ベンジャミン・グローヴナー ピアノリサイタル
ブラームス:3つの間奏曲 op.117
ラヴェル:夜のガスパール
■2024年12月21日 13時開演
■青山音楽記念館 バロックザール
極めて高度なテクニックと多彩に豊かな音色をもっているピアニストです。
しかしグローヴナーが放つ最大の魅力はそうした外面的魅力に寄りかからない、圧倒的に新鮮かつ説得力のある音楽解釈にあるのではないでしょうか。
非常に素晴らしいリサイタルでした。
今回のベンジャミン・グローヴナー(Benjamin Grosvenor 1992-)による来日公演は3箇所で開催されています。
京都公演は、東京(12月17日 武蔵野市民文化会館)、神奈川(12月18日 ミューザ川崎)に続くもので、日本ツアーにおける最終回。
プログラムは全て同一です。
10代後半で華麗にデビューしたグローヴナーも今年32歳。
ちょっと体型に貫禄がついてきたようですが、その音楽性も確実に厚みを増してきているように感じます。
以前からの持ち味である軽やかな瞬発力をそのままに、音色と解釈に格段の深みが加わっているようです。
地味な外見からは想像できないような美味なる鍵盤芸が全編にわたって披露されました。
とても興味深いプログラムです。
ブラームスの「3つの間奏曲」はスコットランドの子守唄、ラヴェル「夜のガスパール」はベルトランの詩、ムソルグスキー「展覧会の絵」はハルトマンの絵画といった具合に、3曲は作曲家がそれぞれにインスピレーションを受けた別の芸術を背景にもっています。
グローヴナーが趣向する文芸センスが垣間見れるような選曲といえるかもしれません。
深沈と歌謡の美が紡がれるブラームスから、幻想と怪奇がラヴェルの職人芸によって構築された「ガスパール」を経て、「展覧会の絵」で壮麗なクライマックスが奏でられるという、捻りを効かせつつサービス精神もしっかり意識された構成と感じました。
イギリスのピアニストというと、例えばスティーヴン・ハフなどのように、確固としたテクニックと深い譜読みによる的確な語法で音楽を仕上げていく人が多い反面、音色自体の美しさを武器としているピアニストはあまりいないように思えます。
ところがグローヴナーの場合、超絶的なタッチコントロールを駆使して発せられる音色の豊かさにまず驚かされます。
とはいうものの、彼はミケランジェリやアファナシエフのように耽美的になるまで音色芸を強調してもいません。
ブラームスにしてもラヴェルにしても、テンポはほんの少し早めの中庸が採用されています。
グローヴナーがおそらく最も重視している要素はそれぞれの音楽がもつ「歌」であり「構造」なのでしょう。
だから、圧倒的なまでに煌びやかな音色と隙のないテクニックが駆使されているにも関わらず、全くそれが鼻につかないのです。
音符の洪水が押し寄せる「スカルボ」にしても解像度高く高音の閃光と低音の地鳴りを存分に響かせているのにコアとなる楽想の筋道がかっちり描かれているため、音楽が全く散らかりません。
唖然とする名演でした。
デッカからデビューしてまもない頃、グローヴナーは「ラプソディ・イン・ブルー」で見事にジャズのグルーヴ感を出していましたけれど、「ガスパール」ではちょっとあの感じを彷彿とさせるような解釈を仕込むなど、人工美とデモーニッシュさを十分表現しながらも、少しユーモアのスパイスを効かせていたように感じました。
格調高さと面白味を両立できる稀有なピアニストです。
前半も見事なパフォーマンスが聴かれましたが、なんといっても圧巻は後半、メインの「展覧会の絵」でしょう。
グローヴナーは前述したような色と技、そしてフレッシュな解釈を全面的に開陳。
ラヴェル編曲のオケ版より多彩に聴こえたといったら少し大袈裟かもしれませんが、こんなに面白くかつ感動的にムソルグスキー原曲を楽しめたことはありません。
ピアノ原曲版「展覧会の絵」では、特に「プロムナード」をどのように嵌め込んでいくか、そこが一つの聴きどころではないかと思います。
芸のないピアニストの手にかかると、本当に「挿入句」のように扱われてしまうため興醒めしてしまうのですが、グローヴナーに抜かりはありません。
まるで絵と絵の間を歩く人の気持ちが浮かび上がってくるかのように、前曲と後に続く曲との間の関係性に配慮が行き届いています。
「カタコンベ」から「バーバ・ヤガー」に遷移する部分で「プロムナード」のメロディーが追想される部分がありますけれど、グローヴナーはここで死の暗闇に佇むムソルグスキー本人の心象をフッと浮かばせるかのように絶妙なタッチで弱音を響かせていました。
この作品がもつ構造的な美しさと文学的な幻想性がこれほど渾然一体となって仕上げられた演奏は滅多にないと思います。
紛れもなく現在世界トップレベルのピアニストのリサイタルなのですが、200席のバロックザールを満席とすることはできなかったようです。
週末かつそれほど渋すぎる曲目でもないのに意外でした。
しかし圧巻となった「キエフの大門」の後、客席はしっかりヒートアップ。
お客さんたちの期待に応え、アンコールは次の3曲披露されました。
リスト :2つの演奏会用練習曲より「小人の踊り」
ラヴェル:水の戯れ
J.S.バッハ/アレクサンドル・ジロティ編曲:プレリュード ロ短調
なおグローヴナーは来年も春に来日し、今度はN響と初共演するそうです。
ヤルヴィの指揮で曲目はブリテンのコンチェルト。
これは必聴ではないかと思います。