企画展 よきかな源氏物語
■2024年1月18日〜4月7日
■嵯峨嵐山文華館
よくありがちな源氏物語をテーマとした近世絵画特集ではありますが、この美術館らしくかなり珍しい作品も紹介されています。
独特の捻りが効いていて楽しめました。
冒頭近くに見覚えのある作品がありました。
中村大三郎(1898-1947)が描いた「紫式部」のイメージ画です。
この小品はもともと下京区の元成徳中学校に飾られていたもので現在は京都市学校歴史博物館が管理しています。
京都画壇の画家たちは戦前を中心に市内の小中学校のために筆をとっていて、木島櫻谷はじめ名だたる巨匠の作品が各校に飾られていました。
多くの学校が統廃合で消えていく中、学校歴史博物館がそうした絵画の受け皿となっています。
この「紫式部」もかつて学校歴史博物館が開催した「新校舎のはなやぎ」と題された企画展で展示されていた作品の中の一枚でした。
なお、元成徳中学校は今や早咲きの桜「春めき」の名所になっていて、今年もちゃんとソメイヨシノの前に満開を迎えて界隈の人たちの目を楽しませてくれています。
学校歴史博物館からは千種掃雲(1873-1944)の作品も出展されています。
中京区にあった元教業小学校に伝わった「旧都観月図」(1910)と題された一幅です。
「横笛」の一場面、夕霧が柏木未亡人である落葉の宮を訪ねているところが描かれています。
明治期の掃雲らしいキャラクター性を立てた描画で、横笛を夕霧に渡す一条御息所がみせる絶妙にオバサン臭い表情が見どころでしょうか。
円山応挙(1733-1795)による六曲一双の「源氏物語図屏風」(個人蔵)は彼がまだ20〜30歳代頃に描いたとされる大作です。
金地に豊かな彩色で描かれた華麗な作品ですが伝統的なやまと絵の手法を遵守しているせいか、応挙らしい徹底した写実性はまだはっきりとはみられません。
それでも細部をみると非常に細やかに描かれた龍頭鷁首舟や水鳥などに後年のテクニシャンぶりを垣間見ることができます。
豪華な岩絵具がふんだんに使われています。
どういう人物が若き応挙にこの絵を発注したのか、いろいろと想像の楽しみを与えてくれる作品でした。
御徒士町狩野家七代、玉円永信(1816-1880)による大変珍しい作品も展示されています。
ご近所の福田美術館が蔵する「源氏五十四帖図」という二幅からなる掛軸です。
上下にびっしりとさまざまな景物が描かれていますが人物は一人も登場していません。
情景描写だけで場面を連想させる「留守模様」というスタイルの絵画です。
それほど大きな作品ではないのですが永信は緻密に絵筆を駆使して物語に連関するヒントを描き込んでいます。
一種のゲーム性を帯びている絵画ともいえますが永信は異様なまでにディテールに凝っていて、室内に置かれた小さな調度品にあらわれた蒔絵の文様まで見事なテクニックによって再現しています。
末期狩野派独特の美意識が源氏物語を通して伝わってくる珍傑作と感じました。
もう一点、非常に興味深い狩野派の作品が登場しています。
狩野興也(?-1673)による「源氏物語六条院庭園図鑑」という絵巻です。
光源氏が造営したユートピア的ハーレムともいえる六条院(現在の河原町五条あたりではないかとされています)は四季に合わせて東西南北に仕切られた四つの邸宅が組み合わされていました。
南東に位置した「春の町」には光源氏当人と紫の上、女三の宮、明石の姫君が住み、その北側にあたる北東「夏の町」は花散里、玉鬘、夕霧にあてがわれました。
明石の君が住んだ北西の「冬の町」の南側、南西部分にあったのが「秋の町」でここには秋好中宮が暮らしたとされています。
狩野興也は興以(?-1636)の長男で、水戸徳川家に絵師とした仕えた人物です。
この「六条庭園図鑑」がいつどのような目的で描かれたのかはわかりませんが、かなり異様な作風の源氏絵であることがわかります。
ここには土佐派的ないかにもやまと絵らしい風情はほとんど感じられません。
幻想の平安王朝世界というよりも、室町時代頃に好まれた中国風の理想景色のようにもみえます。
父の興以は狩野光信(1565-1608)の門人として頭角を現し、血縁関係がなかったにも関わらず狩野姓の使用を許された実力派でした。
江戸狩野の主流を成した探幽・尚信・安信三兄弟の指導役でもあった父の画風を興也は忠実に受け継いでいたのかもしれません。
寝殿造の庭がみせるような雅にまとまった空間ではなく、まるで庭自体が外界と連続しているような壮大な景色が描かれています。
市中の邸宅というよりどこかの名所全体が表現されているようにもみえます。
興也はおそらくもともと物語上の幻想空間である光源氏の庭を、ある意味開き直って本当のユートピア風景として描きたかったのかもしれません。
そしてその手法として、父興以がもっていたのであろう光信から受け継がれた室町-桃山的な狩野派のスタイルを選んだのではないかと想像しています。
大きな作品ではありませんが、とても見応えがある風景絵巻でした。
なお本展は福田美術館同様、ごくわずかな例外を除き写真撮影OKの展覧会です。