後、滅多に望めないかと思います。

 

浄瑠璃寺灌頂堂に存置されている、端正な「大日如来坐像」も阿弥陀如来修復完了を祝して出陳されています。

この像は、運慶の師父、康慶の作とも推定されるそうです。

浄土世界の阿弥陀如来浄瑠璃世界の薬師如来、そして真言密教の教主大日如来

まさに浄瑠璃寺仏の大集合が見られる、稀有な展覧会です。

 

浄瑠璃寺 三重塔

 

なお、本展は9月16日から東京国立博物館でも「京都・南山城の仏像」展として開催予定ですが、企画展用の平成館ではなく、本館内の一室(特別5室)での展示なので、規模は縮小されることが予想されます。

とにかく暑くて大変ですが、この方面がお好きな方は、奈良まで足を運ばれることをお勧めいたします。

yamashiro-tokyo.exhn.jp