安井仲治が写した東京駅|生誕120年展より

 

生誕120年 安井仲治—僕の大切な写真

■2023年12月16日~2024年2月12日
兵庫県立美術館

 

昨年生誕120年を迎えた写真家 安井仲治(1903-1942)の大回顧展です。

名古屋(愛知県美術館)での展示を終え、神戸、兵庫県立美術館に巡回してきました。

www.artm.pref.hyogo.jp

 

「窓外(2)」と題された写真があります。

1938(昭和13)年の撮影。
東京駅が写されています。

戦前ですから空襲によって焼け落ちる前、赤レンガ駅舎3階のドームが辰野金吾設計による大正3年竣工時のまま残っています。

当時の光と空気が窓越しから伝わってくるような独特の魅力があり、しばらく見入っていました。

 

ところが次第に、ある妙な感覚が湧き上がってきたのです。

 

安井仲治「窓外(2)」(部分)

 

画面の左側に駅舎の正面が向いているようにみえます。

ということは右側がホームや線路のある東(八重洲側)にあたりますから、この写真は東京駅の「南側」である丸の内南口を、有楽町駅側にある建築物の内部からとらえたのであろうと、まずは、感じ取れると思います。

 

さて、画面の奥に写っている白くモダンなビルはどう見てもかつての東京中央郵便局です(「KITTEビル」となった現在も外壁保存形式ではありますが低層部分は面影を残しています)。

吉田鉄郎が設計した東京中央郵便局はこの写真が撮られる5年前、1933(昭和8)年に竣工していますから安井仲治がシャッターをきった時点で存在していても不思議ではありません。

 

問題はその位置です。

写真では左手奥に白い5階建の郵便局が見えます。

左側が駅舎正面ですからその先には皇居に連なる行幸通りが西に伸びているはずです。

この東西方角設定を前提としたアングルで南側から東京駅を見た場合、絶対に東京中央郵便局を撮影することはできません。

なぜなら、東京中央郵便局自体が東京駅のすぐ「南」に隣接しているからです。

東京駅を挟んで南側の建物を写すためには、当然のことながら撮影者はその「北」、神田駅側に立っていなければなりません。

この写真が実際の風景であるとすれば、安井仲治は東京中央郵便局の中から東京中央郵便局を遠く捉えていることになってしまいます。

 

つまりこの「窓外(2)」は現実にはありえない光景が写されていることになるのです。

写真を見続けて覚えた奇妙な違和感の原因は駅と郵便局の位置関係のおかしさからきていたようです。

この東京駅は一体どうやって撮影されたのでしょうか。

東京中央郵便局とのありえない位置関係に気がつくと、一気にミステリアスな雰囲気が写真から立ち上ってきました。

 

 

さて日本写真史上、決してその存在を省略することのできない巨人、安井仲治は大阪船場の一角、平野町の生まれです。

裕福な商家に生まれた彼は子供の頃、明治末期にはすでにカメラを買い与えられていました。

20歳に満たない若さで日本初のアマチュア写真団体、浪華写真倶楽部に作品を認められるなど天才的なセンスを発揮した安井は、1930年代、ラースロー・モホイ=ナジやマン・レイ等の作品が日本に紹介され始めるとすぐにシュルレアリスム的な写真を発表。

旧式の写真術を大切にしながらも、時代の先端を常に意識していた写真家でした。

 

そんな安井ですから、この「窓外(2)」でもシュルレアリスムを応用した「ありえない景色」を撮影しようとしたのではないかとまずは推測しました。

しかし、ここにはモンタージュ多重露光といった当時流行っていたシュルレアリスム的なテクニックは特に使われていません。

室内にある電話器のような物体と窓、そして東京駅が生み出す遠近バランスの面白さはあるものの、特に幻想性を狙った構成などは見られないのです。

シュールではなくむしろ単にリアルな写真ともいえます。

 

しばらく写真の前に立って脳内方向感覚の確認をしたりしていたのですが謎は結局解けず、なんとなく気持ち悪い感覚を捨てきれないまま会場を後にしたのでした。

 

安井仲治「蛾(二)」

 

帰宅し、会場で買った河出書房新社から出ている本展の公式図録を読んで謎が一気に解消しました。

図録には安井の子息、安井仲雄氏による「父のこと」という文章が掲載されています。

その中で仲雄氏は「窓外(2)」について「裏焼き」であったとコメントしているのです。

つまり、この東京駅を写した一枚はちょうど鏡に写った画像、「左右逆転」の状態でフィルムからプリントされていたというわけです。

違和感を生じさせていた正体が見事に判明しました。

ミステリーでもなんでもありません。
単にフィルムの扱いを誤った結果だったのです。

東京駅丸の内駅舎は南北にほぼ左右対称のデザインで設計されていますからこのように裏焼きされてもすぐに間違いと気がつかなったのでしょう。

でも。

安井仲治は本当に現像ミスと認識しないままこの作品を世に出したのでしょうか。

仮に左手前にある電話器のような黒い物体がもし右側にあったらどうでしょうか?
なんとなくしっくりこないバランスになるようにも思えてくるから不思議です。

ひょっとすると安井仲治は、あえて、写真としての美観を優先し「裏焼き」となるようにプリントしたのではないか、そんな想像の愉しみを与えてくれる一枚です。

 

2004年、安井仲治の生誕100年を記念して渋谷の松濤美術館名古屋市美術館で回顧展が開催されています(これは観ていません)。

本展はそれ以降の研究成果をふまえての企画であり、最初期から早すぎた晩年(38歳没)まで、この天才写真家の足跡を十全に辿る画期的な特別展となっています。

大阪出身の人ですが、宝塚に長く住んでいた関係から阪神間モダンアーティストの一人として兵庫県美にも個人から多くのコレクションが寄託されていて、貴重なオリジナルプリントの数々を堪能することができました。

 

安井仲治「頸い葉と枯れる草」

 

安井仲治の手法は、例えば梅阪鴬里や上田備山といった浪華写真倶楽部、丹平写真倶楽部のメンバーたちが試みていた写真表現と比べて特段に新奇なものではありません。

にも関わらず、安井の写真からは表面的なテクニックでは説明がつかない、対象物との絶妙な距離感とそれが生み出す存在の詩情性が現れてきます。

写されている人物事物は当然ながら全て戦前に属しています。

ところが、少しも「レトロ」と感じさせません。

安井仲治の眼が切り取った世界はどれも謎めきながら実に真実なのです。

「左右反転東京駅」の謎は解けましたが、この写真家自身がもっていた写真術の秘密はいまだに解明されていないのではないでしょうか。

そこがたまらない魅力です。

 

さて本展はまもなく2月23日から東京ステーションギャラリーに巡回します。

「窓外(2)」に写された東京駅は南側ではなくステーションギャラリーが入っている丸の内北口の駅舎ドームです。

およそ90年近く前、安井仲治によって撮られた美術館の外観ということになります。

おそらく現在の「丸の内オアゾ」あたりから撮影されたものと推定できます。

ここにはかつて今はオアゾの中に入っている「丸の内ホテル」の旧館がありました。
安井仲治が宿泊し駅舎を写したのもそのホテル内からだったのでしょう。

そんな位置関係を想像しながら鑑賞するのも臨場感があって面白いかもしれません。

https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202402_yasui.html

 

安井仲治「公園」

安井仲治「斧と鎌」