ジャック・ロジエ「メーヌ・オセアン」 の「現場」

 

エタンチェとユーロスペースの配給で、特集上映企画「みんなのジャック・ロジエ」が各地のミニシアターで開催されています。

アデュー・フィリピーヌ」「トルテュ島の遭難者たち」「メーヌ・オセアン」「フィフィ・マルタンガル」の長編4本と、「パパラッツィ」「バルドー/ゴダール」の短編2本で構成され、その内、2本は日本劇場初公開だそうです。

 

ジャック・ロジエ(Jacques Rozier 1926-2023)は、今年の6月、96歳で亡くなっています。

7月末頃からスタートした「みんなのジャック・ロジエ」は、タイミングからみて企画段階では、彼の訃報とは関係がなかったのではないかと思われますが、偶然にも追悼上映となってしまったようです。

 

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寡作の人です。

「メーヌ・オセアン」(Maine Océan 1986)は、前作「トルテュ島の遭難者たち」から10年後の制作。

結局、ジャック・ロジエは1980〜90年代、映画作家として十分に円熟していたであろうこの時期、本作一本しか発表していません。

 

136分。

決して短い作品ではないのですが、全くその長さを「長い」と感じられない、面白さ満点の映画でした。

多彩な登場人物たちが好き勝手に喋り続けるこの作品に、あえてテーマ性をみるとするならば、「コミュニケーション」、その「現場」が放つ幻惑的な魅力にあるように思えます。

 

この映画の中で、「コミュニケーション」はまず「不自由」そのものの象徴として表現されます。

パリとナントを結ぶ特急列車「メーヌ・オセアン号」に乗り込んだブラジル人女性ダンサーと、列車の検札員二人組との会話は、ポルトガル語とフランス語という言語の違い以上に、ちぐはぐです。

乗車のルールを知らない外国人ダンサーの肩を持ちたくなりつつも、正規料金を払えという検札員の言っていることももっとも至極と思えてきたりして、可笑しさとイライラ感がごちゃ混ぜになる感覚に襲われました。

この冒頭シーンから、ロジエがおそらく練りに練ったのであろうシナリオと、独特の映像リズム感にがっちり巻き込まれることになります。

 

 

そして「コミュニケーション」の不自由と魅力を一身に体現しているような人物が出現します。

ユー島(Île d'Yeu)の漁師、マルセル・プチガ(イヴ・アフォンソ)です。

フランス語の方言に全く詳しくないのですが、この男が発する言葉は、明らかにパリを中心とした標準語とは違います。

"Vin"をヴァン、ではなく、ヴィエンと発音しているように聞こえます。

さらに、これは演じているアフォンソ自身の芸なのかもしれませんが、語尾がいちいちきっぱりすぎるほど尻上がりのアクセントで終わります。

これほど優雅に聞こえないフランス語も珍しいと思えるくらい独特です。

日本語字幕の寺尾次郎もおそらく翻訳が醸すニュアンスにかなり苦労したのではないでしょうか。

プチガとしては普通に話しているのに、結果として、何を喋っても乱暴に聞こえてしまうという彼の存在感は、「島外」との関係ではさまざまな軋轢を生み出しますが、一方で、漁師仲間とのコミュニケーションでは「言葉以上の言葉」のような信頼の力につながってもいます。

「規則」という無味乾燥な言葉に日頃がんじがらめになっている国鉄検札員ル・ガレック(ベルナール・メネズ)は、結局、「言葉以上の言葉」をもった大西洋の漁師たちのこのコミュニケーションの力によって助けられることになります。

 

ダンサー、弁護士、国鉄職員、漁師に興行師。

およそ普通なら交わることがない人々がユー島に引き寄せられ、各々勝手に振る舞いながら、なぜか、みんなでサンバを踊り出してしまうという摩訶不思議なプロセスが描かれていきます。

ただ、「音楽が言葉を超える」というような、教訓めいた説教臭さはこの映画からは微塵も感じられません。

ロジエが描こうとしているのは、そうした一面的な要素ではなく、とびきりに奇天烈な「コミュニケーション」の場が生まれた時に生じるカオスと愉悦、そのものです。

 


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セリフは饒舌です。

しかし、全く無駄がありません。

もったいぶったロングショットは無いのに、映像からはどこをとっても詩情性が漂ってきます。

撮影用の人工照明を原則として用いないロジエの映像は、ときに、ほとんど暗闇の中に人物の顔が沈み込んでしまうほどなのですが、明暗の切り替えが実に巧みなので、自然と画面そのものからリズムが生まれてきます。

 

役者たちの生き生きとした演技の素晴らしさも見ものです。

即興性が重視されているようでいながら、その明瞭な滑舌からは、明らかに台詞が徹底的に地肉化されていることが伝わってきます。

ラストシーンでフロマンティーヌの砂州の上を延々と走らされるベルナール・メネズに代表されるように、身体が放つ「言葉以上の言葉」が重視されている映画でもあります。

派手な場面がほとんどなく、終始軽妙なトーンとリズムが貫かれているにもかかわらず、内容と情報量、その密度の高さは異様といっても良いレベルです。

ロジエがなぜ寡作なのか、ある意味、よくわかる作品と言えるかもしれません。

 

4Kレストア化による効果は素晴らしく、車中の暗闇から浅瀬の陽光、そしてユー島のマジックアワーまで見事に再現されています。

また、音響面でも修復がきっちりなされているとみられ、同時録音と思われるサウンドトラックから放たれるイヴ・アフォンソの「話芸」に痺れました。

 


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