光源氏の冷酷|小山聡子『もののけの日本史』

 

 

■小山聡子著 『もののけの日本史 死霊、幽霊、妖怪の1000年』(中公新書)

 

著者によれば「六条御息所のモノノケ」という言い方は本来、間違いなのだそうです。

モノノケとは、いまだ、正体がわからない「何か」をさす言葉。
ですから紫の上に害をなした「何か」が六条御息所と正体がわかった以上、モノノケという表現は、もはや、とりえません。
正確には六条御息所の「霊」としなければならないことになります。

でも、「もののけ」が幽霊、妖怪や祟り神など、多様なイメージを内包してしまった現在、「六条御息所のモノノケ」といわれて、著者の指摘を受けなければ、『源氏物語』の現代語訳として特段違和感を覚えることはないでしょう。

平安時代頃から本格的に使われはじめた「もののけ」という言葉が、中世から現代まで、どのような意味をまとって使われ続けてきたのか。
本書は「もののけ」のいわば「用例史」を詳かにすることで、日本人の精神史、その一断面を提示してくれます。

モノノケが「怨霊」と厳密に区別されていた平安時代
恨みを抱いて死んでいった貴人たちの怨霊は「鎮撫」されたのに対し、モノノケには「調伏」が用いられました。
つまりその対処システムがそもそも違うのです。

印契真言を用いて調伏する「加持」と、壇を設けて本尊を安置し行う「修法」。
仏教による対処手段も厳密にはこのように区別されなければなりません。
例えば「病人のすぐ枕元で修法」という言い方は、余程の貴顕邸でもない限り、まず、ありえないということになります。

数多の政敵を追い落として我が世の春を謳歌した藤原道長が、それゆえにモノノケたちに大いに苦しめられた様子が解説されています。
自らも加持を行ったという道長は娘嬉子が妊娠中に麻疹を患った時、加持を強行します。
出産はできたものの結局嬉子は亡くなってしまいます。
当時麻疹は赤斑瘡(アカモガキ)といわれ、モノノケではなく「神」による業と考えられていました。
つまり道長は対象とその対処方法を誤り、神に対して本来行ってはならない加持(調伏)を行ってしまい、失敗したことになります。
害をなしているとみなされた対象とそれに対応するシステムが明確に区別されていたのです。
モノノケという言葉が、最も厳密に範囲を限って使用されていたのが平安時代ということなのでしょう。

中世になると調伏システムはさらに発展します。
初潮を迎えていない女性や童子を「ヨリマシ」として使い、モノノケをこれに憑依させる。
そしてヨリマシにモノノケが「縛入」されることで病が治っていく。
いわばモノノケ退治のマニュアルのようなものもみられるようになります。

囲碁や双六もモノノケ退治の手段として用いられたのだとか。
藤原定家の『明月記』には瀕死の病に苦しむ貴族が「将棋」を行ったことが記録されています。
これは気を紛らわそうとして将棋を指したのではなく、モノノケ調伏のために真剣に行われたものです。
こういう将棋のやり方もあることを理解しておかないと中世史料を読み違えてしまうことになりそうです。

著者は「幽霊」という言葉にも鋭い指摘を加えています。
もともと「幽霊」はすべて悪霊というわけではなく、むしろ尊い人のありがたい霊をも指す言葉でした。
その意味合いを一変させた人物が世阿弥です。
彼の能表現によって、亡者のマイナスイメージが色濃く付加される言葉になっていきます。
幽霊という語の用例を、世阿弥以降の解釈で単純化してしまうと、古代中世に使われたこの言葉の意味がわからなくなってしまうと著者は批判しています。

さらに近世になると医術の発達などもあって、そもそもモノノケや祟り神自体が軽んじられ、エンタメの対象として妖怪、化物とも混じりあってきます。
稲生物怪録』を詳しくとりあげているところは近世怪談史のツボをしっかりおさえていて情報量も豊富です。

著者の専門は古代から中世の日本宗教史です。
当然にこのあたりの記述が中心ですが、「もののけ姫」に代表される現代のもののけ用例にもちゃんと言及しています。
真剣にモノノケを恐れていた道長の時代は何を対象としているのかある意味、明確に意識されていたこの言葉。
近世以降、だんだんモノノケ自体が恐れられなくなるにつれ、化物、妖怪、幽霊など、とにかく得体の知れない奇怪なものをどんどん取り込んでしまい、言葉の意味範囲としてはむしろ曖昧になっていきます。
「物の気」と書かれていたモノノケが、「物の怪」に変わります。
他方で「もののけ」のイメージは水木しげる漫画にみられるようにキャラクター化が進み、むしろ明確になってきているともいえます。

考えてみると「もののけ」とはたいそう不思議な言葉です。
意味が曖昧になるにつれ、姿形ははっきりしてくるのです。
これこそまさに「もののけ」的歴史変遷といえそうです。

さて、冒頭ふれたように「六条御息所のモノノケ」はモノノケの本来の用例からみると誤った表現であると著者は指摘しています。
一方で、『源氏物語』内で光源氏はその正体がわかった後でも、あえて、「モノノケ」を使い続けています。
なぜでしょうか。
それは源氏にとって、紫の上を苦しめる「霊の正体」が周囲にわかってしまってはまずいから、です。
六条御息所は自分がつれなくしたために怨霊となってしまったと光源氏は自覚しています。
それが周囲に知られては困るわけです。
だからいつまでもモノノケとして正体を知らないふりをしつつ「調伏」を繰り返したのです。
ところが結果的に本来、御息所に対してなすべき「供養」はほとんど実行されていません。
光源氏という人物のもっている、ミステリー小説にでも出てきそうなサイコパス的冷酷さに驚きます。

著者はこの源氏の薄情な態度を強く非難しています。
モノノケ本来の用法がわからないと、源氏の酷薄さもわかりません。
あらためてこの言葉に注目して古典を読み直すのも面白いかもしれません。


2020年11月の新刊です。

(なおP.152『太平記』に関して触れられた箇所で「醍醐天皇」と記載ありますが、これは当然に「後醍醐天皇」と正されるべきでしょう。)