特別展「ポンペイ」
■2022年4月21日〜7月3日
■京都市京セラ美術館 北回廊1階
現在、京都展が開かれています。
偶然でしょうけれど、同じ京都市京セラ美術館の北回廊2階では5月22日まで「兵馬俑展」を開催中。
ハシゴするとまさに大ユーラシア古代展。
凄い取り合わせです。
日本最初の本格的なポンペイ展は国立西洋美術館が1967(昭和42)年に開催した「ポンペイ古代美術展」と思われます。
総展示品数250点。
32万人を超える入場者数を記録しています。
以来、中小規模の企画を合わせると数えきれないくらいの「ポンペイ展」がこの国では開催されてきました。
火山噴火を身近で経験することが多い日本人にとってみると、古代美術展という枠を越えて特別な感情をポンペイにはいだきがちなのかもしれません。
21世紀に入ってからもすでに大規模なポンペイ展が何度も企てられていますが、最近の例では2016年、森アーツセンターギャラリー他で開催された「世界遺産 ポンペイの壁画展」が挙げられると思います。
その六本木で開催されたポンペイ展、「今回は決定版」と宣伝していた記憶があります。
そして2022年の「ポンペイ」展。
こちらも「決定版」と高らかに宣言しています。
今年はポンペイが世界遺産に登録されてから25年の記念イヤーにあたるのだそうです。
本展のタイトルはずばり「POMPEII」。
「世界遺産」だのの修飾、副題は一切なしとしているところに、「今回こそ決定版」という主催者の静かな自負が滲みます。
でも点数は120点くらい。
つまり、日本初の1967年ポンペイ展の点数からみれば約半分の規模です。
とはいえ、67年展では小さい貨幣や工芸品が半分以上を占めていたようですから、単純に数で比較しても意味はなさそうです。
絵画を中心としていた2016年の森ビルポンペイ展と比較すると、今回の特別展が何をもって「決定版」としているかが推測できます。
ポンペイといえばはずせない、痛ましい火砕流被害者の石膏像を冒頭に陳列しつつ、壁画はもとより、彫像、工芸、貨幣、水道設備、医療器具に日用雑貨、さらに炭化したパンまで。
ありとあらゆる分野でポンペイに迫る、そういう意味で今回は(あるいは今回も)「決定版」という宣伝フレーズに虚偽はないように思います。
図録の中では明治時代にポンペイ発掘の様子を捉えた日本人による写真のことが紹介されていて、その時撮影された古代ヘルメットの実物が今回展示されています(P.236 山本亮「東京国立博物館蔵 幕末明治期写真資料にみるナポリ国立考古学博物館とポンペイ」)
何度も日本で繰り返されるポンペイ展を受けて、ナポリ国立考古学博物館も毎回出し物に工夫を凝らさなければならないのでしょう。
今回は実際にポンペイに存在した邸宅の再現を試みるなど、小さいものから大きなものまで、全方位的に逸品を集めて展覧会を組み立てています。
美術と考古、両面でこれほど充実した企画展は、やはり、なかなかお目にかかれません。
ただ、東京展と京都展では出展品の数に差があります。
東京展で展示されていた「ビキニのウェヌス」像や有名な通称「サッフォー」のフレスコ画など結構な数の作品が京都展では省かれています。
代わりに京都では、これもとても有名なアウロスを吹く人物が描かれた「劇の準備」などが展示されてはいるものの、東京限定品の数がやや多い印象。
「決定版」と銘打つのであれば、巡回地単位であまり違いを見せるべきではなかったようにも感じます。
西暦紀元79年、ヴェスヴィオ火山の噴火で瞬間密封されたポンペイですが、その都市自体、数百年の歴史を持っていました。
日本ではおよそ弥生時代に相当する期間。
今回の全方位的なポンペイ展では、ローマ帝国の一部となったポンペイが、実はエジプトやギリシアの文化を濃厚に意識していたことが明らかにされています。
今見てもそのモダンな感覚に驚くモザイク画の題材には、ナイル川で躍動する鳥やカエルが描かれ、仮面の図像には紀元前3,4世紀ごろのギリシア劇のデザインがみられるとされています。
密封されたポンペイは当時の生きたモダンシティであったと同時に歴史都市でもあったという、その時間軸の持つ「幅」が、今回の展覧会では強く印象に残りました。
2001年、江戸東京博物館で開催されたポンペイ展で、キーヴィジュアルとして採用されていた図像は「パン屋の夫婦」でした。
2022年、今回のポンペイ展では「メメント・モリ」の髑髏です。
「決定版」の意味もテイストも、時代が決める、ということなのかもしれません。