丸紅ギャラリー開館記念展Ⅲ
ボッティチェリ特別展 美しきシモネッタ
■2022年12月1日~2023年1月31日
2021年11月に開館した丸紅ギャラリー。
遅まきながら、初めて訪問してみました。
大手町の丸紅本社ビル内3Fにありますが、オフィス部分とは程よく分離されていて、天井を高くとったエントランスは割と開放的にまとめられています。
入館料はキャッシュレス決済のみ。
知っている範囲では大阪の藤田美術館もこの新しい運用方式を採用しています。
現金は日々の管理も結構大変ですから、規模の小さい施設では主流になってくるかもしれません。
昨年末あたりから、都内のあちこちに「美しきシモネッタ」があしらわれたこの展覧会の巨大なポスターが掲示されていました。
文字通り、この作品一点のみにフォーカスした企画展です。
典型的な一点豪華主義企画のようにも思われますが、例えば「○○とその時代」とか称して、実は主役の有名画家(フェルメールやレンブラントあたりが使われます)「以外」の作品で大半を占めてお茶を濁すという、よくありがちな企画より、はるかに潔いともいえます。
正確に言えば、この企画は、一点豪華主義、ではなく、「一点主義」の展覧会です。
その徹底ぶりに感嘆しました。
ギャラリーに向かう手前、丸紅本社1Fエントランスには「美しきシモネッタ」の巨大な拡大図が圧倒的迫力をもって掲示されています。
地下鉄構内などに貼られているモノクロ巨大ポスターもそうなのですが、この絵画の凄いところは、こんなに大きく引き伸ばされても、その細部がほとんどボケたり滲んだりすることなくクッキリと図像を現すところでしょう。
実物は65X45センチ。
それほど大きな絵ではありません。
にもかかわらず、どんなに拡大されても線が崩れません。
つまり、この作品は、恐ろしく緻密な仕事によって仕上げられた、実は「超絶技巧工芸絵画」なのです。
「美しきシモネッタ」は1969(昭和44)年、丸紅株式会社によって「購入」ではなく、「輸入」された絵画です。
もともとこの作品を丸紅は自社の所有物として恒久的に持つつもりはありませんでした。
総合商社機能にアート部門を追加新設し、美術品を扱いはじめた中で、イギリスの画廊から入手した高価な「貿易品」だったのです。
当時1.5億円で仕入れたとされています。
日本国内唯一のボッティチェリ作品として知られている絵画です。
ところが、展示履歴は1969年以降、半世紀を超える時間の中で、わずかに8回を数えるだけです。
その理由は、ある意味、明白といえるかもしれません。
1971年、この絵画をめぐって有名な真贋論争が巻き起こっています。
結局「シモネッタ」は、1988年、当時の安田火災東郷青児美術館(現SOMPO美術館)での特別展示まで20年近く公開されることはありませんでした。
偽物疑惑によって「売るに売れなくなった」丸紅の執念ともいえる科学・学術調査によって、現在では、本作が15世紀、ボッティチェリによって描かれたものとして一定の結論を得ています。
ただ、ボッティチェリ一人の絵筆によるのか、あるいは、「工房」が関わっているのかといった部分はいまだに決着が完全にはついていないのだそうです。
今回、あらためてこの奇跡的に美しさを保っているテンペラ画をじっくり鑑賞して思ったことがあります。
これは単純に「絵画」といって良い作品なのかどうか、ということです。
前述したように、尋常ではない拡大化を被っても全く崩れない「シモネッタ」の図像は、むしろ、とびきりの技術によって生成された「工芸」の域に近いのではないかと思えるのです。
会場の奥、一点だけ陳列された実物の放つその美しさ。
一種異様なレベルです。
渦巻きながら輝く金色の毛髪、首飾りの宝石が含む微妙な光、衣服の一襞一襞が織りなす陰影。
そして、シモネッタ自身の肌がもつ究極の透明感。
唖然とするしかありません。
当時の慣習からみて、当然にこれは注文絵画です。
ボッティチェリが個人的な趣味でこだわり抜いて作画に取り組み時間をかけたとは考えにくい。
何より早く仕上げなければ発注者に怒られてしまいます。
にもかかわらず、この極端に高い異常なまでの完成度。
私個人としては、ボッティチェリ単独の仕事、というより、「工房」の極めて優秀な技術が投入されている作品とみた方が納得できるような気がします。
あまりにもその仕事ぶりが巧緻にすぎるのです。
さて、美術部門のビジネスを景気動向の悪化もあって結局断念した丸紅は、この「輸入品」である営業資産を自社の「所有物」に変更します。
初めて取り扱った大物絵画で思わぬ真贋論争に巻き込まれたことにも懲りたのでしょう。
おそらく、現在では有価証券報告書「固定資産」の「什器備品」項目の中にこの「美しきシモネッタ」も計上されているとみられますが、簿価1.5億円の価値は、現在途方もない金額に上昇しているのではないでしょうか。
これは下世話な与太話でした。
ただ、仮に丸紅の美術ビジネスが軌道にのり、この絵画も売り物の一つとして扱われ続けていたならば、一説には「国宝級」とも称されるボッティチェリ作品を、現在、大手町の一角で気軽に鑑賞できるような状況にはまずなっていなかった、とも言えるわけです。
今回の「一点主義」企画展は、丸紅の「シモネッタ」との長い付き合いの総決算とも言える性質をおびていて、その覚悟が会場全体から伝わってきたという点でも、強く印象に残りました。
ところで、この「美しきシモネッタ」という作品名は、矢代幸雄が著した有名な研究書『サンドロ・ボッティチェルリ』で彼が用いた表現からとられているのだそうです。
"La Bella Simonetta"。
でも、この超傑作工芸絵画には、もっともっと凄いタイトルが適当かもしれません。
「美しい」というよりも「美しすぎる」シモネッタ、でした。