エタンチェとユーロスペースの配給で、ロベール・ブレッソン(Robert Bresson 1901-1999)の「白夜」4Kレストア版(Quatre Nuits d’un Rêveur 1971)が3月上旬より各地のミニシアターで上映されています。
2022年に「たぶん悪魔が」、「湖のランスロ」といった70年代ブレッソンの名作がレストアされて蘇り劇場公開されました。
しかしこの「白夜」については権利関係の複雑さ等から、なかなか復活上映が難しい作品とされてきた経緯にあります。
ようやく今回、劇場で初めて鑑賞することができました。
関係の方々に感謝しています。
レストアの効果は素晴らしい成果をあげているようです。
83分間、無駄の全くない映像美と心地よい緊張感が全編に張り巡らされた大変な傑作でした。
ドストエフスキーの短編『白夜』がベースになっています。
邦題はこれに依拠しているわけですが、映画の舞台はパリですから当然、白夜のシーンはありません。
原題は"Quatre Nuits d’un Rêveur"です。
「夢想家の四夜」というような意味でしょうか。
一年間、恋人の帰還を待っていた女性マルトと、彼女と偶然ポンヌフで出会った青年ジャックの4夜が描かれた物語です。
こうした設定だけみると、まるでレオス・カラックスの「ポンヌフの恋人」を先取りした映画のようにも思えますが、両者には根本的かつ決定的な違いがあります。
「ポンヌフの恋人」は" Les Amants du Pont-Neuf"ですから、ドニ・ラヴァンが演じた男性とジュリエット・ビノシュによる女性は"Les Amants"、複数形である「恋人たち」の関係にあります。
しかし「白夜」の原題にある表記は単数形、"un rêveur"です。
つまりこの「夢想家」とは一人の男性のこと、すなわちジャックのみを指し示していることになります。
ここがこの映画の最も苦く、かつ、面白いところなのです。
いつまで経っても現れない恋人を想い、心を痛めるマルトに寄り添うジャック。
当然二人は親密な関係になっていき、四夜目には一瞬恋人同士になったようにもみえます。
夜のセーヌ河岸、絵画のようにきらめく水面を背景に二人の心情が繊細に交差していく情景が映し出されます。
一瞬であっても"Les Amants"の関係になったのであろうと思わせるように第四夜は進行していきます。
でも、ブレッソンは実に冷徹なのです。
あくまでもジャックは"un rêveur"であり続けていたということがこのタイトルに厳然と示されています。
マルトと二人で複数形の関係になったことは一瞬もなかったとみてよいのでしょう。
終盤近く、二人が眺める「半月」にもそれが象徴されていたのかもしれません。
ジャックを演じたギヨーム・デ・フォレ(Guillaume des Forêts)、マルト役のイザベル・ヴェンガルテン(Isabelle Weingarten)、共にブレッソン映画らしくプロの俳優たちではありません。
ところが、映画を観ているとこの二人でなければジャックとマルトにならないと感じられてくるから不思議です。
デ・フォレは「たぶん悪魔が」の青年シャルルにそのイメージが引き継がれていくようなちょっとミステリアスに知的な雰囲気を漂わせています。
他方、イザベル・ヴェンガルテンはいかにもブレッソン好みの女性で、この人は「やさしい女」のドミニク・サンダのイメージが引き継がれているようにもみえました。
当然に70年代初頭のファッションやヘアスタイルがみられます。
でもなぜか古臭い雰囲気が感じられません。
役柄が求める衣装を必然的に身につけているからなのでしょう。
パリの景色がとらえられています。
しかし、全く観光名所風の描写はみられません。
主たる舞台となるポンヌフ周辺にしても、ほとんど夜景が中心であり、橋の全体像がこれみよがしに写されることはありません。
にも関わらず、都市としてのパリの空気がみっちり充満している作品でもあります。
ブレッソンはサウンドトラックにも異様なほどこだわった人です。
映像と不可分の関係となった「街の音」によってパリそのものの気配が伝達されてきます。
セーヌ川を走る遊覧船で奏でられる音楽も印象的でした。
特に後期のブレッソンは、「映像を支える」ものとして音楽を使うことがほとんどありません。
音楽は音楽として、映画にしています。
撮影監督はピエール・ロム(Pierre Lhomme 1930-2019)です。
カメラの高い機動性によって流麗さが確保されている上に、構図や色彩は常に端正です。
街の景色や俳優たちの姿が非常に瑞々しく写しとられています。
特にマルトの裸体をとらえた場面は、抑えた色調と驚異的に洗練された明暗表現によって、これだけで一つの映像芸術が創造されているかのように感じられました。
映画がとらえた女性の姿として最美の例といってもよいかもしれません。
ロムは「白夜」の翌年、ジャン・ユスターシュの傑作「ママと娼婦」の撮影も手掛けるなど重要な仕事を残していますが、ブレッソンはこの後、撮影を名匠パスクァリーノ・デ・サンティスに任せることになりますから、彼との協働はこの一作のみとなったようです。
衝撃的なラストをもつ「たぶん悪魔が」や「ラルジャン」に比べ、「白夜」は繊細な恋愛心理劇であり、ブレッソンにしては悲劇性が低いように感じられます。
しかし、四夜の間に夢想家ジャックが味わった甘さと苦さを自らの立場に引き寄せて想像すると、これはこれでかなり辛い内容の映画といえるかもしれません。
いたたまれない物語なのに、なぜか何度も観たくなってしまう美しさがあるという意味で、これはまさにまさしくロベール・ブレッソンの映画です。