ホックニーの「龍安寺」と「ノルマンディー絵巻」

 

 

デイヴィド・ホックニー

■2023年7月15日〜11月5日
東京都現代美術館

 

日本では27年ぶりとなるホックニー展なのだそうです。
(前回は1996年、この美術館で開催された「ホックニーの版画展」)

どの地下鉄の駅からもそれなりに離れている美術館なので、猛暑残暑の時期を避けてのんびり構えていたら、いつの間にか会期末が迫っていることに気がつき、慌てて今頃鑑賞に至った次第です。

年齢性別を問わず、たくさんのお客さんが来場していました。

 

www.mot-art-museum.jp

 

美術館の3階と1階で大きく展示内容が変わります。

 

3階展示室にはホックニー(David Hockney 1937-)の初期から近年までの大小さまざまな作品が紹介されていて、中にはテート・コレクションが誇る「クラーク夫妻とパーシー」など、彼の代表作も来日。

この芸術家のたどってきた足取りがしっかり確認できる内容に仕上がっています。

www.tate.org.uk

 

ただ、70年代の後半から80年代に彼が力を入れていた「舞台芸術」系の作品は今回、一点もないようです。

かつて日本で開催された「ホックニーのオペラ展」(1992〜93年 全国巡回)では紹介されていたのであろう、モーツァルトの「魔笛」やストラヴィンスキーの「放蕩者のなりゆき」などに関係した作品に出会えるかも、と期待していたので、ちょっと残念ではあります。

 


www.youtube.com

 

 

他方、1階には主にiPadを使用して制作された最近作が大展開されています。

絵の具の発色とは明らかに違う、筆致そのものが色を放つようなイースト・ヨークシャーやノルマンディーの光景に圧倒されました。

 

なお、3階は写真NG、1階はOKとなっています。

 

3階展示会場で特に興味を惹かれた作品があります。

龍安寺の石庭を歩く 1983年2月21日、京都」(東京都現代美術館蔵)。

100枚を超える写真によって構成された、いわゆるフォト・コラージュです。

museumcollection.tokyo

 

龍安寺の庭は実に不思議な場所です。

広いのか、狭いのか。

実際の面積と視覚がとらえた庭の面積がどうもいつまでたっても釣り合わないのです。

「石が何個見えるか」とか、そういう話ではなくて、観ていると、こちらの空間把握能力自体が次第にゆらぎはじめるように感じられます。

さらに不思議なのは、写真に撮ってみると、そうした感覚のゆらぎのような気配が全く消え失せてしまうことです。

普通のカメラで撮影された龍安寺の庭は、たいてい、さほど面白くありません。

自分がスマホで撮った写真は当然につまらないのですが、どれほど見事な腕前をもったカメラマンでも、この庭の本質的にミステリアスな魅力を写し出すことは至難の技ではないかと想像しています。

 

龍安寺 石庭

 

ところが、ホックニーがコラージュした龍安寺の庭は、もちろん実見した庭の印象とは全く違うのですけれど、この空間がもつ異様さ、その一面を捕捉しているように感じました。

 

無の境地とか、静寂の美などと表現されることが多いこの禅寺庭園。

しかし、実際にその前に座っていると、先述したような「ゆらぎ」に襲われてしまい、私の場合、心理的にはむしろザワついてきます。

とても禅の修行はできそうにありません。

ホックニーのフォト・コラージュからは、この「ザワつく」感じが出ているように思えるのです。

 

人間の視点は決してカメラのように一点に固定された状態で事物を把握していません。

集中して凝視しているようでいて、石、土塀、白砂、背景の木々など、常に眼は動き回り、対象との距離感を測りつつ、質感や色彩を確認しようとします。

龍安寺の庭はその「凝視」と「常動」の境界を撹乱し、ときに広大に見えたり、狭隘に見えたりと、観る者を翻弄する空間だと思います。

ホックニーが私と同じような感覚をこの庭にもったのかどうかはわかりません。

しかし、彼による「線遠近法」を一旦破砕した上で組み直されたコラージュには、この庭のもつ明らかに奇妙な構造の一端が写し出されているように思えます。

 

龍安寺 石庭

 

 

さて、1階展示会場のおよそ半分近いスペースを使って、ぐるりと展開されている作品がありました。

「ノルマンディーの12ヶ月」です。

2020年から21年にかけて制作された、全長90メートルにおよぶ大作。

この「絵巻」にも、独特の「視点」が仕組まれていて、特にひき込まれました。

 

ホックニーは2019年からノルマンディーに居を構えていますが、その館の窓から眺める景色を一年間、iPadで描き続け、画面を切れ目なく接続したのだそうです。

調べてみたわけではありませんから、言い切って良いのかわかりませんけれど、おそらく「世界で最も長いiPadで描かれた絵巻」です。

 

デイヴィッド・ホックニー「ノルマンディーの12ヶ月」より

 

初春から真冬にかけて、12ヶ月の移ろいが驚くほどヴィヴィッドな色彩で描かれています。

不思議なことに、この絵巻を観ていると、どんどん身体が前へ前へと、まるで背中を押されているように、進んでいってしまうような感覚に襲われます。

「凝視」されることを作品自体が拒絶するように、視点が前方に誘導されるため、自然と絵巻の前を散歩しているかのような気分になってくるのです。

 

この最新作でも、ホックニー龍安寺のコラージュで試みたように、「凝視」と「常動」の境界を撹乱する、新しい視点を提供してくれているようです。

これは、多分、ぐるりと12ヶ月が一回転するように仕掛けられた展示壁面による影響もあるのかも知れませんが、ホックニーの色使いと「筆致」自体が、こちらの感覚細胞を活性化させるような効果を生み出しているようにも思えます。

 

デイヴィッド・ホックニー「ノルマンディーの12ヶ月」より

bunka.nii.ac.jp

 

一度12ヶ月をめぐると、もう一度、また最初から12ヶ月、まわってみたくなるような、「循環する快楽」に浸れる絵巻です。

日本にも壮大な水の「循環」を描いた横山大観の傑作長編絵巻「生々流転図」がありますが、この約40メートルの水墨絵巻に比べ、ホックニーiPad絵巻は50メートルも長いことになります。

しかも「ノルマンディーの12ヶ月」からは、いかにもiPad的なぎこちなさが微塵も感じられません。

10数年以上、このシステムを使い続けているホックニーには、すでに絵筆以上のツールになっているのかもしれません。

 

「視点」だけでなく、「手」も一向に老いることなのないアーティストです。

 

 

 

 

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