1930年 ローマ展|大倉集古館

 

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大倉集古館前景

1930ローマ展開催90年「近代日本絵画の華」
〜ローマ開催日本美術展覧会を中心に〜

■2020年8月1日〜9月27日
■大倉集古館

 

1930年(昭和5年)4月から5月にかけ、ローマのエスポジツィオーニ宮で開催された日本画の大規模な展覧会、通称「ローマ展」を回顧する企画展です。

類似の企画展は過去にも複数回開かれていて、最近では2018年、九州国立博物館が「オークラ・コレクション展」中でとりあげていました。

 


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「ローマ展」開催の牽引役は横山大観(1868-1958)でした。

この人の情熱的な働きかけを大倉財閥の二代目当主、大倉喜七郎(1882-1963)が全面的に受け止め資金を提供、開催が実現しています。

結果として大倉集古館にはこのローマ展出品作を核とした近代日本画のコレクションが残ることになり、100年たとうとしている現在も機会があればあちこちの展覧会に貸し出されることになったのですから、大倉さんは実に上手なお金の使い方をしたと言えるのかもしれません。

 

大観という人は多くの有力なパトロンに恵まれていて、例えば三渓園の原三渓や、永青文庫の細川護立が後援者としてよく知られています。

中でも大倉喜七郎は、官に頼らず企画されたという意味では前代未聞ともいえるこの海外大規模展覧会を大観と協働して成し遂げた存在として際立っています。

 

大観は若い頃、資金もろくにないまま渡米し、現地で自作を売って旅費に当てるという荒技を見せていますが、その頃から日本画が欧米人に必ずうけるという確信があったようです。

実際、ローマ展は、ときのムッソリーニ政権による後押しもあったのでしょうが好評を博したと言われています。

ただ、大倉喜七郎は、大観ほどにこの展覧会への情熱を維持することはできなかったようで、実質的な立役者にも関わらずローマには赴かなかったそうです。

 

1930年という時節を考えるとそろそろいかにも国粋風の雰囲気を醸す作品があっても良さそうですが、このローマ展回顧企画では、そのような主題や内容の作品は見当たりません。

唯一、大観の富士山と日の丸を描いたポスターがそれっぽいのですが、大観は元々富士山が好きで何枚も描いていますから、特別に時勢を意識したものではないでしょう。

大観の力作「夜桜」をはじめ、川合玉堂竹内栖鳳小林古径橋本関雪といった東西画壇の大御所たちがローマ展のために提供した新作が揃っています。

繊細優美・絢爛豪華な近代日本画のハイライトを堪能することができました。

 

今回特に気に入ったのが山口蓬春(1893-1971)の「木瓜」と小林古径(1883-1957)の「木菟図」。

シンプルで洗練された描画とニュアンスに富んだ色調の差配加減がみられ古さを感じさせません。

会期中、展示品の入れ替えがあり、前期(8/1〜30)は大観の「夜桜」に変わって鏑木清方の「七夕」が展示されていたそうです。

これは見逃してしまい残念。

 

大倉集古館は9月中旬現在、コロナ対策の事前予約制を採用していません。

入館時のサーモグラフィによる体温チェックがあるくらいです。

平日だったのでさほど混雑もせず快適な観賞時間を過ごせました。

客層の年齢は高め。

 

このミュージアムは隣接するホテルオークラの大改築に合わせてリニューアルされました。

しかし伊東忠太設計による擬似支那風建築の外観はそのままに保たれています。

ホテル本館が谷口吉生の装飾性を排したスタイリッシュな建築に生まれ変わったので余計異質に見え、庭に点在する青銅製の置物の異形さ等も際立つのですが、不思議とこの場にきちんと収まっています。

現在近くの泉屋博古館分館はリニューアル工事中でお休み。

こちらが再開したらはしごができそうです。

 

なおホテルオークラ・別館サウスウィングはコロナの影響で丸ごと営業休止中とか。

一瞬廃墟化しているではないかと思わせる寂れた雰囲気。

ただ、これはこれで味わい深い光景ではあります。

 

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