特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」
■2023年10月11日〜12月3日
■東京国立博物館
日本絵画史に残る超有名作品の出現比率でみると、昨年の東博創立150年を記念した「国宝全部見せます」展よりも、ひょっとすると高いかもしれません。
圧倒的規模と質を兼備した特別展です。
例によって会期中、展示作品がコロコロと入れ替わります。
今回は4期に分かれていて、それぞれに目玉作品が散りばめられていますから、何度も通わないといけないわけですが、当然、コストもそれなりにかかります。
昨年の「国宝展」では、東博の策にまんまとハマり4回も鑑賞してしまったので、今回は2回にとどめることにしました。
それでも強烈なラインナップであり、二度の鑑賞でもう満腹ヘトヘトの状態です。
「やまと絵」とは、要するに「唐絵」あるいは「漢画」ではない絵、という意味の言葉です。
一種の消極的な対概念であって、元来「やまと絵」それ自体が、自明の明確強固な性質もった絵画分野として出現、存在しているわけではないと思われます。
ですから、実はとてもわかりにくい用語なのですが、開き直って考えると、中国絵画や中国風絵画、純粋な仏画等を除く、ほぼ全ての日本絵画が「やまと絵」といえてしまうことにもなります。
この企画展でもおそらく「やまと絵」をこう解釈しているのでしょう。
結果的に扱われる作品の範囲はかなり広くとられることになるわけで、およそ近世初頭までの範囲に時代を限定してはいるものの、絵巻から屏風、物語絵から肖像画まで、恐ろしく多種多様な作品が集められています。
しかし、その全てが副題にある「王朝の美」の一般的なイメージに直結しているわけでもありません。
一口に「王朝美」といっても、「源氏物語絵巻」や「平家納経」に代表される華麗に雅やかな図像ばかりが対象となっているわけではないのです。
王朝文化が生み出した絵画の中には、むしろ、その逆の、おぞましい地獄や妖怪の世界も存在し、それもまた「やまと絵」が描いてきた重要なテーマの一つです。
地獄系やまと絵の代表作は、ずばり「地獄草紙」や「餓鬼草紙」でしょう。
展覧会では、東博はもとより、五島美術館や奈良国立博物館、京都国立博物館からも鬼やモンスターたちを豊富に取りよせ、文字通り鬼気迫る平安地獄絵図の数々を惜しげも無く展開しています。
見応えがありすぎました。
さらに面白かったのは、地獄系絵図の近くに一連の「病草紙」がまとめて置かれていたことです。
京博から出張している「ふたなり」は、両性具有の人物を描いている作品です。
平安時代のアンドロギュノスを細かく図像化していることにまず驚くわけですが、それよりもこの人物をあからさまに嘲笑している連中の態度に、一見、強烈な違和感を覚えます。
他にも、眼病を治療してもらっている気の毒な男性の横でニヤニヤしている人たちとか、とにかく不謹慎な登場人物が「病草紙」にはたくさん描かれています。
今の感覚では、ポリコレ的に一発でアウト、という作品ばかりです。
しかし、これには現在の思想では想像できない奥深い意味が込められています。
「病草紙」は仏教に関係した絵画です。
後白河法皇(1127-1192)の企てによってシリーズで描かれた「六道絵」の一つとされていて、かつては三十三間堂、蓮華王院に収められていたと伝えられています。
「病草紙」に登場している不幸な病人、あるいは生来の特質を持って生まれてきてしまった人たちは、「前世の報い」を受けている存在として描かれているのです。
だから彼ら彼女たちは、周囲から当然のように「笑い者」にされているわけです。
「病草紙」が伝えようとしていることは、説話的おもしろさを滲ませながらも、今世で仏法に違えるような生き方をしていると、来世ではここに描かれた人物たちのようにひどい報いを受けることになりますよ、という、実は極めて教訓めいた事柄なのです。
現代の眼でみると、ブラックユーモアに近いイメージに写ってしまう「病草紙」ですが、これを当時見ることになった院政期の人々はきっと恐怖に慄いたことでしょう。
病魔に冒されているにも関わらず、世間からは「前世は悪人」として嘲笑されるわけですから、特に後白河院周辺にいた上層階級の人たちにとってみると、想像上の「地獄」よりさらにきつい世界だったかもしれません。
後白河院がプロデュースした「六道絵」には、「地獄草紙」や「餓鬼草紙」も含まれるとされています。
表面的には滑稽にすらみえる「病草紙」も、実は「地獄草紙」と同じくらい輪廻の業を描いたホラーな宗教絵巻なのです。
他方、妖怪系での超有名作品では、なんといっても真珠庵蔵の「百鬼夜行絵巻」でしょう。
謎めいた図像にも関わらず同類の絵巻は60件程度も確認できるのだそうです。
特に印象深かったのは、最後の場面です。
真っ赤な火の玉のような物体が突然出現しています。
これは朝日とも、尊勝陀羅尼の法力による火炎玉とも解釈されるようですが、漆黒の背景に妖しく輝く球体自体、類例が思い浮かばないくらいインパクトがあります。
実は、このミステリアスな球体は、時代が下ると、「妖しいまま」であることを許されなくなり、典型的な「朝日」の図像に切り替わってしまいます。
妖怪自体がだんだんと恐怖の対象から「キャラクター化」していく流れと一致しているのかもしれません。
また、日本バケモノ絵史上、おそらく最もおどろおどろしく完成度の高い名品、「土蜘蛛草子」も圧巻です。
子供の頃これを観たらおそらく泣き出してしまったのではないかと思うほど細密に描かれた幻想怪獣の姿を堪能できました。
他方、「妖しい」というより「怪しい」絵もありました。
非常に有名な国宝、神護寺の三肖像画です。
長らく源頼朝、平重盛、藤原光能を描いた三幅とされてきましたが、近年では、全て「伝」がきちんと頭につくようになり、別人を描いたとする説が有力になっていることでもよく知られている作品です。
別人説では、頼朝を足利直義(1307-1352)、重盛を足利尊氏(1305-1358)、光能を足利義詮(1330-1367)と解釈しています。
今も議論は決着しておらず、他ならぬ神護寺が別人説を認めていませんから、この寺院から借り受けて展示する以上、結局本展でも国宝指定時の表記を守り「伝・・」と明記されています。
別人説が有力になる前は、いかにも頼朝は頼朝らしく、重盛は重盛らしくみえるような気がしていたわけです。
しかし、別人説の立場に寄り掛かりながらを本図を見ていると、不思議なことにこの説が妙に説得力を帯びてくるようにも感じます。
まず、伝頼朝像と伝重盛像は、よく見ると、その風貌がちょっと似ているように感じられてきます。
伝頼朝がキリっとした上り眉の面長を特徴としているのでわかりにくいのですが、面相そのものは伝重盛と不思議に共通した雰囲気が感じられないでしょうか。
今回の図録はたまたまでしょうけれど、146ページに伝頼朝、148ページに伝重盛の画像が印刷されています。
二枚のページを重ね、伝重盛像を上に、伝頼朝像を下にして、上下にパタパタとめくりながら比較することができます。
こうしてみると、意外に似ているのです。
この二人が直義と尊氏の「兄弟」だとすれば、似ていても不思議ではない、ということになります。
そして、もう一つ、伝重盛像を今回あらためてじっくり観て感じたことがあります。
それは、足利義満(1358-1408)の面相との共通点です。
義満像によくみられる、やや垂れ目風の望洋とした気品が伝重盛、つまり別人説における足利尊氏とよく似ているように思えてきたのです。
いうまでもなく、義満は尊氏直系の孫にあたります。
祖父と孫が一世代離れてよく似ることは世間では珍しいことではないようにも思われます。
とすると、義満は尊氏の面相を孫として一部受け継いでいるとも推測できないでしょうか。
一旦、別人説のバイアスがかかってしまった素人目には、「伝重盛」がこんな風に見えてきてしまったわけです。
作画様式における時代性の違いなど、学術的な面はよくわかりませんし、神護寺に怒られてしまうので大きな声では言えませんが、「伝重盛像」は、やはり、いかにも「怪しい」作品と感じました。
有名絵巻の前には行列が絶えずできていて、これに紛れて順序よく鑑賞しようとすると、3時間ではとても足りません。
効率よく鑑賞するコツとしては、なるべく午後の遅い時間を選び、まず人流がまばらな作品から鑑賞を始め、閉館時間が近くなり有名絵巻前の行列が少なくなったところでそれらの作品にシフトすることくらいでしょうか。
行列が生じている絵巻も素晴らしいのですが、土佐派や狩野元信の大屏風なども見応え満点ですから、むしろそれらの作品を中心とした「第二部」から鑑賞し始めた方が快適かもしれません。