岩崎弥之助と第四回内国勧業博覧会|静嘉堂文庫美術館

 

ハッピー龍イヤー!〜絵画・工芸の龍を楽しむ〜

■2024年1月2日〜2月3日
静嘉堂@丸の内

 

タイトル通り今年の干支にちなんだ静嘉堂文庫版ドラゴン・コレクション展です。

中華陶磁や堆朱をはじめ、お馴染みの作品が華やかに展開されていますが、中には鎌倉時代に描かれたという「摩尼宝珠図」といった渋い仏画などもあり、静嘉堂の奥深さが実感できる展覧会になっています。

ただ、お正月サービスなのか例の国宝曜変天目がお出ましになっているため、それなりに混雑はしていました(ゆるく日時指定予約制がとられてはいます)。

www.seikado.or.jp

 

巨大な屏風絵二作品が一際目立っていました。

橋本雅邦(1835-1908)の「龍虎図屏風」(重要文化財)と鈴木松年(1848-1918)の「群仙図屏風」です。
前者は文字通り龍が主題の一つですが、後者も仙女太真王夫人の乗り物が龍なのでテーマに沿ったセレクションということなのでしょう。

二作品とも発表された年は1895(明治28)年です。
しかもその公開場所も同じです。
現在平安神宮が建っている岡崎公園付近で開催された「第四回内国勧業博覧会」で披露されています。
いずれも三菱財閥の二代目トップ、岩崎弥之助(1851-1908)の資金支援によって制作され、後に静嘉堂文庫の所蔵となった作品です。

 

橋本雅邦「龍虎図屏風」(右隻)

 

岩崎弥之助はこの博覧会のために、東京画壇6名、京都画壇4名、計10名による日本画制作を支援しました。
発表された作品の内から8件が静嘉堂文庫のコレクションとなっています(なお当初の計画では東京と京都、それぞれ7名の画家を指名して制作を委託する予定だったとされています)。

まず東京画壇では野口幽谷「菊鶏図屏風」、川端玉章「桃李園・独楽園図」、松本楓湖「蒙古襲来・碧蹄館図」、野口小蘋「春夏山水図」、橋本雅邦「龍虎図」の5作。

京都画壇からは望月玉泉「雪中蘆雁図」、今尾景年「耶馬溪図」、鈴木松年「群仙図」の3作です。

このとき東京の瀧和亭、京都の森川曾文も制作していたはずですが、静嘉堂に作品は残っていないようです。
弥之助が実質的に発注したとみて良いこの8点はどれも近代日本画の傑作であり、静嘉堂文庫自身のコレクション展はもとより、今までもさまざまな企画展にゲスト出品されてきました。
いずれも華麗な彩色と高い技術力が反映された、非常にコストと手間がかかったことが想像される大作ばかりです。

 

橋本雅邦「龍虎図屏風」(左隻)



なぜ岩崎弥之助は大金を提供してまで東京から離れた京都の博覧会出展作を支援したのでしょうか。

美術評論家の関如来(1866-1938)がその理由を記しています(東京国立近代美術館重要文化財の秘密』展図録P.246)。
関によると、岩崎弥之助は「当時画家の不振甚だしく、逸品大作の世に出るを鮮少なることを嘆き、その復興を図らんがため、此の好機を逸せず、充分の資力と十ヶ月余の長日月とを与えて」、画家たちを支援したということになります。
この背景にはおそらく当時京都府知事をつとめ博覧会の成功に向け尽力していた中井弘(1839-1894)の働きかけもあったと推定できそうです。
中井は岩崎弥之助と懇意にしていて両者間の書簡も数多く確認されています。
中井知事は残念ながら博覧会開催の前年に亡くなってしまいますが、その遺志を弥之助はしっかり継承し実現したといえるのかもしれません。

 

鈴木松年「群仙図屏風」(右隻・部分)

 

中井弘も岩崎弥之助と同様に「当時画家の不振甚だしく」という関如来が伝えた認識をもっていたのでしょう。
この時代の東西画壇の様子をみてみると、彼らの認識も理解できます。

東京では狩野派が没落しその流れを汲む狩野芳崖と橋本雅邦等がフェノロサ岡倉天心の影響を受けつつ新しい日本画創出に向け苦心していた頃です。
まだ横山大観等、その後の東京画壇を牽引する大家たちの活動が本格化する前にあたります。

他方、京都でも博覧会開催の年に巨星だった幸野楳嶺が亡くなるなど幕末から画壇を支えた円山・四条派の大家たちが去っていく時期を迎えていました。
こちらでも竹内栖鳳山元春挙といった新しい世代が主流となる少し以前の頃です。

つまり東西とも画壇が新旧交代の端境期にあったということになります。
美術部門を展示する専門の館までもが準備された第四回内国勧業博覧会において、来場者の目を奪う「逸品大作」が、市中に任せるままでは出現しないかもしれないという強い危惧が中井知事と岩崎弥之助を動かしたといえそうです。

 

鈴木松年「群仙図屏風」(左隻・部分)

 

さて、京都近代史上のエポックメイキングとなった第四回内国勧業博覧会は、同時にこの国の美術史上においても重要なトピックスを生んだことで知られています。

黒田清輝による裸体女性画「朝妝」(現存せず)を巡る騒動が特に有名ですが、本展で観ることができる橋本雅邦「龍虎図」も賛否両論を巻き起こした話題作でした。
黒田の裸体画はその図像自体がショッキングだったというよりも、「題材」として裸婦が選ばれたことに大きな反発が上がっています。
つまり日本には日本独自の「題材」があり西洋とは違うという主張です。

他方、雅邦の「龍虎図」も実は同じような理由から批判されたのでした。
「龍虎図」はその鮮やかな色彩と劇的な表現が評価される一方で、それまでの伝統的作品に比べ品位に欠ける等、ネガティブな批評も目立ったとされています。
黒田は「題材」、雅邦は「表現方法」について、「日本伝統のものではない」という批判を受けたということなのでしょう。
「美術」という言葉が使われ始めてからまだ20数年しか経っていないこの頃、日本の美術をどのように世界的な座標軸の中におとしこむべきなのか、暗中模索が続いていた時期ならではの議論といえるのかもしれません。
その後、1955(昭和30)年、橋本雅邦「龍虎図屏風」は彼自身の「白雲紅樹」、盟友狩野芳崖の2作品と共に、近代日本画として初めて重要文化財指定を受けることでその評価を確定したことになります。

他方、鈴木松年の「群仙図屏風」も雅邦とは全く違った魅力をもった傑作と感じます。

新鮮な色彩感覚と西洋画的ニュアンスを巧みに取り入れた雅邦「龍虎図」に対し、松年の描く仙人たちは何よりその力強い「線」に魅了されます。
くっきりと縁取られているのに硬さは全く見られず、柔らかくしかも強靭な生命力がどの図像からも伝わってきます。
仙人たちのユーモラスな仕草には遊び心が大胆に盛り込まれていて、激しい気性でも知られたこの画家の才気を随所に感じることができると思います。
今回のように雅邦の名作と並置されても、全く引けを取らない迫力をもっています。

第四回内国勧業博覧会で発表された静嘉堂文庫コレクション8点はいずれも大作なのでまとめて展示することは難しそうですが、お隣りの三菱一号館美術館が再開された後、スペースに余裕がもしできたら実現してほしい企画です。

 

摩尼宝珠図(部分)

 

なお、今回は曜変天目茶碗が展示されている一室を除き、大半の作品について写真撮影OKとなっています。

天井が低く決して広いとは言えない静嘉堂@丸の内なので、気になる方はスマホのシャッター音対策が必要かもしれません。