寝覚物語絵巻の謎と美意識|大和文華館のやまと絵特集

 

 

特別企画展 やまと絵のこころ

■2024年1月5日~2月18日
■大和文華館

 

平安後期から江戸末期に至るまで、「やまと絵」の精神がどのように受け継がれてきたのか、館蔵の名品を紹介しながら辿るというこの美術館らしい素敵なコレクション企画展です。

 

www.kintetsu-g-hd.co.jp

 

昨年の秋、東京国立博物館が大特別企画「やまと絵展」を開催したばかりです。

和文華館がそれを意識したのかどうかはわかりませんが、四大絵巻をはじめとする国宝を散りばめつつ総点数約250件と圧倒的な規模で開催された東博展に対し、こちらの企画では30数点の出品ですから規模の点では比較の対象にすらなりません。

しかし「やまと絵」の本質というテーマについてみれば、本展も十分それに迫る内容をもっていると感じました。

むしろ数が少ない分、このややわかりにくいジャンルの特質を鮮明に理解できるのではないかとも思います。

特に昨年生誕200年、今年没後160年の記念イヤーを迎えた岡田為恭(冷泉為恭 1823-1864)を、彼が私淑した田中訥言(1767-1823)の珍しい彩色画と合わせて紹介することで、「やまと絵」が幕末、長い伝統の最後に抽出したエキスを表しているような展示が印象的でした。

奈良に所縁のあるこの悲劇の絵師を回顧するという意味でも出色の企画ではないでしょうか。

 

岡田為恭「春秋鷹狩茸狩図屏風」(部分)



展覧会の冒頭に陳列されている作品は大和文華館が誇る至宝の一つ、国宝「寝覚物語絵巻」です。

本作は先述の東博「やまと絵展」でも当然に平安絵巻史中の欠かせない逸品として展示されていました。

ただ、東博展のように大混雑の中、前後の鑑賞者に挟まれながらベルトコンベアー的に流されつつ観た場合と、本展のような静かな環境でたっぷり時間をかけて鑑賞するのとでは、当たり前のことではありますけれども、感銘度に圧倒的な差が出ます。

ブロックバスター展でお祭り騒ぎ的にあれこれ鑑賞するのも非常に楽しいわけですが、各館のコレクション展でじっくり堪能する方が、作品との対話という点では遥かに素晴らしい体験であるということをあらためて実感しました。

 

「寝覚物語絵巻」はとてもミステリアスな絵画です。

そもそも原作となっている『夜半の寝覚』自体、一応、定家の言に従い『更科日記』の作者である菅原孝標女の作とされていますが、いまだに推定の域を出ていませんし、残されているテキストに大きな欠落があることもよく知られています。

「絵巻」も、物語の全てを網羅しているわけではなく、その終盤部分が描かれていると推定されていて、絵の一部には詞書すらありません。

つまり何が描かれているのかよくわからない部分があるということです。

それがこの絵巻の「第一段」ということになります。

 

「寝覚物語絵巻」第一段

 

第二段以降の詞書が残された部分にみるストーリーの中心的人物は、物語の主人公である「寝覚の上」(「中の君」)の息子、「まさこ君(きみ)」です。

第二段にはまさこ君が冷泉院の女二宮を見そめてしまう場面が描かれています。

ところがまさこ君は、冷泉院の異母妹である女三宮とも恋仲になってしまい、そのことが院にも知られることになります。

身内に二股をかけられ怒った冷泉院の命により彼は出入り禁止処分となりました。

第三段はそんな困った状況に陥ったまさこ君が中納言の君(女三宮付きの女房)の里を訪ねるシーン。

そして第四段は、息子であるまさこ君の所業を許して欲しいと懇願する寝覚の上からの手紙を読み、落涙している冷泉院とその手紙を渡しに来た天台座主の姿が描かれています。

 

詞書が付随しない「第一段」について、大和文華館は「場面の特定は難しい」としています(『大和文華館名品図録』P.13)。

しかし、東京国立博物館の「やまと絵展」図録(P.403)にある古川攝一研究員の解説では第一段に関し「すでに亡くなったと思われていた寝覚の上を息子のまさこが見つけ出す場面」と特定しています。

手元にある大和文華館名品図録は第6版、2016年に刊行されているものです(第1版は1960年)。
「寝覚」は図録の冒頭に記載されているカタログNo.1作品でもありますから、当然にその説明文も版を重ねる度に見直されていると考えられます。

つまり公的に刊行されたテキスト情報をみた範囲ではありますが、2016年から、東博「やまと絵展」が開催された2023年までの間に「第一段」の内容が特定されたということになります。

ところで、ここでとても面白いことに気がつきます。

古川研究員の経歴をみると2009年から2021年まで実は大和文華館で研究を行っていたことがわかるのです。

彼が東京国立博物館に移ったのは2019年ですから、しばらく両館を掛け持ちしていたようです。

10年以上、大和文華館で「寝覚」と付き合ってきた研究員が東博展でその最新研究成果を披露したということなのかもしれません。

nrid.nii.ac.jp

 

「寝覚物語絵巻」第二段

 

内容自体が謎めいている「寝覚物語絵巻」ですが、私がこの作品から感じる最も不思議な魅力はその独特の植物表現です。

第四段を除き、3枚の絵には全て木々が描かれています。

奇妙にうねりが効いた図像に驚きます。

特に「第二段」では、まるで何か情念がこもっているかのようにクネクネと枝をしならせていて、姿を御簾の内に隠す人物たちよりも、むしろこちらが主役のような描き方にも感じられます。

この段はまさこ君が女二宮を見初めてしまう情景が描かれているとされています。

うねりまくる木々はまさこ君の心中に渦巻く官能の欲望を表現しているのではないかと、どうしても見えてきてしまうわけです。

平安後期における象徴主義表現主義の混淆表現とでもいいましょうか。

しかも、その背景には表現主義とは無縁の煌びやかな金箔表現がみられ、形式美の要素も取り入れられています。

文学作品としての原作同様、古典美が写された「源氏物語絵巻」に対し、文化的な爛熟あるいは退廃的美意識が「寝覚」には現れているのかもしません。

あらためてじっくりこの絵巻を鑑賞し、ますます惹かれてしまいました。

 

一月下旬、まだこのミュージアム自慢の梅たちが本格的に開花する頃ではありませんが、何本か、すでに花を咲かせている木々がありました。