「狩野派」としての村上隆|京都市京セラ美術館

 

京都市美術館開館90周年記念展
村上隆 もののけ 京都

■2024年2月3日〜9月1日

 

京都市京セラ美術館、本年最大の特別展がスタートしました。

初日はエントランス前に大行列が出来ていましたが、先着5万名にプレゼントされたトレーディングカードの在庫が早々に尽き、約1ヶ月が経過した現在、平日であれば今のところ極端な混雑はみられないようです。

とはいえ各メディアが大宣伝をかけていますから閑散とするわけはなく、それなりに多数のお客さんで賑わっています。

takashimurakami-kyoto.exhibit.jp

 

なんと約半年間に及ぶ長期企画展です。

ちゃんと調べたわけではありませんけれど2020年のリニューアルオープン以降、この美術館による企画展では最長なのではないでしょうか。

東山キューブが会場となってはいるものの、メインホールと庭園にも巨大な作品がドカンと置かれていますから、実質、夏まで京都市美術館村上隆(1962-)にほぼ占拠された格好です。

 

 

入場後、最初に鑑賞者を出迎える作品は「洛中洛外図 岩佐又兵衛 rip」。
2023年から今年にかけて、この展覧会のために新たに制作された巨大絵画です。

意外なことに村上隆はベースとなった岩佐又兵衛の舟木本「洛中洛外図屏風」(東京国立博物館蔵)をほぼ正確にトレースしています。

所々にお馴染みの村上キャラクターが配され400年前の都人たちに挨拶していますが、全体をみると、タッチや配色が当然に異なっているものの、又兵衛が描いた内容自体にはほとんど変更が加えられていません。

bunka.nii.ac.jp

 

例えば画面の中央からやや右寄り、四条河原あたりが描かれた箇所では当時人気だった人形浄瑠璃「山中常盤」が演じられています。
この部分で村上は原画が描く細かい人形の姿まできっちり写しとっています。

山口晃風に現代と過去を混淆させるような手法はとらず、あくまでも又兵衛が描いた人物景物をリスペクトすることを一義としているようです。

この人は基本的にものすごく「真面目」なアーティストなのです。
そのことがよくわかる大オマージュ作品です。

 

村上隆「洛中洛外図 岩佐又兵衛 rip」(部分)

 

今回の新作群をみると光琳宗達を意識した「琳派」的な作品が多くみられます。

村上を特徴づけるスーパーフラット琳派は非常に近しい関係にありますから、京都を舞台とした本展との親和性を考えてみても自然なモチーフ選びだったのでしょう。

ただ、その「作風」ではなく、「制作」ということを考えたとき、村上隆というアーティストは琳派というよりむしろ「狩野派」に近いのではないかと考えています。

 

本展でみられる作品の多くは村上隆本人のみで仕上げられたものでは当然にありません。

たくさんのスタッフやパートナーたちとの協業によって制作されています。

これは村上隆に限った話ではなく、例えばダミアン・ハーストなど現代アーティストたちにとってごく一般的な手法です。

面白いのは村上隆の場合、そうした協業のあり方を隠すどころか積極的にアピールしているところでしょう。

先日、本展にも主催者として関係しているNHK京都放送局のニュースをたまたま見ていたら村上隆が作品制作の現場を案内している映像が流れていました。
その中でなんと彼は「こんな色彩表現は私にはできない」とスタッフの方のテクニックを褒めているのです。
アーティストとしてなかなか言えない正直な発言でびっくりしました。

村上隆は多くの作品が、彼単独の仕事ではなく、いわゆる「工房」全体によって制作されていることをむしろ誇っているようでもあります。

 

村上隆「772772」(部分)

 

日本美術、特に絵画の面において「工房」制作を大規模かつ本格的に確立した集団が「狩野派」です。

信長や秀吉、家康といった戦国の覇者、あるいは本願寺などの大宗教勢力はこぞって華麗な障屏画で飾られた御殿を造営しました。

その旺盛なニーズに応えたのが狩野永徳、後に探幽を頂点とした近世狩野派です。

巨大な御殿建築障屏画群の制作は当主一人ではとても担いきれません。
多数の絵師たちを協業者として抱えこむことで大プロジェクトをこなすことができたわけです。

ただ多くのスタッフに制作を任せる以上、ある程度統一された技法やキャラクター造形の様式が必要になります。

狩野派は一定の絵画語法を用い、スタイルを揃えることでこの問題を解決しています。

 

 

翻って「村上隆工房」を見てみるとアクリル絵具の多用といった素材や技法の統一と、DOB君に代表される明瞭なキャラクター設定など、狩野派がとったストラテジーと共通した要素があることにすぐ気がつきます。

村上隆は、よく知られているように、東京藝術大学日本画を学び院まで進んで博士号をとった斯界のオーソリティでもあります。

今回、琳派を大きく取り上げていますけれど、アート制作におけるこの人の根本的な思想には「狩野派」が強く意識されていても全く不思議ではありません。

本展では辻惟雄の嫌味に触発され「自分で描いた」という蕭白風の龍が展示されていますが、技術的にもこの人が一級の日本画家であることがよく確認できると思います。

単に「分業」だけを意識して工房制作を行なっているわけではなく、実力上も「棟梁」として存在している人です。

一方、多くの他者を作品制作に引き入れるということは、それだけ有形無形のリスクを抱えることでもあります。
スタッフたちの仕事を積極的に顕彰している村上の姿勢は現代において非常に巧妙なリスクヘッジ策ともいえそうです。

一級のテクニックをもったプロジェクト・マネージャーとしての村上隆の顔がよく見える展覧会です。

 

村上隆雲龍赤変図」(部分)

 

さて近世初期において狩野派に発注を行ったパトロンたちは前述のような戦国の覇者や宮中、宗教勢力でした。

彼らの「ニーズ」がなければ逆に狩野派の工房体制も成立しなかったともいえます。

現在、村上隆に仕事を依頼している発注主は当然に政治権力者や宗教法人ではありません。
アート市場がそのものが「発注者」です。

これは非難されることでは全くなく、むしろ「狩野派」的アート工房の価値を誰よりも知る村上隆にとってみれば、ごくごく自然の成り行きといえます。

ルイ・ヴィトンの大きなトランクの上に立って笑顔を振りまく「お花の親子」は見事に東山を借景としてゴールデンにゴージャスなアートを嫌味なく表現しています。

巨大なマーケットニーズに「真面目」に応えているからこそ、この人の芸術は多くの支持者を得ているのでしょう。

 

 

本展は「もののけ 京都」と題されています。

もののけ」は近年では妖怪や幽霊などを含む言葉として定着していますが、平安時代、「もののけ」は「何だかわからない怪異」を指す用語として限定的に使われていました。

その正体が例えば「悪霊」と判ったらそれはもう「もののけ」ではないわけです。

村上隆作品の多くに登場するキャラクターは確かに奇々怪々ではあるものの、明瞭な形をもっていますから、平安時代的にみると正確には「もののけ」とは言えません。

村上隆がこのことを意識していたのかどうかはわかりませんが、この展覧会はちゃんと本来の意味での「もののけ」を表現したような作品で締めくくられています。

「五山送り火」と題された最新作です。

ここでは「五山くん」という新キャラが登場し大文字や鳥居の形を表現しているのですが、彼らが囲むその中心には不思議な穴あるいはコインのようにも見える丸い造形がみられます。

空洞なのかお金なのか。

五山が囲んでいるということはその真ん中にあるものは「京都」自体です。
でもその正体は明示されていません。
まさに「もののけ」なのです。

なかなか示唆に富んだ作品でした。

 

村上隆「五山送り火

 

写真撮影が全面的に解禁されています(販売品を展示した「ギャラリー」コーナーはNG。ただし3月上旬現在、大半の村上作品がSOLD OUTです。)。

なお図録については現在製作中らしく4月に入ってから販売される予定となっています。