テオティワカン・アートの魅力|「古代メキシコ」展

 

特別展 古代メキシコ ー マヤ、アステカ、テオティワカン

■2024年2月6日〜5月6日
国立国際美術館

 

昨年の6月中旬に東京会場(東京国立博物館)からスタートした「古代メキシコ」展。
福岡展(九州国立博物館)を経て最後の巡回地である大阪にやってきました。

上野と太宰府を合わせると40万人以上の来場者があったようです。

中之島の国際美術館も平日にも関わらず老若男女のお客さんで賑わっていました。

mexico2023.exhibit.jp

 

メルバ・プリーア駐日メキシコ大使が寄せている挨拶文によると、本展は「過去15年の間に日本で実施されたメキシコ三大文明に関する展示のなかで、最も注目に値するもの」なのだそうです。
半世紀でも四半世紀でもなく「15年」としているところが微妙です。

図録巻末近くに記載がある主要参考文献リストをみると、ちょうど15年前の2007年に「失われた文明 インカ・マヤ・アステカ展」が開催されていることがわかります。

上野の国立科学博物館をはじめ神戸、岡山、福岡と巡回したこの展覧会以来の規模であるということをメキシコ大使館は指摘しているのでしょう。

www.kahaku.go.jp

 

また2010年には京都文化博物館他で「古代メキシコ・オルメカ文明展」が開催されています。

今回の「古代メキシコ」展では、メキシコ最古の文明とされるオルメカ文明に関して冒頭少し触れる程度に抑制されていますが、これはこの2010年展の実績を考慮したからかもしれません。

aom-tokyo.com

 

 

さて、一口に「古代メキシコ」といってもその地理歴史の概観はやや複雑です。

巨石人頭像で有名なオルメカは紀元前1000年から前400年くらいまでメキシコ湾岸部に形成された文明です。

先述の通りこの文明がメキシコ最古にあたるとされていますが、本展のメインであるマヤ、テオティワカン、アステカとは時空的にみて連続はしていません。

 

オルメカ様式の石偶(オルメカ文明)

 

さらに地理的な関係をみると、テオティワカン(前100年頃〜550年頃)とアステカ(1325〜1521)は同じメキシコ中央高原にあった一方、マヤ(前1200年頃〜1697)はユカタン半島部のほぼ全域に広がっていました。

気候風土が違う場所で発生していることに加え、それぞれ数百年で滅んだメキシコ中央高原の2文明に対し、マヤはそれと並行しつつ約3000年くらい連続していたことになります。

 

鷲の戦士像 (アステカ文明)

 

「古代」といってもスペインによる征服で滅んだアステカ帝国は1521年まで続いています。
日本では室町時代、この国の一般的な時代区分では「中世」にあたります。

またマヤ文明はメキシコだけではなくグアテマラホンジュラス等、現在は他国になっている場所にも存在していたわけで、「マヤ=メキシコ」とは必ずしもいえない関係でもあります。

 

チャクモール像(マヤ文明)

 

つまり本展が指す「古代メキシコ」とは正確にいえば「紀元前100年頃からスペインによる征服前にかけて現在のメキシコ合衆国内に勃興した代表的三文明」ということになるでしょうか。

ただこの種の展覧会は一方で幅を大きく広げ過ぎ、インカなどのアンデス文明と合わせて「中南米の神秘文明」という括られ方をされることもありました。

本展は「古代メキシコ」をやや単純化しすぎてはいるものの、マヤ、テオティワカン、アステカと三文明を手際よく整理していて非常にわかりやすい構成となっています。

「赤の女王奇跡の来日」という奇妙にキャッチーな宣伝文句を使用してはいますが、「神秘のお宝大公開」という傾向になりがちだった中南米系企画展にしてはとても洗練された内容になっていると感じました。

 

赤の女王(レイナ・ロハ) (マヤ文明)

 

テオティワカン(Teotihuacan)という魅力的な響きをもった文明が栄えた時代はBC100年頃からAD550年頃、日本では弥生時代前期から古墳時代後期くらいにあたります。
まさに「古代日本」と同じ時期の「古代メキシコ」文明です。

「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」でよく知られている都市ですが、本展では「羽毛の蛇ピラミッド」という謎めいた名前の建造物も紹介されています。

「羽毛の蛇」という言い方は英語表記の"Feathered Serpent"からきているようです。

羽毛の蛇神石彫(テオティワカン文明)

 

「羽毛の蛇」は後のアステカではケツァルコアトルと呼ばれ、マヤではこれに相当する神をククルカンと称していました。

「羽毛の蛇ピラミッド」は、以前は「ケツァルコアトルの神殿」と呼ばれていたように記憶しています。
ただテオティワカン文明はマヤのように文字をもたなかったため、図像的にはアステカが名付けたケツァルコアトルと同じでも当時のテオティワカン人がそう呼んでいたかどうかはわからないわけです。

アステカの言葉でテオティワカンの神名を安易に上塗りしないように「羽毛の蛇ピラミッド」という表記になっているのかもしれません。

 

小座像(テオティワカン文明)

 

それはともかく、今回紹介されているテオティワカンの芸術はいずれも大変素晴らしいものばかりです。

かつて「羽毛の蛇ピラミッド」を飾っていた神石などの巨大なものから、わずか数センチ程度の耳飾りまで多種多様、きわめてユニークな造形センスがみられます。

「鳥形土器」はAD250〜550年頃に制作されたとされる埋蔵副葬品です。
たくさんの貝がまるでアクセサリーのように取り付けられたインパクト絶大なその姿は発掘者によって「奇妙なアヒル」とも命名されています。

テオティワカンは現在のメキシコシティー(アステカ時代のテノチティトラン)から北東約50キロにある盆地に存在した都市です。
海産物である貝とは縁がない土地なので、このアヒルが副葬された人物はメキシコ湾地域との交流を行っていた貝商人なのではないかと推定されるようです。

しかしなぜ鳥が貝を身につけているのでしょうか。
頭部の鶏冠のような装飾といい、見れば見るほど惹きつけられてしまう見事なテオティワカン・アートです。

 

鳥形土器「奇妙なアヒル」(テオティワカン文明)

 

テオティワカンには10万人くらいの住民がいたそうです。
その多くはアパートメント、つまり集合住宅に暮らしていたそうですから現在のイメージとは違うものの立派な「都市生活者」たちだったのでしょう。

どうやって壮麗な都市を維持していたのか具体的な記録はないようですが、宗教的セレモニーが大きな役割をになっていたことはほぼ間違いないようです。

儀式用の「香炉」が示す驚きの造形力にはテオティワカン人の五感を総動員するような芸術的センスを感じます。

 

立像(テオティワカン文明)

香炉(テオティワカン文明)

 

写真撮影可能な展覧会です。

大半の作品がガラスケースに収められているのでそこに他のお客さんが映り込んでしまうことがないよう、監視スタッフの皆さんが注意のアンウンスをしていました。

他客だけではなくいろんなものが反射して画像に紛れ込みます。
ノイジーな写真になってしまい困るわけですが、たまに面白くシュールなイメージになることもあり楽しめました。

 

チコメコアトル神の火鉢(複製)(アステカ文明)とトウモロコシ画像の反射

 

 

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