栂尾 高山寺の金堂内部が特別公開されたのでお邪魔してみました。
(京都古文化保存協会主催 2023年11月11日〜20日)
外観はいつでも鑑賞できますが内部の公開は初めてなのだそうです。
靴を脱いで袋に入れ、御堂の中に入るスタイルです。
事前予約等は必要ありませんでした。
「世界遺産高山寺金堂」ときくと、いかにも荘厳で華麗な建築物をイメージしてしまいがちですが、実際の金堂は、実に簡素で、むしろ慎ましいくらいの外観をもって佇んでいます。
応仁・文明の乱によって高山寺は堂宇の大半を焼失しています。
この寺を開いた明恵(1173-1232)の頃から残るとされる鎌倉時代の建築物は、国宝「石水院」一棟しかありません。
今回公開されている金堂は、江戸時代前期、寛永年間に、当時双ヶ丘にあったという仁和寺の院家、真光院から移築されたものです。
中世以来、高山寺は仁和寺と深い関係があり、例の「鳥獣戯画」は仁和寺からもたらされたのではないかとする説も確認できます(東京国立博物館「国宝鳥獣戯画のすべて」展 図録 P.383 土屋貴裕之「鳥獣戯画800年の生命誌」)。
仁和寺自体も室町時代の度重なる戦火によって極度に衰微し、門跡寺院という格式をもっていながら、一時は双ヶ丘周辺でひっそりと命脈を保つという苦境に追い込まれていました。
それが、江戸初期の寛永期、徳川家の支援によって現在みられる壮大な伽藍を劇的に復活させることになります。
この仁和寺再建に伴い、双ヶ丘時代の堂宇を所縁のある高山寺に移築することになったという経緯にあるようです。
つまり、現在の高山寺金堂は大寺院仁和寺の苦節期を象徴する遺産でもあるわけです。
高山寺金堂は全く彩色などが施されていない入母屋造の建物です。
凝った木彫や装飾はほとんどありません。
舟肘木や蔀戸に仁和寺的な門跡寺院らしい気品を感じます。
真光院時代、この堂がどのように使われていたのかはよくわかりません。
仮に仁和寺の「金堂」として使われていたのであれば、そこには現在、仁和寺霊宝館に安置されている国宝「阿弥陀三尊像」が設置されていた可能性がありそうです。
今みられる高山寺金堂内部には、木造の「釈迦如来坐像」が鎮座しています。
驚いたことに、この像の上には本格的な折上格天井がみられます。
簡素な外観に比べると不釣り合いなくらい、如来坐像を囲む空間は格式の高いスタイルが採用されているのです。
双ヶ丘時代の内部空間がそのまま維持されているのかどうかはわかりませんが、「本尊」を納める御堂としての仕様は継承されているのかもしれません。
この金堂は2018年の台風によって付近の大木が倒れかかり、甚大な被害を受けています。
今回の特別公開はその修復を受けて企画されたそうなのですが、古風を残しながらとても丁寧に修理がなされていて、半壊したという痕跡は全くわかりませんでした。
規模が慎ましいゆえに、逆に近世初期の建築様式美がそのまま残されているような、不思議な美しさが印象に残りました。
さて、とても深く長い歴史で結ばれていた高山寺と仁和寺ですが、ある非常に有名な事件をきっかけに袂を分つことになってしまいました。
1964(昭和39)年、双ヶ丘を所有していた仁和寺が民間業者に土地を売却するという決定をしてしまうのです。
当然に大規模な抗議活動が起こり、これが後に「古都保存法」制定につながる立法事実の一つとなったことで知られています。
このとき、高山寺は仁和寺の決定に猛抗議し、仁和寺を総本山とする真言宗御室派を離脱しています。
今にみる「金堂」がかつてあった場所をディベロッパーの手に任せることが、高山寺としては許せなかったとみることもできそうです。
結局、双ヶ丘の開発は業者の資金調達が不調に終わり、その後、土地は京都市によって買い戻されることで決着していますが、高山寺が御室派に復帰する動きはいまだにないようです。
石水院や金堂周辺はそれなりに賑わっていましたが、金堂と同じく江戸時代に再建された「開山堂」付近は不思議と人が寄りついておらず、静かでした。
この開山堂は、その内部に明恵上人の非常にリアルな彫像が収められていることで知られています。
2021年に東博で開催された「国宝鳥獣戯画のすべて」展では、この像が上野に運ばれ、間近で鑑賞する機会を得ることができました。
1月の明恵記念日や11月の献茶会といったわずかな機会に開扉されるだけで、普段、明恵像を見ることはできませんが、ひっそりと佇む御堂の中に、あの生々しい明恵上人像が鎮座していると想像すると、独特の気配を感じてもきます。
ザワザワとした紅葉シーズンの11月ではなく、ひっそりとした冬枯れの時期にでも再び訪れたくなった高山寺でした。
とはいえ、紅葉に全く関心がなかったわけではありません。
ちょっと期待はしていました。
でも、どうも今年の色づきはパッとしない印象を受けます。
やはり猛暑の影響なのでしょうか。
紅葉というより単なる枯葉に近い、くすんだ色が目につく高雄周辺でしたが、それでも中には陽光を浴びて華麗に輝く木々もあって、それなりの景色は楽しめました。