板谷波山の香炉

 

特別展 生誕150年記念 
板谷波山の陶芸 -近代陶芸の巨匠、その麗しき作品と生涯-

■2022年9月3日~10月23日
泉屋博古館

 

板谷波山(1872-1963)生誕150年の今年、彼の故郷、茨城県筑西市での3館共同展(しもだて美術館板谷波山記念館・廣澤美術館)を皮切りに、各地で記念特別展が開催されています。

東京と京都では、波山の名品を蔵する東西の泉屋博古館(六本木一丁目と鹿ヶ谷)が会場。

京都展を覗いてみました(東京展は11月3日〜12月18日)。

特別展 生誕150年記念 板谷波山の陶芸 -近代陶芸の巨匠、その麗しき作品と生涯- | 展覧会 | 泉屋博古館 <京都・鹿ヶ谷>

 

波山の大規模な回顧展は、9年ぶり。

2013年に開催された没後50年記念展以来です。

泉屋博古館はこの2013年展でも東京の分館(現・泉屋博古館東京)を会場として参画しています。

住友春翠によって買い求められた波山の代表作、「葆光彩磁珍果文花瓶」(重文)が本展でも貫禄の存在感を放っていました。

数量としては波山のコレクションで有名な出光美術館ほどではないものの、住友コレクションにも傑作が揃っています。

(なお、出光美術館はこの巡回展とは別に独自の単館企画として板谷波山を特集しています。「生誕150年 板谷波山ー時空を超えた新たなる陶芸の世界 」2022年6月18日〜8月21日)

 

本展ではアニーバーサリー企画にふさわさしく、初期の珍しい彫刻から死の直前まで手がけていた未完の壺まで、実に幅広い作品が所狭しと陳列されていました。

 

 

波山は開校したばかりの東京美術学校でまず彫刻を学んでいます。

師匠高村光雲の作品がゲスト出展されているのですが、波山がこの大家から受けた影響がかなり大きかったことが窺い知れるように感じます。

その死によって、ついに完成させることができなかった最晩年の唐草文壺(素焼)をみても、「彫る」ということに波山が最後まで徹底的にこだわっていたことが伝わってきました。

 

「葆光彩磁」があまりにも名高いために、その秘術的な釉薬の調合と焼成の技法ばかりに目が行きがちな作家ですけれど、この人の基本には実は「彫刻」の要素が非常に大きな比重を占めていたのではないか。

再認識させられた展覧会でした。

 

さて、「廣澤美術館」という耳慣れないミュージアムからの出展品が数多く見られます。

筑西市に2021年、つまり昨年オープンしたばかりの私設美術館で、創設者が地元ゆかりの波山作品を数多くコレクションしているのだそうです。

www.shimodate.jp

大小、さまざまな優品がその廣澤美術館から出張しているのですが、中でも「香炉」に面白い作品がみられました。

北原千鹿(1887-1951)が香炉の上にのる火舎を手がけた小品。

新古典的色調をおびたモダンな彫金が波山のシンプルで気品を備えたやきものと絶妙な調和美を生み出しています。

 

 

金工の分野でいえば、波山と親しかったのはむしろ同世代の大巨匠、香取秀真(1874-1954)で、実際、波山が窯を営んだ田端に暮らし密接に交流していたことが知られています。

香川出身の北原千鹿は、ひとまわり以上、板谷波山よりも若い工芸家ですが、波山が香取秀眞等とともに組織した「工芸済々会」に同人として加わっており、この人も田端に住んでいましたから自然とつながりが生まれたのでしょう。

重厚な復古調を得意とした同世代の親友香取よりも、小品の場合、軽やかでモダンな作風を特徴としていた若い北原の方が波山とコラボレーションしやすかったのかもしれません。

香取秀真「灰落とし」(京都国立近代美術館で撮影)

なお、余談ですが、今年の秋、板谷波山と香取秀真の二人を特集した企画展が三重・桑名市博物館で予定されています(10月22日〜11月27日)。

かなり地味目の展覧会なのですが、とても気になっています。 

 

 

戦時中、地元下館で戦死者が出始めると、波山は香炉を作って遺族に贈ったのだそうです。

しかし、選局の悪化に伴い、香炉の制作が間に合わなくなってしまいます。

そこで代わりに石膏型による白磁の観音聖像を作り贈り続けました。

本展ではその観音像も板谷波山記念館から展示されています(添付映像の10分20秒頃から観音像を制作する波山の姿が見られます)。

 


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黒髭を蓄えた若い頃の波山は、いかにも孤高の陶工といった厳しい風貌なのですが、年を重ねるにしたがって、品の良さそうな好々爺に変貌していきました。

少しでも気に入らない仕上がりのやきものは容赦なく叩き割ってしまうため、ときに米代にも事欠く貧乏生活を送った人といわれています。

でも、自分が借金に出向くことはなく、いつも奥さんが工面をしていたのだそうです。

もともと下館の裕福な商家に生まれた波山の中には、高いプライドと、貧乏しても品位は失わない性質が強く存していたのかもしれません。

さまざまな技法や造形的な挑戦を繰り返しながらも、出来上がった器物には不思議と品格が共通して残っています。

 

地元茨城下館はもとより、数年教師を務めただけの金沢でも大変なリスペクトを今も受け続けている板谷波山

その魅力の秘密が開陳されている展覧会だと思います。