髙橋耕平と津高和一の対話:芦屋市立美術博物館「時代の解凍」

 

 

art resonance vol.01 時代の解凍
Defrosting Time: Art Across Generations

■2023年10月28日〜2024年2月4日
■芦屋市立美術博物館

 

芦屋市立美術博物館が館蔵品と現代アーティストを共演させるという意欲的な企画展を開催しています。

組み合わされているアーティストは以下の通りです。

・髙橋耕平(1977-) / 津高和一(1911-1995)
・野原万里絵(1987-) / 山田正亮(1929-2010)
・藤本由紀夫(1950-) / 山崎つる子(1925-2019)
・黒田大スケ(1982-) / 田中敦子(1932-2005)、堀内正和(1911-2001)、柳原義達(1910-2004)、エミール=アントワーヌ・ブルーデル(1861-1929)

ashiya-museum.jp

 

館蔵品をキーとして現役アーティストの作品とコラボレーションさせるという企画はこれまでにもみられた試みです。

近年開催されているその最も有名な例はアーティゾン美術館による「ジャム・セッション」シリーズでしょう。

森村泰昌山口晃といったビックネームと石橋財団コレクションを組み合わせた大規模な展覧会を継続しています。

関西の例でいえば、京都市京セラ美術館が「コレクションとの対話:6つの部屋」展を2021年秋に開催、見応え噛みごたえのある内容の企画展として記憶に残っています。

 

インバウンド客で賑わう東京国立博物館のような例外はありますが、普通にコレクション展(常設展)を開催しても、来客者へ強い訴求力を及ぼすことは難しいのが実情です。

芦屋市美は地元や関西所縁のアーティストによる優品を多数所蔵していますが、やはり一般的なコレクション展における集客には苦労してきたようです。

そこでこの美術館流に「ジャム・セッション」を組んでみた、ということなのでしょう。

 

ただ、単に館蔵品からインスピレーションを受けた作品を現代アーティストに創造してもらうというわけではないようです。

チラシには以下のような文言が確認できます。

 

"本展は、現代の作家が新たな視点をもって当館コレクション作品を調査・研究し、その研究成果としての展示空間=「思考を深める場」を立ち上げる方法によって、新たな展望を提示します。"

 

髙橋耕平「目の交換、視線の先、彼岸と此処の間を」

 

つまり現代作家たちに館蔵品を「調査・研究」してもらい、読み解いた「研究成果」の発表が企図されているのです。

こんな美術館側による説明文を読むと、今回、仕事を任された4人のアーティストは結構大変だなあと思ったわけですが、実際に展示されている作品たちは極めてユニークで、少しも「学究臭さ」が感じられません。

むしろこの芦屋市美によるやや生真面目なテーマ設定に対し、少し遊んでやろうというトライアルな姿勢が色濃く現れているようです。

 

山田正亮「Work F.1」と野原万里絵「余白との会話」

 

「調査・研究」という方針に最も忠実に従っている作家は、おそらく、野原万里絵でしょう。

山田正亮が残した膨大な作品群やノートを解読しつつ、山田へのオマージュをとても誠実に作品として現しています。

一部の絵画にはまるで山田正亮本人が憑依したのでは無いかと見紛うばかりに、彼の語法、色彩センスが写された作品もみられます。

とても麗しい「ミメーシス」が実現されていました。

 

山崎つる子「作品」と藤本由紀夫「1963-1964 WORK 2022-2023」

 

4人の中で最年長の藤本由紀夫が、逆に最も若々しい展示空間を創造していたことに少し驚きました。

この美術館ご自慢の一作、山崎つる子の「作品」を文字通り、藤本流の「部屋」に鎮座させ、ぐるりと鮮やかなインスタレーションで取り囲んでいます。

さりげなくピンチョンやカイヨワの書籍がソファの近くに置かれていたりと、まるで山崎と藤本、二人の作家が時を超えてダブりながら創造している「仕事場」的な雰囲気が素敵に構成されていました。

 

藤本由紀夫「1963-1964 WORK 2022-2023」

 

田中敦子、堀内正和、柳原義達、それにブルーデルと4名もの大家たちに関する「調査・研究」を一手に引き受けることになった黒田大スケは、田中の作品制作に携わった電気屋の「声」をグロテスクにユニークなキャラクターに被せて映像化するなど、「証言者」を活用することで「研究」発表にかえたようです。

田中敦子と付き合うことになってしまった電気屋さんの大変さがその訥々とした語り口に見事に現れていて、笑いを禁じ得なかったインタレーションです。

 

なお本展では写真撮影OKの作品が大半ですが、黒田大スケのコーナーだけは撮影がNGとなっていました(展示室内の風景全体を捉える場合はOK)。

また、田中敦子作品については個別に撮影NGマークが付随しています。

他の「具体」メンバーたちはたいていカメラOKなのに、この人についてはなぜか他の美術館でも撮影不可とされることが多いように感じます。

ご遺族・関係者の意向なのかもしれまぜん(余談でした)。

 

髙橋耕平「目の交換、視線の先、彼岸と此処の間を」(部分)

 

さて、本展で最も真剣に遊びながら「調査・研究」成果を提示していると感じられた作家が髙橋耕平です。

美術館1階ホールの床を全面的に占領し、「目の交換、視線の先、彼岸と此処の間を」と題したインスタレーションを大展開しています。

津高和一が大切にしていたという芸術作品を通しての「対話」というモチーフに髙橋は共感したのだそうです。

実にさまざまな廃材とみられるトタンや車輪のようなモノが白いシートの上に置かれていて、鑑賞者の回遊を誘っています。

 

髙橋耕平は先に触れた京都市美での「コレクションとの対話」展でも、文字通り「対話」の面白さを引き出した映像作品を発表していました。

京都市内とみられるさまざまな場所の地面に色のついていない水だけを含ませた筆で作品名を書いていく作家の姿が、今回の芦屋での展示と重なりました。

 

津高和一「風化」

アート鑑賞は、ある意味、全て作品と鑑賞者との「対話」が前提となっている行為とも考えられます。

津高和一はその「当たり前」のことを少し社会の側に押し出してみようとしていた人なのかもしれません。

私自身は見たことはありませんが津高が試みた「架空通信テント美術館」とはそういうものだったのでしょう。

大阪芸大のブログに当時の様子を記録している記事がありました。

「生誕100年 津高和一 架空通信テント展」 西宮市大谷記念美術館 (前) | 大阪芸術大学ブログ

 

髙橋耕平は直接的に「テント美術館」のイメージを再現しようとはしていません。

むしろ白いテント生地をベースにしながらも、津高抽象絵画に強くインスパイアされて今回のインスタレーションを制作したように感じられます。

多彩に静かにその存在を主張する廃材群と余白は、津高のイメージを取り込みながら、見下ろす鑑賞者に確かに何かを語りかけてくるようでもあります。

 

阪神淡路大震災でとても悲劇的な最期を遂げてしまった津高和一。

そのことを高橋は特別に意識してこの作品を制作したわけではないようです。

しかし、床面に置かれたさまざまなモノの様態からは、どこか津高へのレクイエムのような詩情が立ち上がってくるようにも感じられます。

静けさと優しさを兼備したような津高抽象絵画と見事に呼応する作品でした。

 

髙橋耕平「目の交換、視線の先、彼岸と此処の間を」

 

"art resonance Vol.01"とありますから、こうした企画が今後芦屋ではシリーズ化されるのでしょう。

今後の展覧会が楽しみです。