出演 ヴェリコ・アンジャパリーゼ、タヴィッド・アバシーゼ、ソフィコ・チアウレリ 他
脚本 ラジャ・ギガシュヴィリ
撮影 ユーリー・クリメンコ
美術 アレクサンドル・ジャンシヴィリ
音楽 ジャンスク・カヒーゼ
監督 セルゲイ・パラジャーノフ、ダヴィッド・アバシーゼ
開始からしばらくたったところで男女二人によるダンスシーンがはじまります。
コーカサス地方の踊りのようなのですが、実際の民族舞踊という感じはせず、パラジャーノフが独自に創造した別世界におけるダンスの趣き。
とても印象的な音楽がつけられています。
画面に登場している楽士たちが奏でている楽器とは関係ないツィンバロンのような響きまで加わった、これも独特のメロディーです。
音楽を担当しているのはグルジアの名指揮者ジャンスク・カヒーゼ(ヤンスク・カヒッゼ)。
wikiによればかつてル・モンド紙が彼を「スラヴのカラヤン」と評したこともあるのだとか。
ハチャトリアンの「ガイーヌ」など録音が残っています。
かなり民族音楽的要素が入っているので彼がこの舞踊曲をどこまで作曲したのか、実はよくわかりませんが、中毒性をもった音楽であり、スタイリッシュさとヴァナキュラーさを併せもった舞踊とあいまってこの場面だけでも繰り返し観たくなります。
今年は1990年に亡くなったパラジャーノフの没後30年。
これを機にパンドラ社配給によるパラジャーノフ特集が各地のミニシアターで開かれています。
「スラム砦の伝説」はプロローグからはじまるいくつかの場面がつなぎあわされたパラジャーノフによる連作説話タブロー。
一応ストーリーがあり、「ざくろの色」よりは一貫した流れを感じるものの、筋書きより一話一話の映像芸術に圧倒される作品です。
双子やシンメトリカルな構図など、なんとなくピーター・グリーナウェイとの共通点がみえるのですが、パラジャーノフの場合、グリーナウェイのような計算されつくした映像表現というより、彼独特の幻想性があまりにも強く、次第に画面の構図などどうでもよくなってしまい、映像世界に没入していくほかなくなります。
時空の設定も自由自在。
中世グルジアが舞台とはなっています。
でも途中で登場する港町の映像には現代の船がしっかり故意に写りこまされている奇妙。
そのくせ、女占い師ヴァルドーが年老いていく様は、「時間の疾走」と題されたエピソードの中で、時計の振り子をメタファーとして、残酷に、あるいはユーモアすら帯びせさせながら説明的に描いています。
「時間」の価値がパラジャーノフの世界では幾重にも歪んでくるようです。
グルジアはキリスト教の国。
スラム砦を壊しにくるトルコはイスラムです。
この二つの宗教の間を二人の人物が揺れ動く様がストーリーの軸として機能しています。
流浪の解放奴隷ドゥルミシハンを拾うキャラバンの長オスマンは、もともとグルジアの出。キリスト教を棄教してイスラム世界で商売を成功させた人物。
でも結局ふたたびキリスト教に改宗を決意したところで殺されてしまう。
一方、ドゥルミシハンはオスマンから隊商の一部を譲り受けそれなりに成功。
イスラムに従って生きるようになっていきます。
オスマンが殺されるまでのプロセスに登場する不気味な道化は死神のように彼につきまといます。
現実と幻視がないまぜとなったパラジャーノフ世界が全開しています。
ヴァルドーと共にこの映画の実質的な主人公といえるドゥルミシハンは、ヴァルドーを捨たことと棄教、二重の罪を犯しているとも考えられます。
彼の息子ズラブがまるでその罪を背負うかのごとく砦建設の人柱となっていく場面は独特の崇高さすら感じられる印象を残します。
デジタルリマスター版。
でも1984年の映画としては解像度が低いと感じます。
パラジャーノフの画面作りが素晴らしいゆえにやや歯痒さが残ります。
また、グルジア語のセリフに被せてロシア語の通訳ナレーションが終始入るバージョン。
これはかなり耳障りです。
映像芸術としての「スラム砦の伝説」はまだ修復余地がかなりありそうではあります。