名品展 珠玉の仏たち
■2023年12月19日~(終期未定・一部3月24日までの限定展示あり)
■奈良国立博物館 なら仏像館
「なら仏像館」はほぼ常設展用の施設ではあるのですが、地味に展示作品を入れ替えたり、期間限定の特別公開品をときどき紹介しているので、意外と訪れるたびに面白い彫像とめぐりあえる愉しみがあります。
昨年末頃に展示が一部入れ替えられたようなので久しぶりにじっくり鑑賞してみました。
奈良博は自身が所蔵するコレクションを中心として限定的に写真撮影を可能とする方針をとっています(寺社や個人等からの寄託品は原則不可)。
これは、コレクション展において館蔵品の撮影をほぼ全面的にOKとしている東京国立博物館と、寄託品の比率が高いために館蔵品を含めて一律撮影NGとしているとみられる京都国立博物館の、ちょうど中間的な措置ともいえそうです。
2021年夏に開催された「奈良博三昧」展では全ての出展品を撮影可能とするなど思い切った企画を打ち出したりしていましたから一定の撮影ニーズを意識しているのかもしれません。
作品の写真撮影可否について、私自身はミュージアム各々の方針を尊重しています。
ただ、カメラでとらえたとき、被写体が肉眼とは違う独特の表情を出したりする面白さがありますから、可能であれば、気に入った作品については、他客に配慮しつつ撮影することにしています。
なお一部のスマホで生じるシャッター音問題については、撮る側としても音を聞かされる側としても一応、解決しています(方法については以前雑文の中で何度か記載済みです)。
さて、なら仏像館に陳列されている仏像の中には、前述の通り、数は少ないものの、撮影OKとされている作品があります。
その彫像たちが結構おもろしいのです。
亀岡にある大宮神社に伝わったという「観音菩薩立像」は10世紀、平安時代中期の作とされています。
高さ約173センチ、ヒノキの一木造りで彫り出されています。
大宮神社はもともと行基創建とされる「萬願寺」の鎮守社でした。
寺には10躯もの平安仏があったそうです。
ところが寺と鎮守社、その主従的な関係が逆転し、萬願寺の方は廃れてしまい仏像も流出しました。
この観音立像もその中の1躯です。
内刳が施されていない、みっちりとしたボリュームをもつ彫像にもかかわらず、迫力よりも不思議な優美さが感じられます。
天真爛漫な純粋さと超越性、そして親しみやすさという、相反しそうな要素が溶けあっている表情も極めて独特です。
解説板のコメントによれば「平安時代初期の密教彫刻の系譜を引く」のだそうですが、見れば見るほど誰か身近な人に似ているような感覚を覚える面白い観音像です。
続いてかつて新薬師寺に存置されていたという「十一面観音菩薩立像」です。
12世紀、平安時代後期の作。
顔の中心に目鼻などが集められています。
この像をみてすぐ想起させられた仏像があります。
日野、法界寺にある国宝「阿弥陀如来坐像」です。
定朝によって完成された典雅な平等院の阿弥陀仏に代表される様式が、その後、次第に独特の「硬さ」を帯び、形式化していった仏像彫刻の流れが法界寺阿弥陀仏には感じられるとされています。
この新薬師寺伝来の十一面観音も、どこか独特の「硬さ」が表情に現れているのではないか、そんな印象を受けます。
ただ、それは決して魅力的ではないということではなく、法界寺阿弥陀同様、これはこれで当時の信仰に裏打ちされたスタイルとしてユニークな価値をもっています。
やや小ぶりながら優美に色気を醸して俯く「如意輪観音菩薩坐像」。
もともとは大阪、四天王寺内にあった蓮華蔵院の本尊だったと考えられています。
造立年がはっきりしている仏像です。
胎内納入品の中にあった「般若心経」奥書から、乗信という僧の発願により1275(建治元)年に彫られたことが判明しています。
北条時宗が幕府執権だった頃に造られたということになります。
鎌倉彫刻らしい写実性というよりも、大陸風の様式美が現れていて、その表情はスタイリッシュな美しさも兼備していると感じます。
四天王寺が西大寺中興の僧、叡尊の影響下にあった頃の造立とみられることから、奈良博では、叡尊が重用した善派仏師の手によるのではないかと推論しています(「奈良博三昧」展図録の山口隆介による解説より)。
「方形独尊坐像塼仏」は高さ20センチにも満たない小型レリーフです。
北斉あるいは隋の時代に製作されたと推定されています。
いまだに渋く輝く金箔とともに驚くのは、如来を囲む装飾的な植物文様がみせる独特の生命力です。
植物というより人の手に持たれた扇のようでもあり、悟りを開こうとする釈迦を礼賛しているかのごとき祝祭性を感じます。
中大型塼仏とは違った味わいがありました。
さて、こちらは撮影禁止仏なのですが、3月24日までの限定特別公開品として普門院の「不動明王坐像」が紹介されていました。
普門院は長谷寺の塔頭で桜井にあります(お参りしたことはありません)。
この像が安置されている不動堂が2023年夏から修理に入っていることから奈良博が一時的に預かっているのだそうです。
もともとは同じく桜井にある大神神社の神宮寺「平等寺」にあった不動明王です。
1875(明治8)年、廃仏毀釈の中、幸いにも普門院の本尊として迎え入れられたのだそうです。
素晴らしくミステリアスな像です。
頭上に噴水のような面白い造形がみられます。
「頂蓮」という不動明王に独特な表現ですが、奇妙に様式化されているので、どこかユーモラスな雰囲気を像全体に与えています。
表情自体は厳しく、不動明王としての役割を表現しつつも、写実よりもキャラ立ちが優先されているようで、一度見たら忘れられない個性的な面相を有しています。
写真ではよくわからないのですが、実物はかなり大きく、黒々とした表面の凄みも相まって異様な存在感を放っていました。
これは必見の仏像芸術だと思います。
さて、なら仏像館の最終コーナー第13室には「破損仏像残欠コレクション」がまとめて展示されています。
手や足だけが残された痛ましい仏教遺産群なのですが、中にはとても味わい深い作品があったりします。
「如来立像」と簡単に表記された1躯のなんとも言えないその表情に惹かれました。
企画展の後だと疲れてしまい、流し見て終わってしまうことが多い仏像館ですが、比較的閑散としているこの時季、じっくり堪能するのも良いかもしれません。