近所のIMAXシアターでトーキング・ヘッズを浴びてみました。
映像と音楽のリズムが身体の奥に染み込んでしまい、なかなか抜けてくれません。
GAGAの配給により各地のシネコンなどで2月2日から「ストップ・メイキング・センス」の4Kレストア版が公開されています。
「音楽ドキュメンタリー映画」と説明、カテゴライズされることが多い作品です。
しかし、どうもこの言葉は私にはしっくりきません。
そもそもこの「ストップ・メイキング・センス」は「映画」なのでしょうか。
あるいは「ライヴ映像」なのでしょうか。
私はそのいずれにも属さない、というか、そうした分類自体が無意味になるくらい独特の内容をもった作品ではないかと考えています。
「ストップ・メイキング・センス」(Stop Making Sense 1984)は1983年12月、ハリウッドのパンテージズシアターで行われたトーキング・ヘッズのコンサートをジョナサン・デミ(Jonathan Demme 1944-2017)が監督して記録製作された映像音楽作品。
1984年の公開以降、サントラのCDはもとよりDVDなどのメディアがマーケットから消えることなく存在し続けている名作です。
デヴィッド・バーンとスパイク・リーが組んで映画化された「アメリカン・ユートピア」が近年ヒットした後なのでてっきりこれに絡んだリバイバル上映かと思っていました。
でもどうやら「アメリカン・ユートピア」とは直接あまり関係はなく、ライブから40周年の節目を前にトーキング・ヘッズのメンバーやA24が中心となって過去ソースを掘り出し再製作された経緯にあるようです。
それにしてもこんな企画にまで手を伸ばすA24。
抜かりのない配給会社です。
4Kレストアされた映像は驚くほど自然体に仕上げられています。
1983年当時、まだ「羊たちの沈黙」などのメジャー作品を撮る前のデミと彼に率いられたカメラマンたちはそれほど高額の撮影機材をおそらく用いることができなかったと想像されます。
やや粒子の粗い部分等を味わいとしてそのまま残し、高精細化や色彩補正を極端に施すことなく、現場がもっていた空気感の再現を最優先としたかのようなジェームス・モコスキーによるレストア監修は素晴らしい成果をあげていると感じました。
アーティストたちの皮膚が次第に汗ばんでくる様子や息づかいまでもが生々しく再現されています。
サウンドトラックも当然にリマスタリングされているのでしょう。
セクシーなバーンのボーカルやギターの粒立ち、パーカッションの鋭さと重さが満遍なく捉えられ、鮮烈です。
ただその音響も不自然に定位をいじることなくホールの現場感があくまでも重視されているので耳が過剰に忙しくなることはありません。
4日間に及んだというコンサートの中から映像と音楽を選び抜いて再構成されています。
ですから厳密にいえば、一夜のライブをとらえた完全な「音楽ドキュメンタリー」ともいえないわけです。
ところがラジカセを持って登場し、一人歌い出すデヴィド・バーンの"PSYCHO KILLER"からフィナーレまで、本編はまるで丸ごと一夜その場かぎりの光景が再現されているように感じられます。
アーティストたちを切り取る視点を各々の曲想と全く切り離せないくらい有機的に連携しつなぎ合わされていくジョナサン・デミの手法がこの作品ではほとんど「奇跡」といっても良いくらいカッコよく決まっています。
「ストップ・メイキング・センス」は、ライヴの映像を記録しようとした映画でもなければ、映画用にライブを記録した作品でもありません。
ましてや「音楽ドキュメンタリー」でもないのです。
アーティストたちのパフォーマンス、サウンド、ステージセット、照明、そして観客、すべてが渾然一体となって生み出された「音楽」そのものとしか表現できない作品です。
映画らしさや音楽ドキュメンタリーらしさといった余計なコンセプトや味付けが排除され、音楽そのものがもつ存在感やエネルギーを極めて生き生きと、かつ、スタイリッシュにとらえているがゆえに、「ストップ・メイキング・センス」は40年も経過した現在において鑑賞しても、全く古さを感じさせません。
もちろん当時のトーキング・ヘッズが生み出した天才的な楽想は今聴いても十分素晴らしいわけですが、もし仮にスタジオセッションで録られたソースのみしか残っていなかったとしたら、これほどまでにエバーグリーン的な美しさを保持することはできなかったかもしれません。
日本語字幕が煩わしいと感じられるくらいあらゆる要素が無駄なく不可分に結びついた「音楽」が「ストップ・メイキング・センス」です。
そして幸福なことに、こうして「上映」という再現性まで具備した圧倒的クオリティをもつ総合芸術として、商業的ではあるにせよ、アーカイブされることにもなったわけです。
IMAXも素晴らしい迫力ですが、ソース自体はいたって自然体ですから通常スクリーンでも十分生々しい体験が得られそうです。
滅多に映画の二度見はしませんけれどこれは再鑑賞の誘惑に勝てないかもしれません。