「EO」と「バルタザールどこへ行く」

 

イエジー・スコリモフスキ(Jerzy Skolimowski 1938-)監督作品、「EO イーオー」(IO, 2022)が5月初旬から各地のミニシアターで公開されています。

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私は、映画は映画館でみるべき、という考えを全くもっていません。
しかし、ごく稀にこれは劇場で鑑賞しないと真価がほとんど味わえないだろう、と思われる作品に出会うことがあります。
「EO」はそういう映画でした。

2022年のカンヌ国際映画祭で「サウンド・トラック賞」を受賞している作品です。
実際に鑑賞して、驚きました。
もちろん映像もすばらしいのですけれど、「音響」の威力がこれほど凄まじい映画も珍しいと思います。

音楽自体はパヴェウ・ミキエティン(Paweł Mykietyn 1971-)が担当しています。
現代音楽分野でそれなりの実績をあげている人で、映画音楽でもアンジェイ・ワイダ作品の他、スコリモフスキともすでに「エッセンシャル・キリング」(2010)で協働している関係にあります。
ややミニマルの要素を含んだ前衛系の音楽で映像を支えています。

 


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ただ、この音楽自体にとりたてて才気が感じられるわけではありません。
音楽を含む、その「響き」自体が圧倒的に素晴らしいのです。

廃品置き場でズドンと響くクレーン車の作業音。
生の悲鳴をあげる動物たち。
全てを飲み込んでしまうような深い混沌の水流世界に轟く低音のノイズ。
いずれも身体に直接届くような存在感が音響から伝わってきます。
音量と音圧の面で、これはプライベートな再生空間では再現が困難なサウンドではないかと思われました。
さらに重要なことは、音楽や響きそのものの迫力が、全く齟齬なく「映像」とシンクロしていることです。
確かに、見事な「サウンド・トラック」、です。
この映画全体に通底する、80歳代半ばを迎えた映画人のセンスとはとても思えない、若々しくスタイリッシュな魅力。
それには「音」が大きく貢献していると思います。

 

さて、スコリモフスキは「EO」に関して、ロベール・ブレッソン (Robert Bresson 1901-1999)の名作「バルタザールどこへ行く」(Au Hasard Balthazar , 1966)に「インスパイアされ」て制作したことを公言しています。

どちらも、ロバ、が主人公の映画です。

仮に監督がこのように明言していなかったとしても、誰でも両作品の共通点が、いやが上にも意識されてしまう内容ではないかと思います。
先入見をもたないように観ようとしたのですが、どうしても「EO」と「バルタザール」が連関してくるような感覚を捨てきることはできませんでした。

 

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ブレッソンも「サウンド・トラック」に大変なこだわりをみせた監督です。
それも「音楽」というより、「響き」を重視していたという点で、「EO」におけるスコリモフスキの手法と共通点がみられるかもしれません。
ただ、「バルタザールどこへ行く」では、後年の「ラルジャン」などで聞かれたほどには、まだ「響き」そのものが極端に重視されているわけではありません。
むしろ、全編にわたって使われるシューベルトのD.959のピアノ・ソナタが、彷徨うバルタザールに寄り添って絶大な効果をあげていました。

「EO」では、シューベルトに代わり、ベートーヴェンが使われています。
第4ピアノ協奏曲の第2楽章冒頭。
穏和な第1楽章ではなく、決然と悲壮感を現すこの音楽を、スコリモフスキは、EOがついに足を踏み入れてしまうことになる終焉の地に向かう少し前あたりで使用し、それまでの世界との断絶を見事に表現しています。

研ぎ澄まされた音響設計。
そして、彷徨えるバルタザールに使われるシューベルトと、宿命の地に向かう前、EOに告知されるベートーヴェン
スコリモフスキがブレッソンから受信した霊感は、構想や映像だけではなく、音響そのものからも十全に感じられます。

 


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バルタザールどこへ行く」におけるマリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)と、「EO」のカサンドラ(サンドラ・ジマルスカ)の扱いも興味深い比較ができる要素となっています。

マリーもカサンドラも、主人公のロバを愛しみ、相思相愛の関係をもっていた点で共通しています。
しかし、マリーが、悪童たちからいじめられるバルタザールを見て見ぬふりをして放置したのに対し、カサンドラは、連れ去られたEOへの未練が捨てきれず、再会を試みています。
カサンドラの方がマリーよりロバに対する愛情は深かったといえなくもありません。
しかし、結局、マリーもカサンドラも、バルタザールとEOを「見捨てる」という点では同じであり、その最終的な「結果」も同じなのです。
「愛情」ではなく、彼女たちのロバに対する「善意」の分量にさほど差はありません。

「バルタザール」よりもかなり強く「EO」で扱われている、一つの重大なテーマが、この「善意」、なのではないでしょうか。

動物愛護団体、つまり一見、「善意の塊」みたいな組織によってサーカス団から引き離されたEOが被った、その後のとんでもない迷惑を考えると、胡散臭い「善意」のために犠牲になる「主体」が、ひどくわかりやすく提示されていることに気がつきます。

他方、「善意の無力さ」も刺激的に描かれています。
マテウシュ・コシチュキェヴィチが演じるトラック運転手が、彼の自然で素朴な「善意」から出た行為のために被ってしまう悲劇。
ここで彼から施しを受けているキャラクターが黒人女性という点にスコリモフスキの冷徹なリアリズムを感じます。
この不幸なトラック運転手の名前は映像の中で「MATEO」であることがはっきり示されます。
これは演者の本名「マテウシュ」を示唆しているだけなのかもしれません。
しかし、十二使徒の一人、福音書を記したマタイの名を、スコリモフスキはあえて観客に明示していると受け取ることができるようにも思えるのです。
ここに、このポーランドの監督がこめた、カトリック的な「善意」への皮肉が読み取れるかもしれません。

そして、究極の「善意」を体現していそうな司祭ヴィトー(ロレンツォ・スルゾロ)の振る舞い。
優しい眼差しをもった彼は、闇夜の幹線道路に繋がれたままになっていたEOを保護し、故郷の豪邸へ連れ帰るのですが、結局、存在感そのものが服を着たような伯爵夫人(イザベル・ユペール)との関係に沈みこんでいくことになります。
最後に、EOの眼に映った光景は、決定的な「善意の変容」だったのかもしれません。

 

映画の最後に響く、このサウンド・トラック最大の禍々しい音。
こんなに恐ろしい響きを味わったのは、プーランクの「カルメル派修道女たちの対話」の最終場面、以来かもしれません。

 


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