槇文彦が語る「東京」|SD選書『アーバニズムのいま』

 

アーバニズムのいま (SD選書271)

アーバニズムのいま (SD選書271)

  • 作者:槇 文彦
  • 発売日: 2020/06/09
  • メディア: 単行本
 

 

槇文彦著『アーバニズムのいま』 (鹿島出版会 SD選書271)

 

"decency" 

「礼儀」とか「謙虚」などと訳されるこの単語を著者は「社会的に見苦しくない」という意味に捉えています。

おそらく彼の建築家としての生き方、その通底にこの概念があります。

"decency"は槇文彦が手がけた夥しい建築そのものに、共通してみてとれるコンセプトです。

 

2020年初夏に出版された本。

既出のエッセイ、論考に手を加えた部分も多いようですが、90歳を越えての新著です。

「アーバニズム」について著者は「ベッドタウン、郊外も含めた都市領域における人々の生活の様態を分析、研究していく学問、あるいは科学と了解している。」(P.4)と定義しています。

本書ではこのタームを主題にとりつつ、著者の自叙伝的エピソードがふんだんに取り入れられています。

 

老大家といわれることを著者はおそらく嫌うでしょうが、日本建築界を代表する巨匠のいわば回顧録的著作といえなくもありません。

幼い頃の記憶から、丹下健三研究室、ハーバード大学ホセ・ルイ・セルトの下での研鑽、ヒルサイドテラス・プロジェクト、そして記憶に新しい、ザハ・ハディドによる新国立競技場案へのプロテストまで。

200ページくらい。

少し長い新書程度のボリュームですが、内容はなかなか濃密です。

 

昨年、2020年秋から12月下旬まで横浜で開催されていた「槇文彦展」を鑑賞しました。

会場では槇の主に海外での作品に関する映像が紹介されていました。

中でも印象的だったのは、彼が設計したNY、4ワールドトレードセンタービルについて語る人々の声です。

悲惨な事件がおきたこの建物を囲む景色。

それを静かに写し込む「鏡」としての4WTC。

場の追想装置としての穏やかな佇まいに共感する人たち。

decencyの建築家、槇文彦に相応しい賛辞が聞かれました。


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幼いころ、年末に一族揃って帝国ホテルで七面鳥を食したという家庭で育ち、慶應、東大、ハーバードとエリートそのものともいえる道を歩んだ著者。

その育ちの良さが彼のいうdecencyの根にあるように思えるのですが、一方で、新国立競技場コンペの一件で見せた、なりふり構わず神宮外苑を守ろうとした情熱もこの人の、ある意味、decencyといえるかもしれません。

謙虚さ、上品さだけではあらわせない、「社会的に見苦しくない」ものへの強いこだわりが本書から強く伝わってきます。

 

アーバニズムを語る上で、当然に彼が育った「東京」が、本書の中で大きくとりあげられています。

著者は東京のことを「世界のメトロポリスの中でも最も特異な都市」と評し、端的にその形態を「密実な葡萄状都市」と定義(P.69)しています。

「中心」を持った西欧の都市や、平安京に遡る京都の構造などとは明らかに違う。

山手線を外縁としつつ中央線を軸線として、内部に稠密な都市空間を作りあげた東京の特性を江戸からの歴史に遡りつつ明快に説明しています。


東京は「中心」を持たない巨大な螺旋構造の都市です。

「個人」がそれぞれ生活の場と密接に結びつきながらも、「全体」として関わるには大きすぎるのです。

それぞれのエリアが個別に特徴を持ちながら成熟発展していますが、生活エリアは自己完結してしまっているので特別な事情がなければ、他のエリアに関わらなくても十分暮らせてしまう都市です。

結果、ほんのわずかな距離を動くだけなのに、同じ区内でも、親密なエリアと全く疎遠な地域が生じることになります。

にも関わらず、全てが「東京」のイメージに包まれているので、まったく縁のないアイコンに東京を象徴されてもなんの抵抗も感じないのです。

しかし、実際は「見ていない」「見えていない」東京の、そのなんと巨大なことか。

著者による「密実な葡萄」の喩えほど、わかりやすくかつ深く東京を説明している言葉もないように思えます。

 

本書の中で「時が建築の最終審判者である」と宣言する著者の建築物をみていると、そこにはやはりdecencyへの思いがにじんでいるように感じます。

それと同時に著者はウィトルウィウスの建築の三原則、"Utilitas","Firmitas","Venustas"の中でとりわけ"Venustas"=「歓び」を重視しているように感じます。

decencyとVenustas。

槇文彦を読み解くキーワードではないかと思いました。

 

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槇文彦設計 京都国立近代美術館4階からの光景