本阿弥光悦展にみる日蓮法華宗芸術|東京国立博物館

 

 

特別展「本阿弥光悦の大宇宙」

■2024年1月16日〜3月10日
東京国立博物館

 

総花的豪華さで圧倒した前回の企画展「やまと絵」とは打って変わり、いまだに謎めいたアーティストとして魅力を放つ本阿弥光悦の実像に迫った手応え抜群の意欲展です。

さまざまな発見の愉しみを感じさせてくれました。

koetsu2024.jp

 

展覧会の冒頭に本阿弥光悦(1558-1637)の姿を写したという小さい木彫が置かれています。

孫の光甫が彫ったと伝えられる本像以外、光悦を直接的にイメージできる作品は絵画も含め残されていないようです。

大正時代、神坂雪佳によって描かれた光悦の肖像画もこの木彫像をベースに想像された図像です。

異様に目や口元が吊り上がった彫像の面相はどこか人ならぬ気配すら感じさせますが、雪佳は上手に人間味を加えて穏やかな人物像として仕上げています。

しかしその外見も含め本来、光悦がどのような人物だったのか、江戸時代初期の京都において大きな文化芸術ネットワークを形成した才人にも関わらず、その実像はいまだによくわからない部分が多いともいえそうです。

 

ただかなりデフォルメされた伝光甫作の木彫像は、ある重要な光悦を象徴する要素を備えてもいるのです。

この像の底には「星降梅」を素材にしたという文字が刻まれています。

日蓮は、彼が佐渡に流される直前にとどめ置かれたという本間重連の屋敷にあった梅の木に、ある「奇瑞」を起こしたとされています。
その木が「星降梅」です。

宗派にとって非常に重要なその梅の木から彫出されたというわけですから、本阿弥光悦とその一族がいかに日蓮法華宗と強い結びつきを持っていたのかよくわかる木彫像ともいえます。

本展は、図録の総論解説で松嶋雅人東博学芸企画部部長が述べている通り、あまりにも多彩な様相を呈する光悦の実像に「日蓮法華宗」を鍵として迫ろうという点で、非常にユニークかつ噛みごたえのある内容の特別展になっていると思います。

 

本法寺 仁王門

 

さて、京都市上京区、堀川寺ノ内あたりに伽藍を構える本法寺室町時代の僧、日親(1407-1488)によって築かれた日蓮宗の本山です。

この寺は本阿弥家と非常に深いつながりがあったことで知られています。

「本阿弥」というおそらく元々は時宗系とみられる一族名なのになぜ熱烈な法華信者の家になったのでしょうか。

本法寺のホームページをみるとその経緯が書かれています。

eishouzan.honpouji.nichiren-shu.jp

 

光悦の曽祖父にあたる本阿弥本光(松田清信)は、刀剣の扱いでミスを犯してしまったため、仕えていた室町幕府六代将軍足利義教の怒りをかって投獄されます。

その牢内で当時同じように義教の逆鱗にふれて拷問を受け幽閉されていた日親と出会い、本光が日親に教化され法華信者となったことから本阿弥家と日蓮法華宗が結びつくことになりました。

 

四条高倉、今の大丸京都店近辺にあったという本法寺室町時代以降、天文法華の乱などを経てくるくると場所を移した後、現在の寺域に落ち着くのは1587(天正15)年のことです。

例によって豊臣秀吉による京都大改造の一環として一条堀川からの移転を余儀なくされています。

そのおり、本阿弥家の光二と息子の光悦は莫大な私財を投じて伽藍整備に尽くしたとされ、今でも本堂にかかる扁額は光悦が揮毫したものとしてよく知られています。

 

本法寺 本堂(前にたつ銅像は光悦ではなく長谷川等伯)

 

本展では本法寺が有する寺宝の中から貴重な光悦所縁の品々をいくつかみることができます。

「花唐草文螺鈿経箱」はどこか大陸風の古雅さをも感じさせる非常に気品高い漆芸の名作です。

箱の中にはこれも今回展示されているシックに豪華な平安後期の写経本「紫紙金字法華経并開結」が納められていました。

寺に残る文書から共に本阿弥光悦が寄進したことが確実とされています。

ただ、福島修東博研究員の解説によると、この「経箱」が光悦による漆芸唯一の基準作であることが、他のいわゆる「光悦蒔絵」とあまりにもそのスタイルが異っていることもあって、皮肉にも研究を逆に難しくしているのだそうです。

 

本阿弥光悦「舟橋蒔絵硯箱」(会場で上映された8K映像より)

 

確かに本展で出品されている華麗な蒔絵作品をみると、東博自慢の国宝「舟橋蒔絵硯箱」以外、光悦作と明記されているものがありません。

そしてその国宝蒔絵を光悦作とする根拠も、基準作である本法寺の「経箱」からではなく、硯箱に現れている光悦書体の「文字」に求められてきたにすぎません。

代表作とされる国宝硯箱ですら、実はまだ謎めいた存在ということもできるわけです。

 

ところで本法寺からはその光悦による「文字」の面白さを感じ取れる名品も出展されています。

「法華題目抄」と「如説修行抄」と題された2巻です。

いずれも日蓮が記した文書を光悦が書写し本法寺に納められたと考えられています。

非常に特徴的な書です。

文書を書き写す場合、その書体は統一されることが一般的と思われます。

ところがこの2巻において光悦は楷書、行書、草書とあえて書体を変化させているのです。

単なる気まぐれなのか、身体的問題からなのか、それとも何か法華信仰に関わるメッセージなのか、はっきりした答えはまだ出ていないようです。

 

本法寺 多宝塔

 

本阿弥家の系図をみると、とても特徴的な要素を二つみることができます。

一つは血縁者同士の婚姻です。

光悦自身、本阿弥宗家八代にあたる光刹の娘を妻としています。
光刹の弟であり本阿弥別家を立てた光二が光悦の父親です。
つまり、従姉妹を配偶者として迎えているということになります。

これも松嶋東博部長の総論解説によれば、こうした近い血縁者との婚姻は本阿弥家において「枚挙にいとまがない」そうです。

血縁者同士で結びつくことにより、本阿弥家が相伝してきた技術の他家への流出を防ぐという目的があったとされています。

また、日蓮法華宗自体が、一族全てを法華信者とするという強烈なルールを有していたことも近親婚につながったとされるようです。

 

一方、この法華信仰独特の決まり事は、京都内で力を有していた他の法華信者たちと本阿弥家を結びつけることにもつながりました。
これが二つ目の特徴的要素です。

後に光琳・乾山の兄弟を生み出す雁金屋尾形家や樂一族、彫金の後藤家など、名だたる京洛の芸術工芸ファミリーが法華信仰をキーに婚姻で結びついています。

本展ではそのネットワークの広さを総花的に扱うのではなく、光悦と同時代にほぼ限定して主に楽家を取りあげています。

会場の終盤には長次郎や常慶、道入の茶碗にまじり光悦の「村雲」などが樂美術館他から出展されていました。

 

本阿弥光悦 黒楽茶碗 銘「村雲」(樂美術館展示時に撮影)

 

日蓮法華宗自体はその宗旨からみて、造像や絵画制作といった芸術に関し天台・真言系ほど熱心とはみえませんし、同じ鎌倉新仏教である浄土教系の二宗、茶道や書と結びついた臨済宗と比べても美術史上、目立った存在とはいえないかもしれません。

しかしその信仰者たちの中には、逆に本阿弥家に代表される俗世のアーティスト集団が多く形成されていたともいえます。

この「本阿弥光悦の大宇宙」展ではそうした法華信仰が生み出した芸術、美意識の一端が示されているように感じます。

近世京都における日蓮法華宗芸術を、表面的ではなく、その「信仰」から解き明かすようなさらなる企画に期待したくなる充実した内容の展覧会でした。

 

 

なお本展は撮影全面禁止ですが、一室を使って上映されている巨大な8K映像は写真OKとなっています。

「国宝展」や「やまと絵展」のようなお祭り企画ではありませんから、週末や会期末を除けば比較的ゆったり鑑賞できるかもしれません。