羽黒鏡 ー 霊山に奉納された和鏡の美
■2023年9月26日~11月19日
■東京国立博物館(平成館企画展示室)
東博の、平成館から本館に向かうプロムナード的な一室(考古展示コーナーの向い)で、現在、こっそりと、とても素敵な特集展示が行われています。
「羽黒鏡」です。
なんと、この博物館が所蔵する58面が一気に披露されています。
外国人観光客でごったがえする本館と、「四大絵巻」目当てと思われるお客さんで大混雑の平成館「やまと絵展」に挟まれ、ほとんど立ち寄る人もいないコーナーとなっていましたが、滅多にない、平安美術の清華が堪能できる企画です。
ほぼ無人の展示室内をゆったり回遊することができました。
羽黒鏡(はぐろかがみ)は、もともと山形、羽黒山・出羽三山神社の前にある「御手洗池」(鏡ヶ池)の中に沈められていたものです。
池自体が御神体であり、そこに奉納する目的で、水中に投じられてきたと考えられています。
奉納は江戸時代まで続いていたそうですが、その大半を占める平安時代に属する鏡は、11世紀頃、京都で製造されたものと推定されています。
実に1000年近く、水中で眠っていたことになります。
大正から昭和初期にかけての工事で池の底が浚われた際、約600面もの鏡が発掘されました。
つまり、羽黒鏡は、全て出羽三山神社に帰する埋蔵品なのですが、その後、美術工芸品としての価値の高さから、各地に分蔵されることになります。
最も多く所蔵しているところは当然に出羽三山神社で、ここにある「出羽三山歴史博物館」では常時120枚以上の羽黒鏡を公開しているそうです(未見)。
羽黒鏡を入手した個人もいます。
有名なところでは、細見美術館の基礎を築いた細見良のコレクションが知られていて、たまに同美術館の企画展等で公開される機会があります。
東博の収蔵品も58点ですから、相当な数です。
今回の企画では、鳥や草花、蓬莱や網代の文様といったモチーフ単位で鏡を分類整理しつつ、平安和鏡がたどったデザインの変遷史がわかりやすく解説されています。
細見美術館の羽黒鏡の中には、円鏡だけではなく、方鏡もありますが、東博の収蔵品は全て丸い形のもの。
典型的な和鏡のスタイルをもっています。
鏡は、中国古代青銅器の時代からこの国に到来している工芸品です。
TLV鏡にしても海獣葡萄鏡にしても、いわゆる漢鏡のスタイルは、原則として対称性を重視した厳格で複雑稠密なパターンが特徴といえます。
しかし、11世紀、羽黒鏡が作られる頃になると、それまで尊ばれてきた漢鏡の様式がもつ宗教性や威信財としての性質が後退していきます。
鏡の文様パターンは、草花や鳥など、身近に存在するモチーフを好むようになり、余白も十分に取り入れられながら、大きく変化します。
厳格さから優美さへ。
デザインが文字通り「和らいで」いくのです。
現在、東博平成館で開催されている「やまと絵」展(2023年10月11日〜12月3日)では、この国独自の絵画様式の誕生とその歴史が、実に豪華な有名作品たちによって紹介されています。
しかし、「漢から和へ」という様式の変化が、最もわかりやすく図像的に現れている分野は、「鏡」ではないかとも思えるのです。
羽黒鏡は、まさに「やまと」的なデザイン出現の代表的事例であり、「やまと絵」展と合わせて鑑賞することで、そのエッセンスが体感できるのではないかと思います。
地味な特集展示ですが、特別展の企画性と見事にシンクロしていると感じました。
和鏡は唐突に漢鏡のスタイルを放棄したわけではありません。
この特集企画の冒頭では「双鳥鏡」がとりあげられていて、モチーフとして親しみやすい鳥が選択されながらも、まだどこか中国風のシンメトリカルなデザインが意識されていたスタイルが紹介されています。
しかし、同じ鳥でも、とりあげられる種類に変化が起こります。
この国で吉祥を代表する鳥といえば、なんといっても「鶴」です。
鶴と、さらにおめでたい「松」をくみ合わせた松鶴鏡、さらには「松喰鶴」という和鏡を代表するデザインが登場します。
東博の解説文によれば、植物をついばむ鳥というモチーフは、正倉院宝物の時代に見られる「花喰鳥」からの伝統だそうです。
大陸から文様の骨格を受け継ぎながら、平安期には、鳥を鶴、植物を松と特定することで、和様のデザインに仕上げてしまったようです。
「和漢折衷」センスの見本です。
デザインとして採用される植物全般についても、中国的な唐草文様から、萩や菊といったいかにも和風の草花に主流が遷移していきます。
奈良時代や平安初期に好まれた、架空の植物文様である宝相華等に代わり、実際に目にすることができる草花が鏡にとりこまれます。
まるで鏡の中に和歌の世界が写し込まれたかのような図像がみられると思います。
「やまと絵」展で見ることができるこうした蒔絵工芸の植物モチーフなどの源流が、すでに羽黒鏡の中に明確に表出されているともいえそうです。
水中に供物を捧げて水霊を安んじるという宗教的伝統は、飛鳥時代、「土馬」を水辺に埋めるという祭祀以降も、修験道などの影響を受けつつ、脈々と続いていたのでしょう。
遠い都から出羽三山まで運ばれ、池に投じられた鏡には、当時の上層階級に属していた人たちの切実な祈念の思いが伝わってくると同時に、このエリアが平安の昔から特級の霊場であったことが伺えます。
大混雑の「やまと絵」展を観た後だと、疲れ切ってしまっていて、とても地味なこの黒い和鏡たちを観る余裕はないかもしれません。
できれば、特別展を鑑賞する前に、ゆったりまったりと「やまとデザイン」のもう一つの本流を確認しておくことをお勧めします。