イタリアから来たエッシャーの「天地創造」とシームルグ

 

エッシャー 不思議のヒミツ

■2023年12月14日〜2024年2月25日
■佐川美術館

 

この国で幾度となく繰り返される、みんな大好きエッシャー展。

ただ東京や大阪での開催はさすがにやりすぎと考えられたのか、今回の企画展は滋賀、富山、愛知とやや渋い巡回コースを辿って開催されています。

 

www.sagawa-artmuseum.or.jp

 

企画自体はイタリアの展覧会コーディネート企業アルテミジア(ARTHEMISIA)が担当していて、佐川美術館はじめ今回巡回する各館は専ら場所貸しに徹しているようです。

イタリアのマウリッツ・コレクションから大半の作品が出展されています。

アルテミジアは昨年の10月頃からローマのパラッツォ・ボナパルテで展示件数300点にものぼるという大規模なエッシャー展"Mostra Escher"をプロデュースし、本展は今年の5月まで開催されています。

これと並行して企画されたのが日本巡回展らしく、キュレーターや図録執筆者もローマ展と多くが共通しています。

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そのローマ展と比べるとおよそ半分の規模ではありますが、本展も約160点、マウリッツ・コルネリス・エッシャー(Maurits Cornelis Escher 1898-1972)の代表作をほぼ満遍なく紹介しながら彼の手法に迫る本格的な内容に仕上がっていると感じました。

「滝」や「物見の塔」、「描く手」といった日本で特にお馴染みとなっている作品が取りこぼされることなく紹介されています。
写真図版などでは味わえない版画独特のデリケートな線と明暗の美しさを堪能できると思います。

いわゆるトリックアート系の作品は、観ていると脳が直接的に面白がってしまいます。
視覚だけでなく時間感覚までも狂わされてくるのでボーッと鑑賞しているとあっという間に時間が経過していて慌てることになりました。

 

今回は特にエッシャーの初期作品に惹かれました。

天地創造」は1925年12月から翌年の3月にかけて製作された6枚から成る連作木版画です。

エッシャー1924年に結婚、26年には妻の故国イタリア、ローマに移住しています。
20歳代後半を迎えていた頃にあたります。

 

この作品群は2018年、エッシャー生誕120年を記念して上野の森美術館他で開催された「ミラクル・エッシャー」展にもイスラエル博物館から揃って出展されていましたが、今回は6連作に加えて、その後エッシャーが追加制作した「天地創造の6日間」という別の小型木版画もあわせて紹介されています。
非常に希少な鑑賞機会だと思います。

 

エッシャー天地創造の6日間」

 

天地創造の第一日目は旧約の神による「光あれ」という言葉が有名ですが、エッシャーはここに何故か巨大な鳥を描いています。

鳥の下には混沌の余韻を残す球形が不気味な文様で表現され、画面右上に向かって何やら霊魂のようにも見える棒状の光柱群が急激に上昇していく情景がみられます。

『創世記』の該当箇所に鳥は登場しませんから、これはエッシャーのアイデアによる創造の初日ということなります。

 

エッシャー天地創造の1日目」

 

エッシャーは魚と共に「鳥」を非常に好んでモチーフとして取り上げたことでよく知られていますが、初期の代表作においてこの生き物が既に強く意識されていたことがわかります。

問題はその大きさで、「1日目」において鳥は混沌の球に拮抗する巨大な存在として画面の右上部半分をほぼ占領し、その線描は極めて克明で、ある種の超越的な存在感を強く放っているようにも感じられます。

6連作後に追加制作された小型木版画天地創造の6日間」に描かれている中心的な図像も鳥です。

会場内に掲示されていた解説では「鳥は水の上で歓喜する精霊」を象徴的に表していると解釈していました。

私には神の強烈な意思そのものの象徴にもみえたのですが、いずれにせよこの後「鳥」と執拗に関わり続けることになるエッシャーの画業、その始原を感じさせるインパクト絶大な版画です。

 

エッシャー天地創造の2日目」

 

天地創造の2日目」は神によって「天」が創られることになっています。

しかしエッシャーはまるで「3日目」に創造される「海」を先取りするかのように巨大な雨雲とうねりまくる波の造形を表現しています。

これも会場内の解説によれば、というより解説を読まなくてもすぐに葛飾北斎による「神奈川沖浪裏」に大きく影響されていることがわかる図像です。

土木関連の技術者だったエッシャーの父は明治政府に招かれて日本に滞在したことがあり、その際入手したとみられるこの超有名な北斎の浮世絵を土産としてオランダに持ち帰っていました。

エッシャー家に飾られていたのであろう「神奈川沖浪裏」の印象は、まだ創造されていないはずの「山」、つまり富士山のイメージをもこの版画にもたらしています。

 

その他、アール・ヌーヴォー風の植物が印象的な「3日目」や奇妙にデザイン化された大地と宇宙空間が面白い「4日目」など、後年の研ぎ澄まされた描画設計とは別種の神秘的表現に魅了されます。

 

エッシャー天地創造の4日目」

 

エッシャーの導師ともいえるサミュエル・イェッスルン・メスキータ(Samuel Jessurun de Mesquita 1868-1944)はユダヤ人でした。

創世記は旧約聖書、つまりユダヤ教の正典に書かれています。

アウシュビッツで悲惨な最期をとげたメスキータの影響がこの題材にも反映されているのかもしれません。

なおメスキータは近年その再評価が著しく2019年には日本でも初の回顧展が開催されています(東京ステーションギャラリー、西宮市立大谷記念美術館他)。

本展でも2作品、メスキータ自身の木版をみることができます。

 

エッシャー「別世界」

 

ところでエッシャーからみれば異教的モチーフのはずなのに好んで取り上げられた存在がペルシャ神話に登場するキマイラ、シームルグです。

代表作の一つ「別世界」(1947)の中にも時空を超越して佇むようなこの人面鳥が象徴的に描かれています。

また「鳥」です。

シームルグのイメージはさまざまなパターンがあり、複数の獣の要素が混淆していたりするのですが、エッシャーの描くこの鳥は何故か人の顔をもっています。

これはモデルがあったからで、妻の父から結婚祝にと贈られたアゼルバイジャン由来のブロンズ製シームルグの造形が参考にされているようです。

本展ではそのブロンズ像のレプリカとみられる作品が「別世界」のすぐ近くに展示されていました(1998年 コルドン・アート社製)。

世界の滅亡を三度もみたとされるシームルグの像は静かに神秘的であり、エッシャーが惹かれた理由がなんとなく理解できる参考展示です。

 

シームルグのブロンズ像

 

会場での解説文はキュレーターを担ったM.C.エッシャー財団会長のマーク・フェルトハイゼン、同副会長のフェデリコ・ジュディーチェアンドレアが中心となって執筆されています。

エッシャーの生涯を縦糸とし彼のテクニックやメソッドを横糸に編み込んだ本展の構成は非常によく練られています。

特にイタリア時代に多くみられる明暗表現の斬新な美しさ等は本展の大きな見どころではないでしょうか。

 

エッシャーサン・ピエトロ大聖堂内部」

エッシャー「夜のローマ:コンスタンティヌス教会」

エッシャー「水たまり」

 

写真撮影OKの展覧会です。

なお会場にはドロステ現象や錯視を体験できるようなトリックアート・スポットが3箇所設けられています。

これらはおそらくファミリー、カップル等を呼び込むことを企図したサービスコーナーでもありますから週末は結構混雑するかもしれません。

日時指定予約制です。