京都dddギャラリーのカナダ・日本 現代版画展

 

 

京都dddギャラリー第240回企画展
MIRROR/MIRROR:カナダ・日本 現代版画ドキュメント

■2024年01月17日~03月17日

 

16名(カナダ8名・日本8名)の現代アーティストたちによる「版画」展です。

といっても、いわゆる版画らしい版画はほとんどありません。

規模は小さいものの、非常に多彩な諸相を帯びているこのジャンルの面白さを端的に体感できる企画展かと思います(無料)。

 

dddギャラリーとしては珍しく前期(1月17日〜2月12日)と後期(2月17日〜3月17日)で作品が完全に入れ替わる構成をとっています。

前期はデレク・ベサント、アレクサンドラ・ヘイセカー、ウォルター・ジュール、ウィリアム・ラング、金光男、清野耕一、髙橋耕平、吉岡俊直。

後期はショーン・コーフィールド、ルネ・デロウィン、リズ・イングラム、トレイシー・テンプルトン、加納俊輔、木村秀樹、大﨑のぶゆき、大島成己といった面々の作品が数点ずつ展示されています。

www.dnpfcp.jp

 

企画自体は本展にも作品を出展している木村秀樹(1948-)とカナダ側のデレク・ベサント(Derek Besant 1950-)の個人的なつながりからスタートしたようです。

カナダにおける版画界隈の事情に全く詳しくないのですが、同国のアルバータ大学が版画に特に力を入れていて、この分野における中心的な存在の一つとなっているようです。

本展にもアルバータ大学に関係したアーティストたちが数名招かれていました。

また、最年長の出展者であるウォルター・ジュール(Walter Jule 1940-)は東京大学、ショーン・コーフィールド(Sean Caualfield ?-)は武蔵野美術大学にかつて客員として招かれたことがあり、逆に清野耕一(1957-)はアルバータ大学をはじめカナダの各地でワークショップを開くなど教育現場での交流実績があります。

この分野における日本との意外なつながりが確認できます。

www.ualberta.ca

 

日本側をみてみると清野を除く7人はいずれも京都に関係している男性アーティストたちです。

カナダ側も特に公的な縛りで選定された人たちではないようですから、木村-ベサント、二人の軸を中心としつつDNP側が間に入る形でセレクトされたアーティストたちなのかもしれません。

 

16名の作風は当たり前ではあるのでしょうけれど、全く違います。

そもそも「版画」というジャンルに括ることを躊躇せざるをえないような実にさまざまな素材、技法、メディアが用いられていて、展覧会のタイトルを隠されたらこの企画を「版画展」として観る鑑賞者はほとんどいないのではないかと思われるほどです。

 

髙橋耕平「重力のスクリーンー陶土の記憶」

 

例えば髙橋耕平(1977-)による「重力のスクリーンー陶土の記憶」(2023)は完全なる「映像」作品であり、ここには紙もインクも全く存在しません。

楕円形の「画面」上に建物の上層階から陶土の塊を落とす人物と路面にペチャンと落下したその土塊が即物的に写される映像がリピート再生されています。

実は鑑賞者が観ている「画面」そのものが「落下した陶土」なのです。
フラットな楕円スクリーンは重力と路面によって作りだされた陶土の一面ということになります。

なんとも不思議な感覚に陥ってしまう作品です。

時空が輪廻しているようにも感じるし、エッシャーの騙し絵風作品を見せられているような感覚すら覚えます。

陶土は路面に落下することで平坦な「スクリーン」に変化しているわけですからこれを版画における「紙」のような存在とみなし、路面が生み出した「重力」そのものを写しているとすれば、確かに「版画」ということもできるかもしれません。

髙橋耕平は、現在の彼の作品をみているとあまり想像できないのですが、京都精華大学で版画を専攻していた人です。

捻りを効かせすぎたアクロバティックな作品のようでいて「重力のスクリーン」は「写す」という版画の根本的な要素を抽出しているともいえますから、この作品もコンセプチュアルにみれば「版画」とみなせなくもないわけです。

 

アレクサンドラ・ヘイセカー「集会」

 

会場の一角にカラフルな蝉のような虫の一群が展示されていました。

アレクサンドラ・ヘイセカー(Alexandra Haeseker 1945-)による「集会」(2020)という作品です。

近づいてよくみるとこの虫は蝉ではありませんでした。

蝿です。

そのことに気がつくと一瞬ギョッとするわけですが、よく考えてみると蝉はこんなに多彩な色を持ってはいません。

他方で蝿は忌々しい害虫なのでじっくり観察することは日頃ないわけですけれど、その身体は虹のような彩りをまとっています。

ヘイセカーは蝿に感じる生理的な嫌悪を版画による「複写性」を活かした「色の群れ」に変換することによって鑑賞者から遠ざけているということになるでしょうか。

この蝿たちもおよそ一般的な「版画」のイメージからは遠いにもかかわらず、紛れもなく「版画」なのです。

 

それぞれにユニークな発想と技法が体現されていて全体としてとても面白く鑑賞できたのですが、本展では特に吉岡俊直(1972-)と大島成己(1975-)の作品に惹かれました。

既に確固とした作風をもった実力派の二人。
両者とも版画科の出身です。

 

吉岡俊直「天使の詩」(部分)

 

吉岡の「天使の詩」(2021)は高速道路と巨大な駐車スペースが写された大型のシルクスクリーン作品です。

3Dモデリングの手法とゴムシートを組み合わせたこの人の版画には、完全にデジタル技術だけで制作されたアートなどからは感じとれない、そのたっぷりとした異次元空間的な詩情に惹き込まれてしまう魅力があります。

深い碧の立体的な塊に溶けている人工物群をまるで俯瞰するような天使の視線が画面全体に漂っているような一枚です。
傑作と感じました。

 

大島の「haptic green-in two cedar trees」(2013)は一見、完全に版画ではなく写真と感じられます。

実際、画面は写真そのものなのですが、ところどころ妙に立体感が先鋭になったり、逆にピントがぼやけているような部分があることに気がつきます。

まるでこちらの網膜がおかしくなってしまったのではないかと一瞬たじろいでしまうくらい「遠近」の関係がじっくりと操作されているのです。

この作品は写真のようでありながら、画像がどこか「手触り」を重視したような感覚でコラージュされているという点で版画における「摺」の要素を感じさせます。

写真だけでは表現できない「肉眼」的なセンスに驚かされる一枚です。

 

大島成己「haptic green-in two cedar trees」

 

dddギャラリーは太秦天神川から四条烏丸に移転した後も、相変わらず尖った企画で「刷る」ということの多面性を楽しませてくれますが、今回は中でも非常に力の入った内容でちょっと驚きました。

 

今後の企画もとても楽しみです。