カイユボット「ピアノを弾く若い男」|アーティゾン美術館

 

アーティゾン美術館では、現在、「アートを楽しむ ー見る、感じる、学ぶ」と題したコレクション展が開催されています(2023年2月25日〜5月14日)。

www.artizon.museum

 

ギュスターヴ・カイユボット(Gustave Caillebotte 1848-1894)の「ピアノを弾く若い男」も展示されています。

今や石橋財団コレクションを代表する近代フランス絵画の一枚として人気の作品です。

今回の展示では、絵画が描かれた場所などを並行して紹介することにより一層、作品世界に親しめるような工夫が仕込まれています。

 

中でもこの絵画については特別な演出が施されていました。

パリ、ミロメニル通りに現存するこの作品が描かれた場所の説明板とともに、近くに置かれているのは絵の中にあるものと同じ型のグランドピアノ。
エラール(Érard)社製、1877年のモデルです。

 

「ピアノを弾く若い男」は1876年、第2回印象派展に出品された作品ですから、まさに同時代、カイユボットが描いた楽器とほぼ同じタイプとみられます。

男の両手が映りこむように描かれた鍵盤蓋には、"Érard"の商標が巧に再現されています。
実物の商標表示とほとんど同じです。

初期カイユボットにみられる写実力の妙技に驚く部分でもあります。

絵と並んで実物ピアノが展示されることで、グッとリアリティが増してくるようにも感じられました。

エラールとカイユボット

 

実はこの絵がエラールのピアノと共に展示されるのは今回が初めてではありません。

2013年、この美術館がまだ「ブリヂストン美術館」だった時代に開催されたカイユボット展でも同時陳列されていました。

 

「ピアノを弾く若い男」を石橋財団が入手したのは、比較的最近、2011年のことです。

このときのカイユボット展はまさに「ピアノを弾く若い男」の収蔵を機に開催された企画展でした。

 

2013年展の折に披露されていたピアノは、ピアニストの伊藤綾子が所蔵していたものを借り受けたものと説明されていましたけれど、今回展示されているピアノは石橋財団自身の所蔵となっています。

同じピアノなのかどうか分かりませんが、伊藤綾子蔵として当時出展されていたエラールも1877年製です。

 

いずれにせよ、アーティゾン美術館は、カイユボットと共演させるために、わざわざエラールを入手したのでしょう。

大変な惚れ込みようです。

www.ayako-ito-fortepiano.com

 

 

さて、この精緻に対象物が描写された作品には、男が使っている楽譜もその音符がたどれるくらい鮮明に写されています。

これだけはっきりしているのならば、誰が作曲したどんな曲なのか判明しても良さそうなのですが、私が知る範囲では、不明なままのようです。

 

2013年展のときに制作された図録の中で、当時ブリヂストン美術館の学芸課長だった新畑泰秀が、「ギュスターヴ・カイユボット作《ピアノを弾く若い男》再考」という論文を発表していました。

新畑はこの文章の中で、ピアノの上に置かれた数冊の分厚い楽譜集について、アントワーヌ=フランソワ・マルモンテル(Antoine François Marmontel 1816-1898)の作品集ではないかとする、シカゴ美術館のGloria Groomによる指摘を紹介しています。

描かれている「若い男」は、カイユボットの実弟、マルシャル(Martial Caillebotte 1853-1910) です。

マルシャルはこのマルモンテルにパリのコンセルヴァトワールでピアノを学んでいることから、師の楽譜をピアノの上に置いているのであろうという推察です。

 

ということは、マルシャルが弾いている曲、つまり描かれている譜面もマルモンテルの作品ではないかとするのが自然な推論でしょう。

しかし、もしそうであれば、当時著名な作曲家にして大教育家でもあったマルモンテルの曲ですから、誰かが実際の楽曲と照合し、曲名を言い当てても良さそうではあります。

結局そういう指摘がなされていないということは、マルモンテル説も、マルシャルが弾いている譜面の作品には適用できないということなのでしょう。

 

では誰の曲なのか。

勝手に妄想するとすれば、「マルシャル・カイユボット自身の作品」である可能性が一番高いのではないか、と思えるのです。

というのも、マルシャルはプロにまではならなかったものの、しっかり作曲技法を身につけ、自身の作品を一部、出版までしている作曲家でもあったからです。

 

そして、何よりマルシャルの曲であろうと想像させる要因は、兄、キュスターヴ・カイユボットの筆捌きそのものにあります。

ピアノと男を描写するだけであれば、ここまで鮮明に、一音一音が把握できそうなくらい克明に楽譜を写す必要があるとは思えません。

過剰に緻密なのです。

弟の偉大な先生とはいえ、マルモンテルの楽譜に、画家はここまで執着するでしょうか。

でも、もし、これが弟、マルシャル自身の作品だったとしたら話は違ってきます。

仲良く切手収集に励み、一大コレクションを作り上げたことでも知られるカイユボット兄弟。

可愛い弟の「作品」であれば、兄として音符を粗末に扱うことはできなかったのではないか、と妄想はどんどん膨らむばかりです。

 

さて、この「ピアノを弾く若い男」は、プリヂストン美術館に収められる前にも、結構よく知られていたカイユボットの名作の一つです。

大好きなピアニスト、アルトゥール・ピサロ(Artur Pizarro 1968-)がリリースしたカバレフスキーの珍しいピアノソナタ全集のジャケットにも採用されていました。

「ピアノを弾く若い男」を初めて、部分的にではありますが認識したのは、このCDとの出会いによってでした。

こちらも素晴らしい名演です。

Kabalevsky: Complete Piano Son

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カイユボット「ピアノを弾く若い男」(アーティゾン美術館)