テート美術館展にみるライト、マーティン、ターナー

 

テート美術館展 光 ー ターナー印象派から現代へ

■2023年10月26日〜2024年1月14日
■大阪中之島美術館

 

夏に乃木坂の国立新美術館で開催されたテート美術館展が大阪、中之島に巡回してきました。

 

以下の通りごく一部、展示品が東京展と異なっています。

《大阪展のみ》
ヴィヤ・ツェルミンシュ:「空」「銀河」「海」「砂漠」(カタログno.87〜90)

《東京展のみ》
ターナー:「講義のための図解」(no.35-10)
ペー・ホワイト:「ぶら下がったかけら」(no.72)
ブルース・ナウマン:「鏡と白色光の廊下」(no.75)
リズ・ローズ:「光の音楽」(no.91)

 

東京限定展示品の内、ターナーを除く3作品はいずれもそれなりに場所をとるので、スペースの都合から大阪では省かれたのかもしれません(一方、大阪展限定のツェルミンシュによる連作は小型のリトグラフです)。

これが理由でもないのでしょうが、東京(一般)2200円に対し大阪は2100円とわずかにディスカウントされていました。

ケチケチしたお話はこのあたりにしておこうと思います。

nakka-art.jp

 

「光」がテーマです。

およそ光と関係がない視覚系のアート作品はほとんど存在しないわけですから、要すれば「なんでもありのテート美術館名品展」といえなくもありません。

実際、1787年に描かれたジェイコブ・ムーア(Jacob More 1740-1793)の「大洪水」から、2014年制作のオラファー・エリアソン(Olafur Eliasson 1967-)による「星くずの素粒子」まで、扱われている時代は約200年と幅広く、ジャンル的にみても絵画だけではなく多彩なインスタレーション等が含まれています。

 

しかし、今回来日した約120点を通観すると、キュレーターたちが頭を悩ませ感性を駆使して構成されたのであろう作品群から、たしかにヴァリエーション豊かな「光」の数々が感じられました。

 

エドワード・バーン=ジョーンズ「愛と巡礼者」

 

中には「どこに光が?」と思わせる作品もあります。

エドワード・バーン=ジョーンズ(Edward Coley Burne-Jones 1833-1898)の非常に有名な大作「愛と巡礼者」には、これといって光そのものを意識した表現はみられません。

この作品では、茨の茂みから天使によって救い出される巡礼者が描かれています。

「闇から光の世界に救い出される」ことが表されているのです。

つまり、ここでは、描画技法上にみられる「光」の扱いではなく、絵画が表現している文学的モチーフとしての「光」に着目して作品が選ばれています。

やや強引な選定かとも思えますが、おかげでこのラファエル前派を代表する名品を鑑賞できるわけですから、企画者のセンスとアイデアに感謝すべきなのでしょう。

 

ジョセフ・ライト「噴火するヴェスビオ山とナポリ湾の島々を臨む眺め」(部分)

 

ジョセフ・ライト(Josepf Wright of Derby 1734-1797)の「噴火するヴェスビオ山とナポリ湾の島々を臨む眺め」は縦122X横176.4センチの大型油彩画です。

ロウソクの光に熱中したというこの画家の描く世界は、その明暗表現へのあまりにも強いこだわりからか、奇妙に現実離れした美しさを放っているように感じます。

ライトは実際にヴェスビオ山の噴火を見たわけではないのだそうです。

彼はロウソクに代表される身近な炎の光からこのカタストロフを想像して描いていることになるのですが、その結果、まるでファンタジー映画の一場面と見紛うほど劇的な絵画が仕上がることになりました。

ドラゴンのように伸びる噴煙とほとばしる溶岩の輝きからは、「光と影」そのものを楽しんでいるような画家の特異なセンスが感じられます。

他方でライトは、「トスカーナの海岸の灯台と月光」にみられるように、静かに幻想的な光景も巧みに描いていて、こちらでは素晴らしく詩的な余剰を表現しています。

 

ジョセフ・ライト「トスカーナの海岸の灯台と月光」(部分)

 

ライト・オブ・ダービーよりも少し後の世代、ジョン・マーティン(John Martin 1789-1854)になると、明暗対比表現はさらに劇性を帯び、より一層「映画的」な表現をとるようになります。

というより、マーティンの作風がその後の映画に影響を与えたということなのでしょう。

同じくヴェスビオの噴火を題材とした「ポンペイヘルクラネウムの崩壊」は、ライトよりも物語性が強く、まさに「ポンベイ最後の日」そのものが描かれています。

そのダイナミックな場面配置と極端な遠近法は、確かにそのまま舞台美術に応用できそうなくらい立体感が現れていて、膨大な情報量にも圧倒される一枚でした。

 

ライトやマーティンは技法や題材が古めかしく、やや判りやす過ぎるためか、ターナーほどこの国では人気がないように思えるのですが、その素晴らしさを再認識しました。

 

ジョン・マーティン「ポンペイヘルクラネウムの崩壊」

 

とはいえ、ターナー(Joseph Mallord William Turner 1775-1851)もやはり素晴らしいわけです。

今回の展示で特に面白かったのは、この大画家が「科学の眼」をとても重視していたことを意識して作品が選ばれていた点です。

「講義のための図解」と題された一連の作品では、彼が遠近法を徹底的に科学的な視点でとらえようとしていたことが示されています。

 

ターナー「講義のための図解」より

 

ところが、本展のために選ばれた実際の絵画作品に目を転じると、ターナーの表現は「光」の曖昧な美しさや宗教上のモチーフを扱い、むしろ「科学」から離れた内容を幻想的に表現しています。

「陽光の中に立つ天使」や「光と色彩(ゲーテの理論)」といった作品では、聖書の一場面が複雑な色彩による幻影の中に描き込まれています。

この人は「見たまま」を描こうとしていただけではないようです。

印象派への影響」がターナーを語るときには必ずといって良いほど指摘されますけれど、この画家の「象徴主義」的な一面が本展では示されています。

科学と幻想の視点。

ターナーの複雑な魅力が、限定された作品数にも関わらず端的に開陳されていて、さすが本家テート、という企画性を感じました。

 

ターナー「陽光の中に立つ天使」

 

概ね古い時代の作品から並べられていますが、クラシカルな絵画作品の合間にモダンアートが差し込まれたりと、とても緩急、新旧のリズムが考えられた展示に仕上がっていると感じました。

前述したバーン=ジョーンズのような超有名作が連続するわけではないものの、いずれも非常に見応えのある作品が並んでいると思います。

 

なお、多くの作品が写真撮影OKとなっていますが、一部の現代アートについては作者の了解が得られなかったのか、NG扱いのものもあります。

また、電動作品であるリリアン・レインの「液体の反射」とエリアソンによる「黄色vs紫」は可動時間が限定されています。

1時間くらい「お休み中」となっている場合がありますから、時間に余裕の無い方は注意が必要です。

 

平日の昼下がり、大きな混雑は見られませんでした。

 

ターナー「光と色彩(ゲーテの理論)-大洪水の翌朝-創世記を書くモーセ

ターナー「陰と闇 - 大洪水の夕べ」