
興祖微妙大師六百五十年遠諱記念特別展
妙心寺 禅の継承
■2026年2月7日~4月5日
■大阪市立美術館
華麗な金碧障屏画の数々に加えて、妙心寺創建に関わる貴重な史料、さらに在阪の妙心寺派寺院に伝わった白隠や仙厓による奇想に洒脱な絵画まで、非常に充実した内容の寺宝展です。
後期展示(3月10日から会期末まで)を鑑賞してみました。
「興祖微妙大師六百五十年遠諱」と銘打たれています。
微妙大師とは妙心寺二世授翁宗弼(じゅおう そうひつ 1296-11380)のことです。
今回の特別展は、2009年に東博や京博で開催された「妙心寺」展(未鑑賞)以来の規模になると思われますが、この2009年展は「開山無相大師650年遠諱記念特別展」とされていました。
妙心寺の開山、関山慧玄の遠忌記念展の17年後となる今年、その法嗣として二世となった授翁宗弼に焦点をあてた特別展が開催されたことになります。

現在でこそ臨済宗最大の規模を誇る妙心寺派ですけれども、開山と二世は共に非常にミステリアスな経歴をもっています。
開山の関山慧玄は最後は立ったまま亡くなったと伝えられる、強烈な個性をもった人物でした。
彼の唯一の法嗣となった授翁宗弼にもさらに謎めいた伝説が付随しています。
授翁宗弼は出家する前、後醍醐天皇に仕えた公家、万里小路藤房だったという伝承がそれです。
妙心寺はこの伝説を概ね受け入れていて、今回の図録にもそれに沿った記述がみられますけれども、史実という確証はいまだに無いため、彼について「一般に、万里小路藤房の後半生と伝えられている」という記述にとどめています。
逆に言えば、授翁宗弼という人物の「前半生」はよくわからないということにもなります。
つまり、この特別展は非常に正体がつかみにくい人物を記念しているわけです。
授翁宗弼所縁の品々も限られているようです。
しかし妙心寺とその塔頭寺院には主に近世以降にもたらされた夥しい寺宝があります。
二世を偲ぶというテーマに配慮しつつ、そうした文物を巧みに配した見事な構成がみられました。


展示はまず江戸初期の金碧障屏画から始まります。
妙心寺の開山忌で用いられたとされる巨大な屏風群が披露されていました。
海北友松(1533-11615)晩年の力作と推定される「花卉図屏風」など、桃山の絢爛豪華さの残照を感じさせる「妙心寺屏風」が並んでいます。
一連の「妙心寺屏風」とよばれる大型屏風の中で、最も有名な作品は狩野山楽(1559-1635)による「龍虎図屏風」(重要文化財)でしょう。
普段は京都国立博物館に寄託されていて、ときどきコレクション展で展示されますが、京博では原則写真撮影が禁止されています。
今回の展示では妙心寺側の許可が得られたのか、鑑賞者サービスとしてなんとカメラOKとなっていました。

「妙心寺屏風」は、その研究史自体がとても面白い作品です。
妙心寺に伝わった六双の巨大屏風は、かつて全て海北友松の筆によるものとされていました。
これは妙心寺第三百十四世無著道忠が寺伝『正法山誌』に「友松筆」と記していたためで、実際、六双の内の三双、すなわち「琴棋書画図屏風」「寒山拾得・三酸図屏風」「花卉図屏風」には海北友松の署名が確認できます。
残る「文王呂尚・商山四皓図屏風」「厳子陵・虎渓三笑図屏風」「龍虎図屏風」の三双は落款が無いのですが、これらもまとめて友松筆とされていたわけです。
この寺伝を覆し、無落款の三双について様式を分析し、狩野山楽によるものと解明した人物が日本美術史家の土居次義(1906-1991)でした。
1943(昭和18)年、著書『山楽と山雪』で発表され、現在では定説となっています。

また、図録には妙心寺の志水一行特別研究員による「開山忌における大方丈の風景」というコラムが掲載されています。
なぜ妙心寺屏風が縦2メートル近い破格の大きさで描かれたのか、その謎に迫ったとても面白い論考です。
それによると、近年の研究により、江戸時代に纏められた『法山規式須知 図絵』という史料から、一群の妙心寺屏風がどのように開山忌で使用されていたのかが解明されたのだそうです。
図録P.48には開山忌における各屏風のレイアウト図が示されていて、往時の様子を想像することができます。
実際、『法山規式須知 図絵』の通りに屏風をセットすると大方丈の各間にほぼ隙間なく収まることが確認された結果、長押から床までの高さである195センチにあわせて屏風が制作されたことが判明します。
このことから、各屏風は折り曲げて使われていたのではなく、フラットな状態で大方丈室内に嵌め込まれて使用されたのではないかとも推定されています。
使用目的から使用形態、レイアウトまで解明されている絵画シリーズは非常に珍しいのではないかと思われます。
今回の展示では、前後期に分かれてはいますけれども、海北友松と狩野山楽による全六双が全て披露されています。
さらに、同じ空間に置かれたとみられる長谷川等伯(1539-1610)の「豊干・寒山拾得図衝立」まで展示されています。
桃山末期から江戸初期における近世京都画壇のスターたちによる絵画が開山忌を彩っていたわけです。

さて、山楽の「龍虎図屏風」です。
先述した『法山規式須知 図絵』によると、この屏風は大方丈の「西南の間」という空間の西側の壁面に嵌め込まれたと推定されています(同じ「西南の間」の北側壁面には海北友松の「花卉図屏風」が配置されています)。
大迫力の龍と虎の描写にまず目が驚くわけですが、この屏風の魅力は「風」の表現にあるようにも思えます。
右隻をみると画面右上から、龍が巻き起こしたとみられる猛烈な風が吹いていることがわかります。
右下の梅の木は風でしなり、左下の笹は風によって左側に葉がなびいています。
さらにその風は左隻にまでおよび、虎の左横にある竹が同じ方向に揺れていることが確認できます。
山楽は植物の描写によって風の向きを明確に画面の中に織り込んでいるわけですが、それだけでは迫力につながりません。
絵師は水墨の細やかな掠れによって風の渦を龍の周りに強烈に表現しています。
これによって画面に摩訶不思議な立体感が与えられ、画面の奥から風が吹きつけてくるような効果が生まれているように感じられます。
宗達の「風神雷神図屏風」よりも早い段階で、水墨と金地による空間立体表現を成し遂げている傑作ともいえそうです。
同じく今回展示されている山楽と狩野山雪(1590-1651)による名品、天球院障壁画ともども、いまだに国宝指定されていないのが不思議な作品です。

展示は授翁宗弼所縁の寺、滋賀の妙感寺から出陳された巨大な「千手観音坐像」と、同じく後醍醐天皇念持仏とされる小さい「千手観音坐像」で締め括られます。
「興祖微妙大師六百五十年遠諱」を意識した素晴らしい展示でした。
平日の午後、特に目立った混雑はなく快適に鑑賞できました。
ごく一部の作品のみ写真撮影が可能となっています。
この展覧会の他地域への巡回はありません。

