福田平八郎展とモネ|大阪中之島美術館

 

没後50年 福田平八郎

■2024年3月9日〜5月6日
■大阪中之島美術館

 

美術館のチケットブース前に長い行列が出来ていて困ったなあと思ったのですが、大半のお客さんは同時開催されている「モネ展」がお目当てだったようです。

関西では2007年の京都国立近代美術館展以来、17年ぶりとなる福田平八郎(1892-1974)の大回顧展。
こちらの方は大きな混雑もなく比較的ゆったりと鑑賞できました(平日鑑賞)。

nakka-art.jp

 

福田平八郎は大分に生まれ育ち京都で活躍した人です。
本展は当然に平八郎の故郷である大分でも開催(大分県立美術館 5月18日〜7月15日)されますが、大阪とは特に強い結びつきがある画家ではありません。

ただ中之島美術館には平八郎を代表する一枚「漣」(1932)があります。
2022年に開館したこのミュージアム自慢の重要文化財でもありますから今回のレトロスペクティヴは京都ではなく大阪で開催される流れとなったようです。

福田平八郎「漣」(大阪中之島美術館蔵)

 

「漣」が重文指定されたのは2016(平成28)年。
比較的最近のことです。
文化庁が編集している『月刊文化財』(633号)の中では指定に際して「本作は大正末から昭和初期にかけて起こった日本画モダニズムを代表する作品として評価することができる」とコメントされているそうです(東京国立近代美術館重要文化財の秘密」展図録P.217)。

釣りを趣味としていた平八郎が琵琶湖の水面を眺めていた際に画題としてひらめき制作された作品です。
縦が156.6、横が185.8センチ。
実物はそれほど大きな作品ではないのですが、眺めていると次第に水面が動きだしフレームをはみ出して広がっていくような錯覚すら感じる不思議な魅力があります。

平八郎はすぐに形を変化させてしまう湖面の波形をとらえることに相当苦心をしたようです。
彼は「結局よく見ることが何よりのたよりとなるものです」(同図録P.217に引用された「自作回想」より)と写生の重要性について語っています。
他方で画家は「漣」を描くにあたって岡本東洋(1891-1969)に撮影してもらった写真も参考にしています。
神奈川県立近代美術館が2009年に開催した「画家の眼差し、レンズの眼」展ではその比較展示がなされたこともありました。
生の眼差しだけではとらえられない「かたち」をも画家は意識していたわけです。

www.moma.pref.kanagawa.jp

 

本展では福田平八郎のごく初期の作品から展示が始まります。

京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)在学中に描いた作品をみるとこの画家が若い頃から抜群のテクニシャンであったことがすぐわかります。

彼が20歳代を迎えていた頃、大正前期の京都画壇は国画創作協会の面々が華々しく活躍していた時期であり色彩的な官能と頽廃美がおおいにもてはやされていました。
平八郎も1920(大正9)年、榊原紫峰(1887-1971)の影響を受けて描かれたという「安石榴」(大分県立美術館蔵)では濃厚に色彩的な作風を示し、時代の空気に反応はしています。

 

福田平八郎「安石榴」(部分・大分県立美術館蔵)

 

しかし面白いことにこの人はすぐに軌道を修正します。
平八郎は写生を繰り返すことで高い技術力にさらに磨きをかけていき、ついに1921(大正10)年、「鯉」(皇居三の丸尚蔵館蔵)によって第3回帝展の特選を受賞しています。
鯉に現れた濃淡によって水面の深さまで観る者に感じさせる若き平八郎の筆力に驚く大作ですが、ここにはもはや大正デカダンの空気は全く感じられないのです。

徹底した写生を通して事物のエキスを抽出する眼と筆をもった画家が福田平八郎であり、そのことを端的に示している作品が「漣」ということになるでしょうか。

 

福田平八郎「朝顔」(大分県立美術館蔵)

 

ところで先述したように中之島美術館ではこの展覧会と並行して「モネ展」が開催されています。

二つの展覧会に関係性はありません。
没後50年を契機に開かれている福田平八郎展に対し、モネ展は第1回印象派展開催から今年で150年経過したことを記念して企画されています。
主催も異なります。

福田平八郎は同時代の西洋美術にも強い関心を示していたことで知られていて本展ではマーク・ロスコ作品の模写まで展示されていますが、モネに特別執着したというわけではなそうですし、逆に生前のモネ(1840-1926)が平八郎を意識したことなど到底考えられないことでしょう。

しかし、こうして偶然にもほぼ同時並行的に両者の作品を鑑賞すると不思議な共通点がみえてくるようにも思えるのです。

 

モネ展の副題には「連作の情景」とあります。
ブルターニュの断崖、積み藁、ロンドンの橋、そして睡蓮と、モネは特定のモチーフを繰り返して描いた画家です。

福田平八郎についてもその作品群を通してみていくとすぐに共通して好まれた画題が浮かび上がってくると思います。
鯉に鮎、そして竹。
何度も同じモチーフが採用されています。

特に「鯉」は初期から最晩年まで飽くことなく描かれていますから、この画題に絞って作品を並べると平八郎のスタイルそのものの変遷を辿ることまで出来てしまいます。

モネが同じモチーフの作品を何回も繰り返し描いたのは、同一の事物景物であっても「光」の存在によっていかようにでもその色彩を変化させることに魅了されたからです。

他方、平八郎は主に写実を極めていく中で見えてくる「かたち」の本来の姿を抽出するため何度も同じ対象物を描いたといえるかもしれません。

つまりその目的は微妙に違っているのかもしれませんが、両者とも「みえる」ということがどういうことなのか徹底的に拘った点で「連作の画家」としての共通性があるように感じられました。

 


www.youtube.com

 

福田平八郎がモネとよく似ていると感じさせるある言葉が展覧会場の壁面に書かれていました。

「昔から竹は緑青で描くものときまっているが、三年間見続けて来てるけど私にはまだどうしても竹が緑青に見えない」(「初夏の写生」より 本展図録P.232)

竹が本来もっている色、あるいはそれが日光の加減によって変化していく様は、緑青という岩絵具だけでは到底表すことができないということなのでしょう。

今では一見当たり前のようにも思える言葉ですが、「竹=緑青」という決まり事は平八郎が学んだ日本画の世界では厳然としたまさに自明の理でした。
だからこそこの人は「三年間」も見続けたのです。

そして平八郎は「緑青にみえない」と竹を把握した途端、青や黄色、それに紫といった多様な色を用いてなんと群生する竹の一本一本を全て違った彩色で仕上げています。
緑青という縛りが解けたとき、平八郎の眼にはモネが積み藁で描き続けたような、光と対象物が織りなす千変万化の色彩世界が映ったのでしょう。

作風自体は当然に全く違いますが、モネも平八郎も「本当の色と形」を生涯追い続けていたというところがその「連作性」に現れているのかもしれません。

 

福田平八郎「朝雪」(大分県立美術館蔵)

 

展覧会全体としては写真撮影NGですが何点かOKの作品もあります。
因みに「漣」は、昨年東京国立近代美術館で開催された「重要文化財の秘密」展に登場した際には、多くの作品が撮影可となっている中、中之島美術館が東近美に対して撮影許可をおろしていませんでした。
なぜか本展ではOKとなっています。

その「漣」は通期展示(ただし4月9日〜23日まで展示休止)されているものの、前期(〜4月7日)と後期(4月9日〜5月6日)でそれなりの作品が入れ替わります。

息を呑むほどの傑作「緋鯉」(京都国立近代美術館蔵)は前期まで、「漣」と並ぶ平八郎の代表作「雨」(東京国立近代美術館蔵)は後期からの登場です。

 

福田平八郎「雲」(大分県立美術館蔵)