特集企画「みんなのジャック・ロジエ」の中で紹介された一本、「トルテュ島の遭難者たち」( Les Naufragés de l’île de la Tortue 1976)。
本邦では劇場初公開なのだそうです。
初見となりました。
久しぶりに、ある意味、「狂った」作品に出くわしてしまった印象。
凄いものを観させてもらいました。
2019年に4Kレストアされています。
フィルム的な味わいをさほど損なうことなく、海の青や夕暮れの色調が鮮烈に再現されていました。
おそらく撮影用の照明が全く使われていないこの映画を特徴づける、底抜けの暗さと明るさがよく感じとれると思います。
さて、本作に関するウィキペディアをみると、簡潔な文章の中で「興行的にはふるわなかった」と残念な解説が書かれています。
それはそうだったのだろうなあ、と思いました。
タイトルや広宣文句から想像させられる本作の内容は、無人島でのサバイバルをメインとしたドタバタ系コメディあたりだろうと推測できます。
ところが、肝心の「無人島」が現れるのは終盤近くであり、上陸後の場面は2時間半近くかかるこの映画の中では、ほんの一部の比率を占めるにすぎません。
実は「トルテュ島の遭難者たち」ではなく、「トルテュ島上陸前の遭難者たち」が執拗に描かれている映画なのです。
騙された、と感じる観客がいても全く不思議ではありません。
主人公の旅行代理店社員、ボナヴァンチュール(ピエール・リシャール)は、どうやら妄想と現実がごちゃごちゃになりがちな人物のようです。
ところが、この人は微妙にズレた実務的行動力も持ち合わせてしまっているために、自身が企画した支離滅裂な「ツアー客ほったらかし企画・ロビンソン・クルーソー体験無人島旅」を雇用主から任されるという状況に追い込まれてしまいます。
妄想と行動力。
この、ボナヴァンチュールの迷惑極まりない気質が生み出してしまった悲喜劇にツアーの参加者たちが巻き込まれ、実はありもしないカリブの無人島、「トルテュ島」(トータス島、つまり亀島です)に連れていかれるというお話です。
極めてユニークなキャラクターをもつボナヴァンチュールという人物は、ツアーを引率しながら、次第に自分自身をロビンソン・クルーソーと勝手に同一化させていってしまいます。
この何かに盲信的にとりつかれてしまう有り様は、クルーソーというより、どこか「ドン・キホーテ」を思わせるところがあります。
成り行き上、彼の相棒役になってしまったプティ・ノノ(ジャック・ヴィルレ)は、クルーソーにとっての「フライデー」と位置付けられ、実際、そんな役回りでこき使われています。
しかし、この飄々としながらボナヴァンチュールと行動をともにする太った小男は、むしろ、「サンチョ・パンサ」のイメージに近いかもしれません。
めちゃくちゃな設定でありながら、ロジエは、ひょっとするとセルバンテス的な古典のエキスを意識していたところがあるようにも思えます。
プロットは笑うしかないコメディですが、全く下品さを感じさせない、この映画の不思議な雰囲気のベースには、こうした監督のセンスがあるのかもしれません。
とはいえ、この映画、明らかにまともではありません。
ジャック・ロジエという監督の「狂気」がジワジワと迫ってくる「コメディ」です。
スタジオセットらしいものは登場しません。
全て現地ロケです。
その環境が悲惨です。
無人島に向かうための港に出るため、ツアー客一行は延々と険しい熱帯の山岳地帯を歩かされています。
これが「芝居」とは思えないのです。
実際、延々と歩かされているようにしか見えません。
もちろんずっと行軍させられていたわけではないのでしょうけれど、灼熱の中、樹木が生い茂る急勾配の細道を荷物を背負いながらのアクションはおそらく相当にストレスフルだったはずです。
海に出たら出たで、観ているこちらが船酔いしそうな波にカメラもキャストもスタッフも、そして、なぜかビリンバウ片手に乗り込んでいるナナ・ヴァスコンセロスも、多分、本当に翻弄されています。
究極は、ボナヴァンチュールとプティ・ノノによる「遊泳」シーンです。
演じているリシャールもヴィルレも本当に船から海中に飛び込んで、波に身を任せているように見えます。
どれだけの「保険」をかけて彼らは撮影に参加していたのでしょうか。
まともな保険会社や旅行代理店ならおそらく採算に合わないとして断ったのではないかというレベルの生々しい演技が記録されています。
あまりにも過酷な撮影状況に、観ているこちらがヘトヘトになってきます。
規模は全く違いますが、これはヘルツォークの「アギーレ/神の怒り」並みのハードさかもしれません。
撮影時、ジャック・ロジエ(Jacques Rozier 1926-2023)は50歳前後。
キャストやスタッフの忍耐力にも驚きますが、監督自身、相当にタフな中年男だったということでしょう。
ボナヴァンチュールの「妄想と行動力」は、突き放してみてしまうと、あまりにもバカバカしく感じられると思います。
しかし、この映画は、観客にそうした「第三者的」な姿勢を許さないのです。
照明や小道具といった人工的な映画装置を極力排除したロジエのスタイルは、もはや「ヌーヴェル・ヴァーグ」的なレベルを超えていて、あまりにも「生」です。
結果として、この「トルテュ島の遭難者たち」は、観客すら「遭難者」として現場に巻き込んでしまいます。
とにかくこの「臨場感」は異様です。
映画の中で、ツアー客たちは途中から「騙された」ことに気がついています。
でも、結局、「成り行き」に身を任せるしかありません。
「トルテュ島の遭難者たち」の内容を勝手に予想しながら観ていた映画の鑑賞者も、成り行きに任せるしかなくなってしまう狂気の146分間。
騙される快楽が約束されている映画、かもしれません。