「DUMB TYPE 高谷史郎-自然とテクノロジーのはざま」(2018)
京都文化博物館フィルムシアター(2021年1月 文化庁メディア芸術祭京都展での上映)
出演:高谷史郎、坂本龍一、長谷川裕子、池田亮司、サイモン・フィッシャー・ターナー 他
監督: ジュリオ・ボアト
高谷史郎へのインタビューを中心にまとめられたドキュメンタリー映画。
約1時間の作品です。
水面に浮かんでいるように、一人のチェリストがバッハの無伴奏チェロ組曲を奏する詩的なシーンからはじまります。
ドキュメンタリーですが、案内役のナレーターやインタビュアーは登場しません。
ダムタイプの舞台記録や高谷自身が作成した映像の合間に出演者たちの語りが挿入されていく形式が取られています。
2019年11月から昨年の2月にかけ、東京都現代美術館でダムタイプを特集した企画展が開催されました(「ダムタイプ|アクション+リフレクション」)。
その時にも展示されていた「MEMORANDUM OR VOYAGE」や「Voyage」の映像がこの作品にも登場しますが、これは2018年、ポピドゥー・センター・メッスで開催された展覧会での様子をとらえたもの。
主に舞台の映像化を手がけるというジュリオ・ボアトによって端正に仕上げられたこのドキュメンタリーでは、数々のダムタイプ作品が手際良く鮮やかに映し出されています。
"between nature and technology" 「自然とテクノロジーの間」。
タイトルにある「間」、「はざま」という言葉が印象的です。
ダムタイプ展の仕掛人であった長谷川裕子は、このアート集団の新奇性を「パフォーマンスとインスタレーションの間」という言葉で端的に表現。
高谷とコラボレーションを続ける坂本龍一は「芸術とテクノロジーの間」の素晴らしさを語っています。
高谷自身は映像の中で、「間」という言葉を特に強調して語ってはいなかったと思いますが、彼の作品、特に中谷芙二子と組んだ一連の「霧の彫刻」シリーズなどはまさに「自然とテクノロジーの間」そのものを表現しているともいえます。
三次元と二次元、白と黒、脈拍によって仕切られた時間と時間。
雨粒や人が歩くことによって生じる水の波紋。
水と空気。
純粋に科学の目でみたら単なる天体の集まりなのに、それを「星座」としてしまう認識。
いずれにも共通しているのは「間」、です。
高谷は自身の作品にあらかじめ説明的な解釈を施すことをしないと語っています。
例えばある舞台作品に「時間と空間」を表現したという説明を加えてしまえば、鑑賞者はそれに引きずられて、なにがしか、その舞台に「時間と空間」の要素を読み取ろうと身構えてしまうだろう、と。
対象となる舞台や映像と、鑑賞者との「間」。
その「間」を真新しく洗い直すこと。
おそらく高谷史郎の根底にあるのはそういう姿勢なのでしょう。
作品対象とした「自然」の持つ「いつまでもみていたい何か」を捉えていく。
最近の彼の創作そのもののコアな部分がしっかり捕捉されたドキュメンタリーだと思いました。