デュビュッフのアポロンとキュパリッソス|カルヴェ美術館

 

ルーヴル美術館展 愛を描く

■2023年6月27日〜9月24日
京都市京セラ美術館

 

口の中まで甘くなりそうな官能に溢れたルーヴル展です。

夏休みが終わったのでそろそろ混雑は緩和している頃かもと思って出かけてみたのですが、夕方近くまでたくさんのお客さんで賑わっていました。

 

www.ytv.co.jp

 

ルーヴルが満遍なく館蔵の有名作品をピックアップして披露する、というような出開帳企画ではありません。

17,18世紀あたりを主要な時代に設定しつつ、ヴァトー、ブーシェフラゴナールといったロココ大巨匠たちをコアに、バロックから新古典主義あたりに属する作品たちを「愛」をテーマとして広範に紹介する内容。

展覧会最後のあたりでようやくドラクロワやシャセリオーといったロマン主義が一瞥されています。

中にはブーシェの「オダリスク」など、国宝級の超有名品もお目見えしていますが、全体としてみると、日本ではあまり馴染みのない画家たちの名前が連なっているように感じました。

 

この展覧会は東京展(国立新美術館 2023年3月1日〜6月12日)の後を受けての巡回展です。

珍しいことに、京都展での展示件数は乃木坂と同一で、欠けている作品がありません。

都内だけで鑑賞していると気が付かないことなのですが、地方巡回展の場合、結構、規模が東京展から微妙に縮小されることがあります。

おそらく展示キャパシティの問題等から数が減らされてしまうケースが多いのでしょう。

 

今回、京都市美術館では、北回廊1階全体に加え、東山キューブまで本展に充当し、東京展から一切縮減することなく全点を展示しています。

この2展示エリア合体による拡張措置は、2020年のリニューアルオープン後、おそらく初めてではないでしょうか。

今夏、近畿圏随一のブロックバスター展となる「ルーヴル美術館展」開催にあたり、主催側が相当に力を入れたことが伺えます。

とても素晴らしいことだと思います。

 

さて、今回来日している74点のうち、一枚だけ、ルーヴル美術館の所蔵ではない絵画が展示されています。

クロード=マリー・デュビュッフ(Claude-Marie-Paul Dubufe  1790-1864)が描いた「アポロンとキュパリッソス」(Apollon et Cyparisse )です。

 

 

この作品は、アヴィニョンにあるカルヴェ美術館(Musée Calvet)の所蔵品です。

1821年に描かれた大型の油彩画。

図録にある来歴をみると、「1872年に国から寄託、2021年に国からアヴィニョン市に所有権移転」とあります。

「国」とは実質的にはルーヴル美術館のことでしょう。

1822年のサロンで展示されたのち、国=ルーヴルからカルヴェ美術館に寄託されていたわけですが、2021年、つまりつい最近、制作からちょうど200年となる記念イヤーに、めでたくアヴィニョンの所有物になったということのようです。

ルーヴル美術館展」企画の段階ではひょっとするとまだ所有権はルーヴルにあったのかもしれません。

ただ、いずれにせよ、アヴィニョンにあるこの作品をわざわざ日本にもってきたわけですから、今回の企画上、欠かすことのできなかった一枚と推測することもできそうです。

www.musee-calvet.org

 

クロード=マリー・デュビュッフの本領は肖像画の分野にありますが、「アポロンとキュパリッソス」を描いた1821年、当時30歳代に入ったばかりの画家が得意としていた絵画は、いわゆる古典を題材にした作品でした。

ダヴィッド最後の後継者」ともいわれたデュビュッフが師匠の作風を素直に受け継いでいた頃の美質がとてもよく表された名品だと思います。

 

題材は有名な神話に基づいています。

アポロンから贈られた牝鹿を誤って殺してしまった青年キュパリッソスは、死、あるいは永遠の苦しみを自らへの罰としてアポロンに求めます。

アポロンは彼を糸杉(Cupressus)に変身させることで、キュパリッソスの願いを聞き入れるというお話。

 

デュビュッフが描いている場面は、変身させる直前、両者が永遠の別離を惜しんでいるかのような情景です。

すべすべした肌は、観た者にまるで「触れている」錯覚まで起こすような、異様な描写力で表現されています。

よくみると、キュパリッソスの閉じられた眼からは涙がこぼれているのですが、ハイパーリアリズムさながらの写実技巧によって、実際に肌から浮かび上がるような質感が表されています。

ダヴィッド流の古典写実主義が行き着くところまで行き着いた、一つの到達点が示されている絵画といえるかもしれません。

 

もう一つ、「行き着くところまで行き着いた」という意味がこの絵画には示されてもいます。

アモールやプシュケ、宮廷の恋人たちや聖母子といった様々な愛の主人公を登場させてきた画家たちは、純粋性と官能性、その合わせ技の極地として「両性」の境界に挑戦していくことになります。

アポロンとキュパリッソス」は男性同士の恋愛表現が紛れもなく描かれているのですが、神からも青年からも、彼らが男性になりきる直前、「性が決まる」前の美しさが出現しているように感じられます。

キュパリッソスの胸から腹あたりには僅かに筋肉の陰影がみうけられはします。

しかし、異様に長く引き延ばされた身体全体からは、男性性というより、とても抽象的に理想化された、人生において一瞬しか現れない人体の美しさが際立ってくるように感じられないでしょうか。

両者の面相、その表情には、微妙に男と女の成分が混淆して投影されているようにもみえます。

日本側の企画者がおそらくちょっと狙ったのであろう、BL的面白さが、実は、この絵画からはほとんど感じられません。

それはデュビュッフが、「純粋な官能」という、およそ本来は実現不可能な美に、ダヴィッドから受け継いだスタイルと技巧を余すところなく投入している、そのあまりの真摯さに、まず衝撃を受けてしまうからなのでしょう。

 

題材としても、様式としても、「行き着くところに行き着いた」絵画。

「愛」をテーマとしたこの企画を俯瞰したとき、デュビュッフの「アポロンとキュパリッソス」は、なるほど、アヴィニョンから借り受けてまでも欠かすことができない一枚、だったのかも知れません。

 

クロード=マリー・デュビュッフ「アポロンとキュパリッソス」