初代諏訪蘇山展|京都工芸繊維大学 美術工芸資料館

 

 

初代諏訪蘇山展-よみがえる革新技法-

■2023年9月25日〜10月28日
京都工芸繊維大学 美術工芸資料館

 

規模は大きくないものの、帝室技芸員 初代諏訪蘇山(1851-1922)の多彩な芸術と、その技巧の正体に迫る意欲的な企画展です。

www.museum.kit.ac.jp

 

昨年、2022年は初代諏訪蘇山のちょうど没後100年にあたっていて、愛知県陶磁美術館や、蘇山の故郷、石川県九谷焼美術館で記念の回顧展が開催されました。
現在も続く陶工としての諏訪家、その四代蘇山による本展への挨拶文によれば、この工繊大での企画も記念イヤーの流れを受けての開催にあたるのだそうです。

昨年の瀬戸と加賀での蘇山展は見逃してしまったのですが、偶然、同じ年、京都にも蘇山の代表作が来る機会があり、そちらは鑑賞できました。
京都市京セラ美術館が開催した「綺羅めく京の明治美術」展(2022年7月23日〜9月19日)です。

今回の工繊大資料館での展示にも出品されている代表作「葡萄透かし花瓶」(石川県立工業高等学校蔵)をはじめ、初期のユニークな陶彫作品から晩年の青磁まで、同じく明治に活躍した初代宮川香山や初代伊東陶山の超絶技巧とは一味違った、初代蘇山の芸が堪能できた展覧会でした。

綺羅きらめく京の明治美術ー世界が驚いた帝室技芸員の神業 | 京都市京セラ美術館 公式ウェブサイト

www.asahi.com

 

この展覧会でも、メインビジュアルに採用されている「青磁達磨坐像置物」(諏訪家蔵)など、リアルさとユニークさが独特のバランスで混合された蘇山の彫像作品をいくつか観ることができます。
ただ、例えば初代宮川香山が創造した、実際の生物をそのまま陶器に表してしまうような驚きの技巧と比べると、蘇山の彫像作品は、どちらかといえば、面白味や禅味を大切にしたところがあり、大胆に簡略化した装束の表現などにその特徴がよく現れていると感じました。

1851(嘉永4)年、当時の加賀国、金沢で生まれた初代諏訪蘇山(本名は好武)は、成人するまで完全に「武士」だった人です。
明治になってもしばらく軍職についていましたが、それを辞し、ようやく陶画の世界に入ったのは1873(明治6)年のこと。
彼はすでに22歳となっていました。

その後、石川を中心に北陸地方で実績を上げていった蘇山の才能に目をつけた京都の人物が、粟田口の大陶工、七代錦光山宗兵衛(1868-1927)です。
1900(明治33)年、声をかけてくれた錦光山宗兵衛をサポートするためこの窯に所属することになりました。
しかしその6年後には独立し、五条坂に窯を構え、京都で専ら活動していくことになります。

蘇山と同じように武士階級から工芸家に変身し明治京都で活躍した巨匠に有線七宝の並河靖之(1845-1927)がいます。
非常に似通った境遇のようにみえますが、長く宮家に仕え京都の文化に親しんでいた並河の優美なセンスに対し、蘇山の作品にはどこか辛口のテイストが感じられるような気がします。

蘇山は1917(大正6)年、66歳にして帝室技芸員に任じられています。
しかし彼がこの名誉を受けるきっかけとなった「技巧」は、例えばかつての錦光山窯が得意とした優美華麗な京焼のテクニックではなかったようです。
蘇山が編み出した「青磁」の素晴らしさが評価されての選任とみられています。

本展でも蘇山による見事な青磁の数々が紹介されていますが、いずれの品からも、清透で軽やかな色合いというより、どこか、「重み」「深み」が尊重されているような気配が漂ってきます。
さらにこの人は「石膏型」を積極的に活用して制作を行なったことでも知られています。
例えば板谷波山のように成形された素地に「彫り込んで」いくのではなく、あらかじめ石膏で型取りし、そこに陶土を「埋め込んで」いくのです。
蘇山の作品から感じるどこか「ぽってり」とした質感の秘密はこのテクニックにあるのかもしれません。

 


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今回の企画展が極めてユニークなのは、蘇山によって残された石膏型を、現代の最新技術で「復元」しようとする試みが紹介されている点でしょう。
京都工芸繊維大学Kyoto Design Labが四代蘇山の協力を得て、初代の石膏型をデジタル技術を駆使しながら修復。
そこからさらに陶板など実際に初代作品を復元してしまおうという試みです。
会場にはその石膏型と復元のプロセスが展示されていました。
3Dプリンターなども活用されているようです。
初代が、石膏型を使うという制作方法をとっていたからこそ出来るプロジェクトと言えるかもしれません。
この大学ならではの面白い企画です。

さて、蘇山は、彼の代表作の一つともいえる「青磁鳳雲文浮彫花瓶」(三の丸尚蔵館蔵・本展には出展されていません)でも、石膏型を使用していました。
1919(大正8)年、宮内省から依頼を受けて帝室技芸員蘇山が制作した大作です。

shozokan.nich.go.jp

 

本展では、この傑作花瓶の紋様部分を生み出している蘇山自作の石膏型を見ることができます。
驚くのは、京都工芸繊維大学Kyoto Design Labによるその石膏型を修復した「3Dモデル」がさらに出力されていることです。
つまり、作ろうと思えば、また、作れてしまうかもしれないわけです。
本当に明治帝室技芸員の「青磁」が蘇ったら、それは事件、になるかもしれません。